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『Journalism』9月号 日英サッカー報道にみる『スポーツの言語化』」とは

石井昌幸via朝日新聞ジャーナリズム編集部《9月13日にニコニコ生放送》

 朝日新聞社のジャーナリズム&メディア研究誌「Journalism」(ジャーナリズム)2011年9月号は8日に発行。特集は「スポーツ報道を考える」です。WEBRONZAは同誌と連携にメディアのあり方や役割を考えています。

 「Journalism」9月号特集「スポーツ報道を考える」のニコニコ生放送は、9月13日(火)21時30分からです。出演者は、編集部から酒井輝男さんと伊丹和弘さん、ゲストは特集筆者のひとり、石井昌幸さん(早稲田大学スポーツ科学学術院准教授)です。こちらもぜひご覧ください。

 WEBRONZAでは、9月号のなかから石井昌幸さんの「日英サッカー報道にみる『スポーツの言語化』」とは」をお届けします。

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■石井昌幸(いしい・まさゆき)

拡大石井昌幸さん

早稲田大学スポーツ科学学術院准教授。1963 年島根県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程(ヨーロッパ文化地域環境論専攻)単位取得退学。広島県立大学専任講師を経て、2003 年4月から現職。共著に『近代ヨーロッパの探求⑧ スポーツ』(ミネルヴァ書房)

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2010年6月、私たちはイングランド内陸部の地方都市レスターの友人宅でテレビを観ていた。W杯南アフリカ大会、イングランド代表の初戦。GKグリーンの信じがたい落球でアメリカと引き分けてしまった、あの試合だ。1階の食卓で早めの夕食をとり、その後テレビのある2階の居間に移動して観戦を始めたのだが、しばらくするとホスト役の友人は、階下に降りて行った。いっこうに戻ってこないので様子を見にいくと、キッチンで洗い物をしている。「観なくていいの?」と聞くと、「ラジオで聴いているから大丈夫だよ」と言う。ほどなく戻ってきて一緒にテレビを観たのだが、英国人の彼は、どちらかと言うとサッカーはラジオで聴くほうが好きなのだそうだ。

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 大学の研修期間で、1年ほど英国で暮らしていた時の出来事である。サッカーをラジオで聴く。ふいに私は、子どもの頃に見た父の姿を思い出した。当時、プロ野球中継は放送時間が決まっていて、試合が長引くと9回表あたりで「誠に残念ですが、ここで後楽園球場からお別れします」などと言いながら、音楽とともに中継は終了した。父は素早くラジオのスイッチを入れる。わずかなノイズのむこうで、アナウンサーが淡々とボール・カウントを告げている。「ピッチャー新浦、投げました。ボール。ワン・スリー」。解説者が今の一球について論評を加える。父の顔色がくもる。ゲームの行方を耳にゆだねることで、終盤の緊張はさらにその強度を増していった。

 英国サッカーにおいてラジオは今でも不可欠のメディアだ。私が暮らしていたレスターには、プレミアリーグの一つ下、チャンピオンシップ(事実上の2部)のチームがある。日本代表の阿部勇樹選手が移籍したことで日本でもその名が知られるようになったレスターシティだ。BBCには現在40ほどの地方局があるが、その一つ、BBCラジオ・レスターは、アウェーゲームを毎試合実況中継している。この町のサポーターたちの多くは、ホームゲームはスタジアムに足を運び、アウェーゲームはラジオで聴く。

 中継は試合開始1時間以上前から始まる。放送内容自体にこれといって特別なものがあるわけではない。ここまでのシーズンの経過を振り返り、過去の試合のゴール・シーンの実況を再生し、選手や監督のインタビューを流す。試合前のスタジアムの音や、観客の入り、天気の具合などを伝えたりしながら、番組は試合までの時間を少しずつ高ぶらせていく。

 面白かったのは「ファンの声」のようなコーナーで、地元の街角やパブで人びとにインタビューして、チームについて論評させていた。監督の戦術や選手起用、個々の選手のコンディション、チームの方向性。大人も子どもも、男も女も、いっぱしの評論家のうなコメントをしている。みんなサッカーを語る言葉を持っているのだ。

 試合が始まる。誰が誰にパスして、誰がシュートして、ゴールキックになったとか、コーナーキックを取ったとか。ただ目の前で起きている事実が時々刻々伝えられるだけなのに、なぜか不思議な緊張感が、リアリティを持って迫ってくる。

◇スポーツの言語化にラジオが重要な役割◇

 BBCがサッカーのラジオ中継を始めたのは1926年のことだ。興味深いことに、翌27(昭和2)年、大阪中央放送局(JOBK)が甲子園球場から初めてのスポーツ実況放送となる中等学校優勝野球大会(現在の高校野球)の中継を始め、28年には東京でも放送が開始された。ユーラシア大陸の両端で、2つの島国がそれぞれの人気スポーツを、ほぼ同時期に、音声によって伝え始めたのである。

