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進化する「論座」。目ざすのは論をかわす広場=座

サイトの名称を「WEBRONZA」から「論座」に変える理由

論座編集部

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名は体を表す

 今日からこのサイトの名称が「WEBRONZA」から「論座」に変わります。

「名は体を表す」といいます。名前は内実を示すことが多いという意味の故事ですが、裏を返せば、名前が内実を規定するということも少なからずあります。だからこそ、名前はとても大事です。

 では、なぜ編集部は今回、8年近く慣れ親しんできた「WEBRONZA」を「論座」に変える決断をしたのか。簡単に説明しましょう。

「論」をかわす「座」になる!

 「WEBRONZA」がスタートしたのは2010年7月でした。以来、政治、経済、国際問題、社会、科学、スポーツ、エンタメなど硬軟さまざまなジャンルのトピックやテーマについて、社内外の筆者による論考や解説、インタビューなどを連日アップしてきました。アップした記事の総数は、いまや1万2千本以上に及びます。

 「明日をひらく、多様な言論」をモットーに掲げ、特定の立場やイデオロギーにとらわれた論調を排し、多様な論考が並ぶ「プラットフォーム」づくりをめざしてきました。「論座」はまさしく、私たちのこの方針をストレートに「名前」にしたものです。

 すなわち、このサイトを、「論」をかわす「座(人が集まる場所)」にするという宣言にほかなりません。今回、名称・ロゴをローマ字から漢字に変えたのは、こうしたサイトの性格を読者のみなさんに明確にアピールするのが目的です。

どこかで見た?

 ん、「論座」。どっかで見たぞ? 漢字の「論座」という字面をみて、そんな思いを抱く方もおられるかもしれません。その感覚は正しいです。かつて朝日新聞は『論座』という月刊誌を発行していました。

 『諸君』『正論』などの保守系論壇誌に対抗するリベラル系論壇誌として、1995年に刊行をはじめた『論座』(最初は『RONZA』でしたが、97年に『論座』に改名しています)ですが、右派の論客を論者に起用するなど内容は多岐にわたり、幅広い読者を獲得しました。ただ、00年代後半に入り、リベラル論壇が弱まったことなどもあり、2008年10月号で休刊になりました。

 オピニオンサイト「WEBRONZA」がローンチしたのはその2年後の2010年7月。『論座』が10数年にわたって築いてきた「レガシー」(遺産)へのオマージュの意味も込めて、「WEBRONZA」と名付けられました。

あらゆる分野にネットが影響

 先日、新しい元号の「令和」が発表されました。30年余の平成は今月で終わります。平成とはどういう時代だったか? ある人にたずねたところ、「デジタル・ネットが進展した時代」という答えが返ってきました。その通りだと思います。

 世界はいま、数世紀に一度の大変動期にあります。そこでの主役はデジタルネットワーク、インターネットです。それは通信にとどまらず、文字どおりあらゆる分野に影響を与えています。

 新聞や出版といった既存のメディアも例外ではありません。紙からネットへという「流れ」は、ますますそのテンポを早めています。平成の半ばに、「論」を扱う朝日新聞のメディアが、紙媒体の『論座』からネットサイトの「WEBRONZA」に転換したことは、時代をはからずも象徴しているといえるでしょう。

 実際、紙の新聞はいま、危機的状況に陥っています。部数は減少の一途、とりわけ若い人の新聞離れは深刻です。大人になったら、新聞を読むという「人生モデル」は今や昔。ニュースはヤフーなどのネットニュースやラインなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を通して知る人が、増え続けています。

 メディアだけではありません、政治、経済、安全保障、そして人間関係のあり方にまで、ネットは多大の影響を与えています。

 政治家はネットの反応を気にかけ、選挙でもネットを活用しています。経済では、グーグルやアマゾンなどの巨大なネット企業が、大きな影響力を持つようになっています。ネットを使ったサイバー攻撃で国の安全保障の脅威となり、SNS活用の巧拙が人間関係を決める。ネットを通じて集められた「ビッグデータ」がわれわれを監視する――。

