山口宏子(やまぐち・ひろこ) 朝日新聞記者
1983年朝日新聞社入社。東京、西部(福岡)、大阪の各本社で、演劇を中心に文化ニュース、批評などを担当。演劇担当の編集委員、文化・メディア担当の論説委員も。武蔵野美術大学・日本大学非常勤講師。共著に『蜷川幸雄の仕事』(新潮社)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
2023・4・24 ファイナル公演「大千穐楽」を観て
白鸚も80歳を迎え、今回の公演は、かつてのようにスピード感あふれる躍動的な演技ではなかった。登場と退場に使う牢獄と外の世界をつなぐ急傾斜の長い階段の舞台装置は、舞台奥に伸びるスロープに変更されていた。休憩なしで一気に上演されていたのも、途中にインターミッションが設けられた。
だが、そうした変化が舞台の魅力を減らしたかというと、決してそうではない。
脚を傷めているようで俊敏に動くのは難しそうだったが、常にしゃんとした姿に風格があり、「老騎士」の気骨がにじむ。そして、ある時は朗々と、またある時は軽妙にせりふを語り、張りのある豊かな歌声で、セルバンテスの、そしてドン・キホーテの精神を力強く、明晰に伝える。その演技は圧巻だ。
演じる身体の限界を自覚しながら、その限界を超えようと挑み続ける姿には崇高な輝きがああった。そこにあるのは、役と俳優が重なり、渾然と溶け合い脈打つ「何か」――「魂」という言葉が思い浮かぶ。それを目の当たりにする感動は深い。
2009年からサンチョ役を受け持つ駒田一が、終始、白鸚の体を気遣いながら、朗らかに歌い、演じ続ける姿も役と俳優がぴったりと重なっているようで微笑ましく、温かな気持ちになる。
アルドンザ役の松たか子は、前半では怒りと悲しみに満ちた人間の荒んだ様を鋭く見せる。そこから、ドン・キホーテと触れあうことによって、次第に人としての尊厳を獲得してゆく変化が鮮やかで、理想を追い続ける精神が受け継がれてゆく希望を強く印象付けた。