 テレビが家庭に普及し始めるのは、英国では1950年代、日本では60年代後半だから、日英ともにおよそ四半世紀以上にわたって「スポーツを聴く時代」を経験したことになる。その間、スタジアムに足を運ぶことのできない多くの人びとにとって、ひいきのチームの試合ぶりを知ることができるのは、文字または音声を介してのみであった。

 以前、日本のなにかの記事で、「サッカーはラジオに向かない」という意見を読んだことがあるのだが、それは間違いなのではないだろうか。野球であれ、サッカーであれ、眼前で起きている事象を、ただちに言語化して伝えるというのは、きわめて困難な作業であるはずだ。

 新聞によって始まったスポーツの言語化は、「ラジオの時代」を経ることによって、おそらく飛躍的に進歩した。それがまた新聞に応用されることで、スポーツという事象を言語によって伝えるという高度な営みが、次第に確立し、洗練されていったのである。いっぽう、言語のみによる伝達は、それを受け取る側のスポーツをめぐる「リテラシー」をも、急速に高めたはずだ。スポーツが、いまだ映像によって伝えることのできなかった時代、すなわち新聞とラジオの時代を経ることで、日本では野球と相撲、英国ではサッカーとクリケットは、他のスポーツにはない豊穣な言語空間を獲得していったのである。

 英国で今でも、多くの人がラジオでサッカーを聴いているのは、この国のサッカー文化が、そのような歴史的プロセスを踏んでいるからである。私の友人やレスターのサポーターたちの頭のなかには、言語のみを介して、ピッチの状況がありありと浮かんでいるはずなのである。まさしく我々日本人が相撲や野球の実況中継を聞いて、土俵上で決まった豪快な投げ技や、サヨナラ本塁打にうなだれる投手の様子が浮かぶように。

◇専門誌並み記事が載る英国紙のスポーツ報道◇

 英国で新聞が本格的なサッカー報道を始めたのは19世紀末。最初は試合結果、やがて寸評を載せるようになった。彼の国におけるサッカーの言語化は、すでに100年以上の歴史を持つ。

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 サッカー報道の文化を支えている一つが高級紙に掲載されるサッカー批評であろう。英国では4つの高級紙(タイムズ、ガーディアン、インディペンデント、デイリーテレグラフ)に、本紙とは別に「サプリメント」と呼ばれる別刷りが、ほぼ毎日付いている。文芸批評や映画評論などでは、新聞のサプリメントはきわめて重要な役割を果たしている。スポーツでも同じで、オピニオンリーダーは、やはり新聞である。だから、日本なら「サッカーマガジン」や「サッカー批評」のような専門誌に載るであろう突っ込んだ記事が新聞に載っている。デイリーメールやデイリーエクスプレス、サンなど、いわゆるタブロイド紙のスポーツ記事にも、ゴシップだけでなく専門的なサッカー記事がある。最近では地下鉄などで配られているフリーペーパーにも、スポーツ記事がかなり載っていて、電車のなかでこれを読んでいる人も多い。

 英国のスポーツ文化を支えている活字メディアは、もう一つある。地方新聞だ。私が暮らしていたレスターには、レスターマーキュリーという地元紙があった。日本の地方新聞と違って、中央から配信される全国ニュースや国際ニュースは載らない。地元のニュースのみで構成されているから、なにか特別な事件でも起きなければ、普段は1面でも町のちょっとした話題程度のニュースしかないことも多い。新聞の真ん中あたりは、ほとんどが中古車や住宅の広告である。そんななかで重要なのは、なんと言ってもスポーツである。実際、読者のほとんどは、これを目当てに地方紙を買っているのではないかと思う。

 レスターには、レスターシティ(サッカー)、レスタータイガーズ(ラグビー)、レスターカウンティ(クリケット)と、英国を代表する3つのスポーツそれぞれのプロチームがあって、裏1面から5~6頁を費やして、その動向が詳しくリポートされている。なかでも紙面の割合が圧倒的に多いのがサッカーで、浦和レッズから阿部選手が移籍する際にも、写真入りで大きく取り上げられた。シーズン中の月曜日には、前の土曜日に行われた試合(日曜は休刊)についてのサプリメントが付くことがある。

 2部リーグにいるレスターシティの試合がテレビ中継されることはまずない。BBCテレビが土曜夜に放送しているハイライト番組でも、普段は得点シーンが一瞬映るだけだ。有名チームを応援している一握りのサポーター以外の人びとにとって、ラジオと新聞は、いまでも主要なメディアなのである。

 このように、衛星放送で全世界を市場とするプレミアリーグの国のサッカー報道は、実は今でもラジオや地方新聞によって分厚く下支えされている。

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