稲垣えみ子
2012年07月10日
朝日新聞が発行するメディア研究誌「Journalism」7月号の特集は「橋下現象」をどう報ずるか、です。WEBRONZAでは今回、朝日新聞大阪本社社会・地域報道部次長の稲垣えみ子氏による「世の中が見えていたのは橋下氏」朝日新聞大阪社会部デスクの嘆きをご紹介します。 なお、「Journalism」は、全国の書店、ASAで、注文によって販売しています。1冊700円、年間購読7700円(送料込み、朝日新聞出版03-5540-7793に直接申し込み)です。
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稲垣えみ子(いながき・えみこ)
朝日新聞大阪本社社会・地域報道部次長。
1965年愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒。
87年朝日新聞社入社。週刊朝日編集部、
朝日新聞大阪版編集長などを経て現職。
教育担当デスクとして橋下報道に携わる。
著書に『震災の朝から始まった』(朝日新聞社)。
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「世の中が見えていたのは橋下氏」朝日新聞大阪社会部デスクの嘆き
最近、夕方が近づくと憂鬱が襲ってくる。原因は、大阪の「お客様オフィス」から全デスクのもとに送られてくる、読者の電話やメールをまとめたリポート。
「朝日は橋下の宣伝機関か」
「維新の会の話を垂れ流すのはいいかげんやめろ」
「もう購読を辞めさせていただく」
ああ、またか、と思う。
橋下氏のことを紙面で取り上げるたびにこうした反響がいくつも届くことを、もう何カ月繰り返しているのだろう。
もちろん苦情とはいえ、貴重な読者の声。一瞬ムッとしたとしても、ちょいと深呼吸して冷静にとらえればよいのだ。正面から受け止め、今後の紙面づくりに生かしていく大事なきっかけにしていけばよいのだ。
■同じ記事に寄せられる真逆の反応
だが、コトはそれほど簡単ではないのである。
橋下氏をウオッチしている大阪社会部は当然のことながら、橋下氏を宣伝しようと記事を書いているわけではない。原則は中立だし、もちろん、氏の発言に危惧を感じて記事化することも多い。それでもこの反響なのだ。
さらに事態を複雑にしているのが、同じ記事に対して寄せられる真逆の反応の存在。少しでも橋下氏の問題点を指摘すると、「なぜ橋下さんの足を引っ張るのか」「偏向報道の極み。許せない」という声が、これまた複数寄せられるのである。
要するに、身を粉にして橋下氏のことをがんばって書けば書くほど、苦労して取った特ダネであれ、工夫をこらした独自ダネであれ、地道な橋下ウオッチの結果であれ、いずれも読者の怒りを買い「新聞の購読をやめます」とまで言わしめてしまうのである。わざわざ電話してきて下さるのはごく一部の読者であることを考えれば、どれだけ多くの人が無言で新聞の購読をやめているのかと想像し、背筋が寒くなる。気力が落ち込むのをどうすることもできない。
新聞が売れない時代、これがどれほど大きなことか!
