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普天間問題の打開策を探るメディアの役割とメディアへの期待―「Journalism」2月号より―

長元朝浩(沖縄タイムス社論説委員長)

 朝日新聞が発行するメディア研究誌「Journalism」2月号の特集は「沖縄報道を問い直す」です。WEBRONZAではこの中から、沖縄タイムス社論説委員長である長元朝浩氏の「普天間問題の打開策を探る メディアの役割とメディアへの期待」をご紹介します。「Journalism」は、全国の書店、ASAで、注文によって販売しています。1冊700円、年間購読7700円(送料込み、朝日新聞出版03-5540-7793に直接申し込み)です。2月号はただいま発売中です。

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普天間問題の打開策を探る

メディアの役割とメディアへの期待

長元朝浩(ながもと・ともひろ)

沖縄タイムス社論説委員長。1950年沖縄県生まれ。

東京外国語大学中退。東京都庁を経て、74年沖縄タイムス入社。

編集委員、学芸部長、九州大学助教授(出向)、

編集局長、東京支社長、取締役論説委員長などを経て現職。

 

 

拡大紙面1 沖縄タイムス2012年5月15日「社説」

 沖縄の本土復帰(施政権返還)からちょうど40年にあたる2012年5月15日、沖縄タイムスは次のような社説(紙面1)を掲げた。

 「この40年を通して本土と沖縄の心理的距離は、今が一番開いているのではないだろうか。基地問題をめぐって『心の27度線』が浮上しつつある」

 27度線というのは、対日講和条約によって日本本土と沖縄が分離された時期の、洋上に引かれた「国境線」のことである。

 基地問題をめぐる本土と沖縄の意識の溝は、一時期、流行語のように使われた「温度差」のレベルをはるかに超えてしまった。復帰後、最悪の状態だと言っていいと思う。

普天間問題の「国民化」 ジャーナリズムの役割

 朝日新聞社と沖縄タイムス社が昨年実施した県民意識調査によると、沖縄の基地が減らないのは本土による沖縄差別だと思うかとの問いに50%が「その通り」だと答えた。毎日新聞社と琉球新報社が実施した世論調査では、沖縄に米軍基地が集中している現実を「不平等」だと感じている人が69%にのぼった。NHKの世論調査では、本土の人は沖縄の人の気持ちを理解していると思うかとの問いに対し、71%が「理解していない」と答えている。驚くべき数字だ。

 県民の対政府感情、ヤマト観が悪化しただけではない。本土側の沖縄を見る目も同時に変わった。東京外国語大学教授の山田文比古氏は、外務省の西欧第一課長、駐フランス公使などを務めた元外交官。1997年から沖縄県知事公室に出向、99年から00年まで、沖縄県サミット推進事務局長として沖縄県庁に勤務し、基地問題にも携わった。外務省の事情も沖縄の県民感情も知り尽くした人だ。山田氏は、雑誌「世界」の12年6月号に「沖縄『問題』の深淵―むき出しになった差別性」という論文を寄せ、こう書いている。

 「本土復帰40周年を迎えようとする沖縄に対し、本土から向けられる視線は、かってないほど冷淡である。単に冷たいというだけでなく、無関心も広がっている。国民の間には、公には表出されないまでも、沖縄の基地問題はもういい加減にしてほしいと、突き放した見方すら出始めているように感じられる」   

 どうしてそうなってしまったのだろうか?

 本土の視線が「かってないほど冷淡」になり、「もういい加減にしてほしい」という突き放した見方が広がっているのはなぜなのか。沖縄の反対行動を「地域エゴ」だと否定的に評価する本土学生がいると聞いて、言葉を失ってしまった。なぜ、こんなことになってしまったのか。

 普天間問題には日本、米国、沖縄3者それぞれの中に多くのステークホルダー(利害関係者)がいる。問題は極めて複雑で、簡単に解けるような連立方程式ではない。鳩山由紀夫元首相が追い詰められていくのを副総理として政権内部で見ていた菅直人氏は、首相就任前、「基地問題はどうにもならない」「沖縄は独立したほうがいい」と、沖縄選出の喜納昌吉前参院議員に思わず弱音を吐いた。安易に触れれば火傷するのを知っているから政治家は次第に普天間を敬遠するようになり、普天間のことを口にしなくなった。触らぬ神に祟りなし、というわけだ。

