後藤隆基(ごとう・りゅうき) 立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教
1981年静岡県生まれ。立教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は近現代日本演劇・文学・文化。著書に『高安月郊研究――明治期京阪演劇の革新者』(晃洋書房、2018)、編著に『ロスト・イン・パンデミック――失われた演劇と新たな表現の地平』(春陽堂書店、2021)、『小劇場演劇とは何か』(ひつじ書房、2022)ほか。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
戦後大衆文化史を体現するレジェンドに聞く〈下〉
膨大な数のアニメ・特撮のシナリオを手掛け、ミステリー作家として大活躍する辻真先さんのインタビュー後編です。1960~70年代の活気あふれるエンターテインメントの現場を語ってくれました。
インタビュー前編はこちら。
――1962年にNHKを辞められてフリーに。『エイトマン』(63年)を皮切りに、『鉄腕アトム』や『おばけのQ太郎』など、テレビアニメの脚本を書かれるようになります。その中で、江戸川乱歩の『少年探偵団』が原作の『わんぱく探偵団』(68年、フジテレビ系)も脚本を担当されました。
辻 アニメなんですが、ちゃんとシナリオハンティングをしてるんですよ。虫プロはそういうことが好きでね。後に『銀河鉄道999』を監督する、りんちゃん(りんたろう。林重行)がチーフでしたが、原宿駅界隈で、怪しげなヒゲもじゃの男たちが5、6人、おろおろしながらやってました(笑)。
虫プロで手塚漫画ではない原作のアニメを作ったのは、ひょっとしたらこれが初めてじゃないかな。手塚漫画をアニメにするのは、作り手みんなが原作を読んで知ってるから、やりやすいんですよ。乱歩先生のものも同じで、あまり説明する必要がない。プロデューサーも内容を知ってるから、スムーズにつくれましたね。
――手塚治虫と江戸川乱歩は、誰もが読んでいたというところが共通していた。
辻 そうですね。ただ、僕としては、『わんぱく探偵団』ではなくて、『少年探偵団』のタイトルのままにしたかったんです。「わんぱく」だといかにも子どもっぽいでしょう。僕らは小さな子どもだけでなく、大人が見てもおもしろいものをつくりたかった。そういう精神が、それこそ『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』につながるわけですけど。『機動戦士ガンダム』も虫プロの流れの連中がつくったものですからね。
――子どもも大人も同じように楽しめるもの。
辻 たとえば今、僕が『焼跡の二十面相』(光文社、2019年)を書くと、40歳、50歳の大人たちが「もう一度『少年探偵団』を読み返そうかな」と本気で言ってくれる。当時は手塚先生も僕もみんなそういうつもりでつくってたんです。
でも、「母と子のフジテレビ」がキャッチフレーズだった頃のフジテレビですから、「少年」より「わんぱく」と、したかったんでしょう。今にして思うと、そのあたりのズレが、こういうタイトルの部分で出たんだろうな。そんなわけで、はっきりと「子ども向き」の看板を掲げてましたから。
石森(石ノ森)章太郎さん原作の『佐武と市捕物控』(1968年、毎日放送制作、関東ではNET系で放送)なんかのほうが、演出や脚本も自由でした。自分たちなりの、子どもも大人も喜んでくれるアニメがつくれたと思いますね。
――乱歩作品は、まだいろいろな表現の可能性がありそうです。
辻 乱歩先生のものも、昭和初期を再現した実写ドラマでやってほしいですね。あの時代は資料やデータが残ってますから、CGで簡単にできるんですよ。古き良き昭和の、古き良き探偵小説が映像にならないかな。『昭和は遠くなりにけり』(朝日ソノラマ、1991年)ってミステリーを書いたことがありますが、世の中が一回りしましたから、そろそろ明治や大正、昭和の頃を描くものがどんどん出ていいと思う。
乱歩先生は、昭和をイメージできる文豪……というよりも「人」ですね。作者だなあ。時代の端境期で、大正の匂いもありますけど。そんな気がします。