さぼった結果なら努力すればよい。でも、しつこいようだが「努力した結果」なのである。一体どうしろというのか。
いま朝日新聞では、橋下人気が国政に影響を及ぼし始めていることもあり、橋下氏に関する記事を全国で掲載していくことを紙面の「ウリ」にしようという機運がある。大阪発の記事が東京で掲載されるハードルの高さを思えば、大阪のデスクにとってはまことにラッキーな機運であり、ありがたいことである。
だがしかし、正直、とてもじゃないが諸手を挙げて喜ぶことはできない。前述の現象が示しているのは、橋下氏はそんなに甘い存在ではないどころか、諸先輩たちがつないできた新聞の歴史にピリオドを打ちかねない人物ということだ。生きるか死ぬかの闘い―おおげさではなく、日々そう思い知らされている。
このリポートは、悩みに悩みながら橋下氏の記事を発信している現場デスクのつぶやきである。
■四面楚歌のなか涙を流す場面も
まず、私がどのような立場で橋下氏に関する記事とかかわってきたかを簡単に説明しておきたい。
橋下氏が2008年に大阪府知事選を制したとき、私は大阪の地域面の編集長だった。思えば当時の橋下サンは愛らしい存在だったなあ! 当選直後から聖域なき財政再建を打ち出し、文化施設や私学への助成金、市町村への補助金など誰も踏み込まなかった支出の大幅見直しを主張して物議をかもしていたが、議会や庁内に味方は少なく、物事は一筋縄では動かなかった。市町村長との会合では、四面楚歌のなか感極まって涙を流す場面すらあったのである。いま思えば100年くらい前のことのようだ。
個人的には、橋下氏が繰り出す政策にすべて賛成できるわけではなかったが、そのやる気と発想力には尋常でないものを感じていた。何より橋下氏の打ち出す主張は、これまでマスコミが「なあなあ」で済ませてきた根源的な問題への問いかけを含んでおり、決して無視できないものだった。
たとえば「収入の範囲で予算を組む」というまっとうな原則を掲げて補助金をカットしていく氏の施策を記事にするには、果たして何が問題なのかを一から考えなければならなかった。
これまでの新聞は、「お上」という権力を絶対悪とみなし、権力側がすすめる施策でほんろうされる「庶民」の声を代弁していればよかった。だがこれは、「お上」が既得権者と結びつき相も変わらぬ横暴を繰り返すという方程式が成立する場合にのみ有効な手段であった。
橋下氏はそんな方程式には当てはまらない政治家だった。行動を決するのは自らの考える「正義」であり、その「正義」に反する既得権者を容赦なく切っていく。そんな氏と対峙するには、記事を書く側にも自らの「正義」をみつめなおす必要があった。氏が言うとおり自治体にはカネがないのだ。そのうえで、切っていいものは何か、切っていけないものは何か。
正直申し上げて、こんなことをまじめに考えたのは初めてである。ウンウンうなって浮かんできたのは、行政には、民間には果たせない「ほんとうの役割」があるのではないか、ということだ。
採算性を理由に切る、切らないを決めるのは民間の考え方。採算は合わなくても必要なことを担うのが行政なのではないか。その「必要なこと」を見極めれば、橋下流コストカットの是非を論じることができるのではないか。
地方自治に詳しい編集委員に相談し、行革に取り組んだ全国の首長経験者を訪ねて橋下氏の施策を評価してもらうシリーズ「拝啓、橋下知事 これが行革だ!」を書いてもらった(紙面1)。当選直後でアイデアに飢えているであろう知事にも読んでもらい、実際の施策に生かしてもらえれば一石二鳥ともくろんだ。
狙いは当たったように思う。記事を通じて私も考え方のヒントを得ることができたし、知事も熱心に読んだようで、掲載後に編集委員のインタビューに応じてくれた。気分のいい仕事だった。今思えばなんと牧歌的な時代だったことか。
転機となったのは、11年の統一地方選挙だったと思う。
橋下氏は、膠着状態にあった府市再編問題を動かそうと、地域政党「大阪維新の会」を立ち上げた。橋下人気に後押しされ会所属の候補が続々と当選。大阪府議会では過半数を制するに至った。
選挙直後、維新の会が、君が代の起立斉唱を教職員に義務づける全国初の「君が代条例案」を議員提案することを朝日が特報する。
当時、私は大阪社会・地域報道部のデスクに異動し、教育担当を命じられたばかり。正直、驚いた。橋下さんってこういうイデオロギーにかかわる施策を打ち出す人物だったのか。選挙戦では君が代の「き」の字も出た記憶はなかった。これが氏の地金なのか。いずれにせよ「リベラル」「反戦」「護憲」の朝日新聞としては見過ごせない問題だった。
■時代から取り残されたアナクロな朝日新聞?
