メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

無料

『Journalism』9月号 日英サッカー報道にみる『スポーツの言語化』」とは

石井昌幸via朝日新聞ジャーナリズム編集部《9月13日にニコニコ生放送》

◇評価部分に限らない日英の報道の違い◇

 その後も私は、しばしば前述の友人の家でW杯南ア大会を観戦した。大会前の日英親善試合も一緒に観たのだが、このときの友人の驚きぶりは、かなりのものだった。「日本は、上位に行くかもね」。

 結局、イングランドと日本は、ともにグループリーグを2位通過し、ともに決勝トーナメント1回戦で敗退した。しかし、両国のメディアの反応は対照的であった。円熟期を迎えた「黄金世代」のスターたちを擁し、優勝さえも期待されながらドイツに惨敗したイングランド。通過が危ぶまれていた厳しいグループを生き残り、史上初のベスト8まであと一歩のところまで迫った日本。評価が異なったのは当然であろう。しかし、違ったのは評価だけではなかったのだ。

 ちょうど手もとに、イングランド敗退翌日のガーディアン(6月28日[月])がある。以下ではそこで報道された中身を紹介しながら、同じく自国の敗退を伝えた朝日新聞(6月30日[水]朝刊・夕刊)と比べてみることで、英国のサッカー報道と日本の違いを、具体的に見てみることにする。

 ガーディアンも朝日も、自国の敗退を1面トップで伝えた。朝日は、20・21、38・39面でもこの試合の模様を写真入りで伝え(22面にも関連記事)、夕刊にも1面を含む約5面が費やされた。一方、ガーディアンは1面以外に、4・5面、「サプリメント」に8頁の合計11頁を割いている。

 両紙ともに写真にも大きなスペースが割かれているので、記事そのものの分量も比較しておこう。ごく大雑把に数えただけだが、この日ガーディアンのW杯報道に費やされたのは約1万6千語。これに対して朝日新聞では、関連記事も含めて朝刊が1万3千字強、夕刊が1万1千字強、合計2万4千字強である(ともに、見出し語および他国の試合記事も含む、写真キャプションは除く)。量を具体的にイメージするために、かなり乱暴な試算だがガーディアンの記事を洋書のペーパーバック(1頁430語で計算)に換算すると38頁ほど。朝日(朝刊・夕刊)の記事を新書(1頁42字×16行で計算)に換算してみると、およそ36頁くらいで、ほぼ同じだ。

 南ア大会の場合、時差の関係で日本の新聞は圧倒的に不利であったはずだ。決勝トーナメントの試合開始は英国では15時。試合終了から記事の締め切りまでにはそれなりに時間があっただろう。一方、日本の試合開始は23時だったから、朝刊に間に合わせることは至難の業だっただろう。日本対パラグアイ戦は、延長・PK戦も行われたので、これだけの分量の記事が朝刊に載ったことは、むしろ驚異的である。時差の不利を考慮して夕刊も含めて考えると、日本の記事の量は英国にさほど引けを取らない。

◇データと評価を重視、英紙のサッカー報道◇

 それではガーディアンの約1万6千語のなかには、どのようなことが書かれているのだろうか。その中身について、少し踏み込んでみよう。まず1面は、同紙のスポーツ担当チーフ、リチャード・ウィリアムズによる南アからの現地リポートである(注= 英国の新聞は1面記事が途中で切れていて、別ページに続いていることが多い。この記事も5面に続いている)。「66年の再現。だが、今回のそれはイングランド黄金世代の終焉」という大見出しのこの記事は、試合を大きく左右することになった誤審の描写から始まる。

 「イングランドサッカー史上最も紛糾した瞬間の一つが蘇り、昨夜、現代の選手たちに牙をむいた。……2対1で迎えた前半終了間際、同点のチャンスは否定された。フランク・ランパードが放ったシュートは、ドイツ側ゴールのクロスバーをたたいて地面に落ち、ゴールラインを数フィート越えたところでバウンドし、再びクロスバーをたたいて、キーパーにキャッチされた。ウルグアイの線審マウリシオ・エスピノーザは、ボールがゴール・ラインを越えたという動作を見せず、彼の同国人ホルヘ・ラリオンダ主審は、試合を続行した。……昨日の4万510人の観客のなかにいたイングランドファンの目に、スタジアムの大スクリーンがリプレーを映し出すと、それまで絶え間なく響いていた、けたたましいブブゼーラの音は、おなじみの露骨な審判攻撃のアングロサクソン流チャント(合唱)でかき消された」

 記事は、1966年イングランド大会決勝ドイツ戦でイングランドに認められた「疑惑のゴール」に言及。このとき線審を務めたアゼルバイジャン人の銅像がバクーに建っていることを紹介して、もしドイツが優勝したら、ベルリンにエスピノーザの銅像が建つだろうと、まずは強烈な皮肉を吐いている。

 しかし、試合内容に関する叙述は、これ以下の部分ではほとんどない。前回のドイツ大会でもトップ記事を書いたウィリアムズが続けて書くのは、次のようなことだ。―イングランドの疲れ切ったベテランたちは、1934年以来最も若いチームを送り込んできたドイツに、戦術、モティベーション、運動量などのあらゆる点で凌駕されていた。ルーニーは、かつての彼自身の幻影に過ぎず、24歳であるにもかかわらず10歳年上に見えた。ベッカム、オーウェン、ジェラード、ランパード、スコールズ、ファーディナンドら、いわゆる「黄金世代」は、結局代表戦では期待されたほどの成果を収められぬまま、終わりを迎えた。サッカー協会はカペッロ監督に、この2年半ですでに2千万ポンドを支払ってきたが、契約上、協会側から解雇することができず、あと1200万ポンドを彼に支払わねばならない。凱旋試合として帰国後にウェンブリーで予定されているハンガリー戦は、赤字になるであろう。そして最後に「しかし、言っておかなければならないことは、ドイツが本当に驚異的だったことだ」――と結ばれている。このように、ガーディアンのトップ記事に書かれているのは、「客観報道」ではなく、このゲームに対する明確な「評価」である。

 紙面全体から感じられるのは、トップ記事に端的に表されている同紙の「立場」が一貫していて、それが以後の記事で事実によって様々な側面から裏づけられている、という点である。今回の敗退報道で言えば、その「立場」とは、およそ以下のように要約できるのではないだろうか。(1)前半37分にランパードが放ったシュートは、ゴールに入っていた。このゴール(入っていれば同点になっていた)が、明らかな誤審によって認められなかったことが、この試合の最大の焦点であった。(2)それでは、もしこのゴールが入っていればイングランドに勝機があったかと言えば、それはきわめて疑わしい。この試合で勝つにふさわしかったチームはドイツである。(3)イングランドの敗因は(グループリーグでの不調も含めて)もっと根深く、複合的である。カペッロ監督の頑固な戦術(特に4―4―2システムへの固執)、すでに30歳を過ぎた「黄金世代」への依存、自国選手が4割に満たない国内トップリーグ(プレミアリーグ)の過剰な商業主義体質による若手台頭機会の激減などが、問題の中心である。(4)2014年ブラジル大会に向けて、これらの問題点を解決するために抜本的な改革が必要である―。膨大な量の記事であるが、基本的にはそのような「論調」を、さまざまな角度から実証しようとするような記事が、ドイツ戦惨敗翌日の紙面を埋めた。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。