 20世紀には想像だにしなかった世界が、いま目の前に現出しています。

ネット時代の「論」の特徴

 では、こうしたデジタル、ネットの時代にあって、「論」の世界はどうなっているでしょうか。

 ネット時代のおける「論」の最大の特徴は、「先鋭」にあると思います。無限ともいえるネットの世界で注目を集め、影響力をもつ論陣をはろうとすれば、切っ先が鈍くてはとうてい無理でしょう。それゆえ、オピニオンリーダーたらんとする人を、アッと言わせる鮮やかな切り口、凡俗には思いも付かない独創的な発想、圧倒的なデータに裏打ちされた卓越した分析を競います。

 「先鋭」であること自体は悪いことではありません。ですが、「先鋭」がおうおうにして「極端」に陥る危険を伴っていることは、忘れてはいけないと思います。極端はときに「真実」を歪めるおそれがあります。下手をすると、フェイクにもなりかねない。

 真実を逸脱した極論やフェイクニュースの横行が、ネットの世界でしばしば問題になっているのは衆知の通りです。

多様さが減った?「言論」「論壇」の世界

 こうしたネット上の「論」が持つ特徴がいま、「言論」や「論壇」の世界を歪めている気がします。具体的には、対話より相手を言い負かすこと、自らの立場を強調するポジショントークが目立ち、自分の考えを示したうえで相手の意見に耳を傾け、さらに自分の考えを深めていくという、建設的な議論が少ない印象があります。

 インターネットの進展によって、世界中の人びとやモノがつながると、オープンで公平な世の中になる。ネットが広がり始めたころ、そうした理想が広がりました。たしかに便利にはなりました。一部の人が独占していたオピニオンの世界に、より多くの人が参入できるようにもなりました。

 ただ、それによって言論の世界がより多様さを増したかというと、先述したように必ずしもそうではありません。個人が自分の世界にこもり、言いたいことだけを言い、聞きたいことだけを聞く、多様とは真逆の現象が目立ちます。

 異論を唱える相手を聞く耳をもたないとばかりにたたく。そんな対話なき分断と断絶の世界では、人が意見を出し合って政治や社会をつくっていく「民主主義」は成り立ちません。それでいいはずはありません。

新生「論座」の究極の目的は

 冒頭で、ネットサイト「論座」は、論の座という名の通り、特定の立場やイデオロギーにとらわれた論調を排し、多様な論考が並ぶ「プラットフォーム」をめざすと書きました。

 別の言い方をすれば、ネットが本来もつはずの、オープン性や公平性をいかし、さまざまな論者や筆者が自由に論をかわし、互いに影響を与え合って論を深めていく場をつくる。ネット時代のいま、世界や日本で日々、起きていることの本質について自由に論じ合える、よりアップデートされた「ネット論壇」をつくるのが、われわれ編集部の究極の目的です。

 世界では各国でリベラルな民主主義への疑念が高まり、ポピュリズムや強権的なナショナリズムが強まりつつあるように見えます。社会や経済の分断が進み、共感よりも怒りが支配する土壌がつくられているようにも思えます。日本も例外ではありません。しかし、そうした多様性を奪う流れに巻き込まれてしまっては、民主主義はもとより、個人の尊厳も失われてしまいます。

 私たちに必要なのは、周囲に流されないよう自立する、自分の考えを持つことにほかなりません。そのためには、眼前の出来事だけに目を奪われない、視野の広い判断力が不可欠です。「論座」は、自分の頭で考えて判断をするための「材料」を提供していきます。月刊『論座』の精神を引き継ぎつつ、それを超える幅の広さと深さをもった対話のフィールドをつくっていきます。

 新生「論座」を今後ともよろしくお願いいたします。

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