さてどうしたものか。担当記者と顔を見合わせてため息をついた。
君が代強制は降ってわいた話題ではない。国旗・国家法が制定された後は各地で強制が進み、折に触れ記事化されていた。だが記事はややもすれば教職員組合や護憲派の学者に強制反対を代弁してもらうパターンになり、どうみても読者の心を揺さぶっている気がしなかった。まして「公務員なら決まりを守れ」と平易な論理で押してくる知事に、大所高所から正論をふりかざすだけではなんとも弱い。どうすればいいのか……。
画期的アイデアが降りてくるのを待ったが、もちろん降りてこなかった。不起立教員ではなく、ちゃんと起立している先生の違和感に焦点を当てるとか、そもそもなぜ不起立教員がいるのかを一から戦争体験者に聞くとか。かっこ悪くても、せめて取材者側の必死さが伝わればと願いながらぽつぽつと記事を発信するのがせいいっぱい。
さえない日々の中、あることを思いつく。条例制定は「府民の総意」と繰り返す橋下氏に、争点になったわけでもない君が代強制がホントに府民の総意なのか突きつけようと思ったのだ。維新の会に投票した人は既得権に切り込む橋下氏の改革力に期待したのであって、君が代強制に期待したのではないはずだ。
記者が街に出て、維新の会に投票した人を探し条例への是非を聞いて回った。我ながらなかなかのアイデアだ。
結果は思ってもみないものだった。
30人中26人が「君が代条例に賛成」。当たり前のルールを守れない人が先生をしていること自体おかしいという。
ショックだった。正直、6~7割が「反対」と答えると思っていた。良心的な日本人にとって、国内外に大きな犠牲をもたらした戦争の記憶とつながる国旗・国歌の強制は根源的に受け入れられないものと信じていた。その人たちこそ朝日新聞の読者だと思っていた。
だがそんな人たちは、もはや1割しかいないのだ。良心的な世論をリードしているつもりが、振り返ってみたら誰もいなかったのである。私が想定していた読者像は、自分たちに都合のいい甘いものだった。本当に想定しなくてはいけない読者は、朝日新聞的リベラルな主張を、ウソっぽい、あるいは嫌いだと感じている、世の中の9割の人たちだった。世の中が見えていたのは朝日新聞ではなく、橋下氏のほうであった。
手応えを感じられぬまま、維新の会が過半数を制する大阪府議会でアッサリと君が代条例は可決される。
それにしても、君が代条例の報道は朝日新聞の「独走」であった。「勝った」という意味ではない。他社は一連の経過は報じたものの、その問題性を報じることには無関心にすらみえた。
もしかすると、条例反対にこだわった朝日は時代から完全に取り残されたアナクロな存在なのかもしれない。書けば書くほど読者を失ったのかもしれない。
どちらが正解だったのか。マスコミの役割とは何なのか。
橋下氏は知事を辞任しダブル選をしかける意向を表明。選挙前の2011年夏、維新の会は再び驚くべきものを出してきた。大阪府教育基本条例案。一読して、これは大変なものが出てきたと思った。
■戦後民主主義への正面からの挑戦状
君が代条例が一本の木を倒すチェーンソーなら、教育基本条例はすべてをなぎ倒すブルドーザーだ。
条例案はA4サイズの紙で約30ページに及ぶ。大きな特徴は二つ。
一つは、戦後教育の根幹である教育委員会制度を真っ向から否定したことだ。条例案は「知事は学校が実現すべき教育目標を設定する」とし、続く条項で、教育委員も学校も校長も教員も、目標に向け職務を果たすよう求める。政治と教育が一体化した戦前の反省から、政治家が直接教育に口出しできないようにした教育委員会制度を根底から覆す内容だった。
もう一つは厳しい成果主義。結果を出せなければ、教育委員も校長も教員も、最悪の場合クビになる。学校も保護者の選択にさらし、生徒を集められなければ生き残れない。