 政治家が敬遠すれば官僚の独壇場だ。選挙で選ばれたわけでもない官僚が移設問題を差配する限り、辺野古移設以外の選択肢は出てこないだろう。自分たちが苦労してまとめた計画なのだから。かといって、沖縄の声を無視して移設を強行すれば政府と沖縄の関係は決定的に悪化し、そのことが日米関係そのものに悪影響を与えるのは確実である。

 さて、どうしたものか。

 昨年は、日中国交正常化40周年の節目の年でもあった。だが、尖閣諸島の領有権をめぐる対立が表面化し、両国の関係もこの40年で最悪の状態にある。普天間問題やオスプレイ配備をめぐって本土と沖縄の間に浮上している「心の27度線」と、尖閣をめぐって表面化している日本と中国の対立は、複雑に絡み合いながら、どう対応すればいいのかの判断を国民に迫る。辺野古移設の必要性を強調するために、政府が意図的に普天間問題と尖閣問題、オスプレイ配備と尖閣問題を絡めてきているという側面も見逃せない。

 ことほどさように沖縄を取り巻く環境は厳しくなるばかりだが、沖縄の声が国民に届いているとは言い難い。沖縄の声はなぜ本土に伝わらないのだろうか。本土と沖縄の間にこれほど深い溝ができたのはなぜなのだろう。このテーマは本来、ジャーナリズムが追求すべきものだ。何が問題なのかを分かりやすくえぐり出し国民の前に提示して普天間問題を「国民化」していくこと。それがジャーナリズムの役割である。住民と一番近い距離にいる全国の地方紙はその点、基地のあるなしにかかわらず、沖縄の声を積極的に拾い上げ、報道しているように感じられるが、辺野古移設を主張する本土大手メディアの中には、そもそも「心の27度線」が存在するということ自体に対する関心が薄いように見える。

沖縄問題に対する「本土の冷淡な視線」

 菅直人政権が誕生した直後、本土大手メディアの政治部幹部が東京都内で講演した。「菅首相が日米共同宣言を踏襲したことは良かった。日米関係の修復を図る上で上々の滑り出しだ」と評価したらしい。講演を聴いて疑問を抱いた沖縄タイムス東京支社編集部長が「普天間問題は終わったのか」と質問すると、くだんの幹部は「残されたのは沖縄を納得させる内政問題だ」と答えたという。

 この人の考え方は、永田町、霞が関界隈では、常識に属する考え方なのだと思う。自分の考えに対してほとんど何の疑問も持っていないのは、政治家、官僚、マスコミの間で、このような見方が共通認識になっているからだろう。

 迷走を続けた鳩山元首相のことを本土の記者は、記者同士の会話の中で「国賊」と表現して切り捨てた。だが、東京の常識は沖縄の常識と違う。

 外交官だった山田氏が「本土の冷淡な視線」を感じ取ることができたのは、沖縄勤務経験があり、かつ霞が関や永田町から距離を置いていたからに違いない。

 国際政治学者の坂本義和氏は書いている。

 「『国民的』関心が驚くべき低さを示しているのは沖縄問題である」

 「本土の国民の冷淡さによって沖縄の住民は何度か裏切られ、失望を味わってきたといわれているが、本土の人びとの中に、その無関心自体が背信なのだという自覚が果たしてどれだけあるだろうか」

 種明かしをすれば、坂本氏がこの「革新ナショナリズム試論」という論文を発表したのは、60年安保闘争の直後、60年のことだ。半世紀以上も前に書いた文章が今もそのまま通用するとは一体、どういうことなのか。

 本土の大手ジャーナリズムは歴史をひもといて、そのことを問いかけてほしい。坂本氏はこの中で、軍事基地をめぐる闘争は、特定の集団や地域を超えて、国民として体験を分有することが難しく、非当事者からの国民的支援が得られにくい、と指摘する。砂川闘争が国民的運動となり、政治の焦点になったのは「抵抗運動が国家権力の中枢に近接した地域で行われた」からだという。