何のためにここまでするのだろう。
条例案の前文によると、グローバル社会に対応できる人材を育成するため、過去の教育から決別し時宜にかなった教育内容を実現するのだという。
うーん……。
もしヒットラーのような人が首長になり、排他的・暴力的な教育目標を立てたらどうなるのか。戦前の軍国主義教育で多くの若者が一つの思想にそめられ戦争へ駆り出されたことを思えば、条例は朝日新聞が守り育ててきた戦後民主主義に対する正面からの挑戦状である。
とはいえ、維新の会の主張にももっともなところがあった。教育委員会制度は理念は立派だが、現実は、地元の名士が月1回程度の会議で事務局の報告を受け、ちょこちょこ意見を述べておしまい。政治的中立どころか「放談会」と化しているところがほとんどだった。それを守れと主張するのはいかにも弱い。ここまで形骸化したことを放置してきた自らの怠慢を恥じたがもう遅い。
ああ、何をどこからどうしたらいいんだ! 勝ち目のない戦いから逃げられなかった硫黄島の将軍の気持ちだよ……なんてぐずぐず言っている暇はない。教育班のメンバーと知恵を出し合った。
確認したのは大きく二つ。一つは、まずは何はともあれこの条例案が何なのかを読み解き、伝え、読者に興味を持ってもらうこと。賛成、反対、様々な立場の人の意見を聞きまくって載せていこう。
もう一つは、現場取材を強みにすること。君が代条例のときと同様、識者コメントに頼るだけでは限界なのは目に見えていた。条例ができたら大阪の学校は何を得て何を失うのか。実際に日々格闘する人の言葉が最も説得力を持つはずだ。取材こそ新聞社の強み。当たり前のことだが、追い込まれて改めて原点に立ち返ろうと確認したのだ。
ぽつぽつと発信した記事のなかで最も反響があったのが、条例案を起草した維新の会市議へのインタビューだった。
これは予想外だった。取材の動機は、条例のめざすものがいまいちつかめないので、いっそ書いた当事者に聞くしかない! という単純なもの。「格差を肯定してもエリート輩出をめざす」という答えはあからさまでおもしろかったが、有名人でもないし地味すぎると思った。当初は社会面の掲載を躊躇したほどだ。
だがふたを開けると、有名な論客のインタビューより圧倒的に反響が大きく、「やはりあの条例案は問題がある」という意見がたくさん返ってきた。教職員のあいだで回し読みされたとも聞いた。掲載直後、橋下氏は「維新の会はメッセージの出し方がヘタ」と発言。氏を記事で焦らせたのは初めてだった。
大阪府の教育委員が「条例案が通れば総辞職」と表明したこともあり、テレビの情報番組でも条例案の問題点が批判的に取り上げられ始めた。よしよし、いい流れになってきたぞ……。
甘かった。
条例案の賛否を聞いた選挙前の世論調査の結果は、賛成48%。反対26%。「わからない」ではなく「賛成」ですよ。いったいなぜ、どこに賛成なのか。ショックを受けている間に選挙戦となる。知事・市長選を維新の会が制した。圧勝であった。
■長崎市をルポし、米国へ記者を派遣
ダブル選後、連日の「ぶら下がり会見」で知事と市長が繰り出す情報の洪水に、連日、各紙のトップ記事に橋下氏の主張が掲載され始める。それとともに「朝日は橋下の宣伝機関か」という読者の苦言が増え始めていた。
そうは言われても、氏の発言を無視することはできなかった。維新の会はダブル選で大阪府市の首長の座をとったうえ、府議会では過半数を占め、市議会でも他党との距離を急速に縮めつつあった。氏が施策を打ち出せば実現する確率が飛躍的に高まったのである。それを思えば、たとえ思いつきレベルのものであっても発言は重要であった。
だが毎朝夕尽きることなく記者の質問に答え続ける氏は次々と刺激的な発言を繰り返す。発言に耳をすまし、他社がどう書いてくるかに神経をとがらせていると、吟味したり批判的に検証したりする余裕はどんどんなくなっていく。
教育班にとっても、ダブル選後にどう記事を書いていくのかは頭の痛い問題だった。選挙で橋下氏らに投票した全員が氏の教育施策に賛成しているわけではないと思う。漠然とした期待で投票した人も、別の施策に期待して投票した人もいるはずだ。とはいえ、氏の教育施策に大きな危機感を抱いていたなら投票しなかっただろう。賛成とはいえないまでも大反対ではない、もちろん大賛成という人もいる……そんな人たちに向かって、氏の教育施策を批判し続けるだけでは反感を買うだけではないか。
教育班が再びアタマを付き合わせた。結論は、「条例案が成立するまでは問題点を指摘し続ける」。条例案に賛成の人が多いとしても、中身をきちんと知ったうえで賛成なのか。なんとなく賛成という人も多いのではないか。負け惜しみにも思えたが、とにかく記者たちは再び街へ散った。道行く人に教育基本条例案の中身をどのくらい知っているか、道ばたでインタビューを繰り返した。
すると、30人のうち約半数が「条例案のことはよく知らない」。知っていると言った人も「中学校で給食を出すやつ」など3人が勘違い(我々が選挙前に書いてきた条例の記事は全然読まれてなかったということですね。フクザツ)。全員に条例案の骨子を説明したうえで改めて賛否を尋ねると、賛否は大きく分かれた。やっぱり! 書かねばならないことはまだあるのだ。
是非を問うインタビューを改めて連載。学校を保護者の選択にさらす学校選択制廃止を打ち出した長崎市をルポ(紙面2)し、成果主義が行き詰まったアメリカへも記者を派遣した。いずれも現場の声を基にした説得力のある記事が発信できたと自負しているが、思うような反響が返ってきたわけではない。条例に反対の先生たちは「よく書いてくれた」と言ってくれる。だが読者からは「橋下さんを否定するような記事はおかしい」「結論ありきの記事はやめろ」「偏向朝日」という批判が寄せられた。と思えばなぜか「朝日はなぜ橋下の批判をしないのか」というお叱りも受けるのだった。
時代は明らかに橋下氏の味方だった。何をどう書いたら読者に届くのか、どんどん見えなくなっていった。
■橋下ファンも納得できる批判記事をめざす
そんな中、わずかなヒントをくれた記事がある。
条例案の中に、体罰肯定とも受け取れる条項がある。最初に知ったときは「とんでもない」と思ったが、維新の会の議員に聞くと、荒れた学校で暴れる生徒を指導する先生に最低限の手段を与えようと考えたという。一理あると思った。そこで、維新の会の意図を紹介したうえで、体罰と向き合う現場教師に条項をどう思うかをインタビューすることにした。結論は読む人にゆだねた。
いっぷう変わった記事だったが、肯定的な反響が多かった。なぜか判で押したように「朝日はこれまで橋下の宣伝記事ばかり書いてきた(全然そんなことないのに!)が、ようやくきちんと批判してくれた。よかった」と。
なぜこの記事が、わずかでも読者の心に届いたのだろうか。
他の記事と違っていたところがあるとすれば、維新の会の問題意識を肯定する記述を書いたこと。にもかかわらず読者は、ストレートな批判記事よりこの記事の方を「きちんと批判してくれた」と受け取ったのだ。
そうか。選挙前に市議インタビューが反響を呼んだときと同じかもしれない。
批判しようと思ったら、いったん「肯定」するところから出発しなければいけなかったのだ。考えてみれば、人間関係でも同じことである。イヤな上司がいたとしよう。その上司に正論を掲げて反発するほど関係はこじれ、ますますイヤな上司になっていく。そうではなくて、受け入れがたい命令も、なぜそんなことを言うのか考え、ナルホドといったん肯定してみる。そのうえで対案を示したり相談したりすれば、ものごとはよい方向に進んでいきますよね。
そうか。橋下ファンでも納得できるような批判記事をめざすべきだったのだ。さらに言えば、仮想読者を橋下市長と考えたらどうだろう。ヒステリックな反論を引き出したら負け。「自分の考えとは違うが一理あるかもしれない」と思わせたら勝ち―そう狙って仕上げた記事が、君が代条例でクビを宣告された高校教師の人となりをとりあげた「不起立は罪ですか」だった。
君が代条例をめぐり、橋下氏と朝日新聞は対立に終始してきた。だが今回は、条例が抱える暴力性について、1ミリでもいいので橋下氏の心に届かせるにはどうしたらいいかを考えた。
まずは朝日の負けを認めるところから始めよう。
不起立教員のことを取り上げると「なぜそんな教師の肩を持つのか」という反応がたくさん返ってくる。朝日の問題意識を共有する人は今や少数派である。それでもやっぱりこの先生のことを書いておきたい―。そんな前文を書いた。
記事が橋下氏の心に響いたかどうかはわからない。
だが、過去に発信したどの記事より多くの読者から肯定的な反響を受けたのである。君が代の記事でこんな反応が返ってくるのはホント奇跡的なことなんですよ! この方向性は間違っていない。そう信じることだけが今の心の支えだ。
それにしても苦しい闘いである。日々「負けねーぞ」と思っているが、負けている。それも圧倒的に。
■商売のタネになるような生やさしい相手ではない
最後に、橋下報道を間近で見て感じていることを整理しておきたい。
橋下氏とは朝日新聞にとってどういう存在なのか。橋下氏を積極的に紙面に載せて全国の読者をひきつけていこうという社の方針には全面的に協力していきたいが、氏は商売のタネになるような生やさしい相手ではない。朝日新聞が生きるか死ぬかの戦いの相手と考えた方がいい。
理由は主に二つある。
一つは、橋下氏が世間から喝采をあびている大きな理由のひとつが「既得権益の否定」だが、これまで「リベラル」と言われてきた層も既得権者としてターゲットにしているのが橋下流。そのリベラルの親玉が朝日新聞なのだ。
私自身リベラルだし、その価値を心に抱いて記者をしてきたし、これからもそうしたいと思っている。だが今世間は、インテリ業界が戦後の長い時間のなかでためてきた澱のようなものを敏感に感じ取っている。きれいごとを言い、上から目線で、一皮めくれば既得権化しているのにエラそうに説教をたれる―。そこを橋下氏は明確に突いてくる。彼の発言の前ではよほど肝を据えてかからねば、リベラルはどんどん陳腐化してしまう。朝日新聞が裸の王様にされかかっていることを自覚しなければならない。我々は少数派であり、勝ち目の薄い挑戦者である。それでもやるかどうか。
もう一つは、「特ダネ主義」から脱却する勇気が持てるかどうか。
隠されてきた情報を取るのが特ダネである。だが橋下氏は基本的に隠さない人で、思いつきの段階から発信し、議論の過程もどんどんオープンにしている。新聞記者が想定してこなかった形だ。この情報洪水を前に、従来のように「他紙に載ってウチに載っていないとマズイ」「他紙より扱いが悪いとマズイ」といったコップの中の勝ち負けの論理で動くと、いつのまにか紙面は橋下氏の発言で埋め尽くされ、気づけば読者に見放される結果を生みかねない。相手は「他紙」ではなく「橋下氏」なのだ。管理職も含め、これまでの成功体験を捨て、その覚悟を持てるだろうか。誰に向かって、今なぜ、この記事を書くのか。その思いの裏付けのない記事を発信してはいけないのだ。
紙面を見返すと、これは橋下報道に限る問題ではない。我々全員が「グレート・リセット」を迫られているのだろう。
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