 沖縄の海兵隊(第3海兵師団)は、もともと沖縄に駐留していたのではなく、55年から57年にかけて本土から沖縄に移駐してきた部隊である。そのしわ寄せで本島北部の土地が新規接収され、沖縄本島の米軍基地の総面積は4900万坪から9700万坪へほぼ倍増した。当時、渡日代表団として要請行動に参加した立法院(現在の県議会)議員は出発に際し、「日本政府としても日本全体の問題として取り上げていただきたいと思う」と語っている(鳥山淳「1950年代の米軍基地問題をめぐって」)。

 だが、政府にその意思はまったくなかった。61年に来島した米国の沖縄調査団(団長=カール・ケイセン大統領特別補佐官)は帰国後、報告書をまとめ、こう指摘している。

 「日本政府は、その安全保障に寄与し、しかも米軍基地を国内に置くことから生じうる政治問題を避けることができるという理由から、沖縄の米軍基地を歓迎している」(宮里政玄『日米関係と沖縄 1945―1972』)。

「95年安保」と呼ばれた沖縄の異議申し立て

拡大米兵の女性暴行事件に抗議して開かれた集会=1995年9月26日、沖縄県宜野湾市の普天間小で、山谷勉撮影

 沖縄返還の際、那覇基地(那覇空港)に配備されていた米海軍の対戦哨戒機P3Cを山口県・岩国基地など本土の基地に移駐する案が米側から提起された。福田赳夫外相は、本土の基地に移転した場合、政治的問題を引き起こすと指摘し、沖縄の別の基地に移転するようロジャーズ国務長官に要請した。P3Cが嘉手納基地に移駐したのは、こうした裏交渉の結果である。そのような考え方が、今も続く国家意思だといっていい。

 95年に沖縄で起きた女性暴行事件は、沖縄県民だけでなく本土の国民にも大きな衝撃を与えた。日本人の民族感情と人権意識を同時に刺激し、坂本流に言えば、国民としての体験が分有された。

 沖縄の異議申し立ては全国で大きな反響を呼び、「95年安保」(筑紫哲也氏)という呼び名さえ生まれた。全国的なうねりの中で日米特別行動委員会(SACO)が設置され、大田県政の強い要望で実現したのが普天間返還合意である。当初、普天間返還は米軍再編とは何の関係もなかった。

 50年代、石川県の内灘と並んで接収の候補に上がった愛知県の伊良湖浜は、最終的に接収を免れた。そのとき、一少女が書いた文章を坂本義和氏が紹介している。石川県に決まったと聞いてその少女は、こんなふうに感じたというのだ。

 「そのあさは、おいしくごはんをたべて学校へいきました。みんなのかおも、うれしそうにニコニコしていました。でも石川けんの人たちが、とてもかわいそうに思いました」

 少女は期せずして、普天間問題の核心を射ぬいた、というべきだろう。県外の移設先探しが浮上したとたん、どの地域も、沖縄に同情を寄せつつ、自分のところに火の粉がかからないようガードを堅くしてしまった。安保には賛成だが自分の庭に持ってきては困る、というNIMBY症候群が全国で顕在化した。

 沖縄の人たちが心底から腹を立てているのは、本土自治体、本土市民がノーといえば簡単に計画を引っ込めるのに、沖縄側がオール沖縄の民意を突きつけて反対しても県内移設、オスプレイ配備を強行しようとする、そのような差別的処遇に対して、である。抑止力だの地理的優位性だのと蜃気楼のような話を持ち出して沖縄への基地押しつけを正当化し、住民の憤りや呻吟には無頓着な「安保ムラ」の人びとに対して、である。その論理に従うと、沖縄は未来永劫、基地と共に生き続けなければならないことになる。

本土大手紙と決定的に異なる地元紙の立場

 10年7月、普天間爆音訴訟の控訴審判決を受けて開かれた原告団の会見で、島田善次団長は大手メディアの記者に対して憤懣を爆発させた。

 「あなたたちは司法よりもたちが悪い」

 「鳩山(首相)が県外と言ったときに日米同盟が破綻すると朝日新聞をはじめ各新聞が騒ぎ出した。破綻、破綻と騒ぐばかりで、読むに耐えない」

 島田団長だけでなく、この時期、多くの県民が大手メディアに対する不満を口にした。米国勤務経験のある大手メディアの記者はしばしば米国のリチャード・アーミテージ元国務副長官やマイケル・グリーン元国家安全保障会議アジア担当上級部長らおなじみの「元高官」の声を取り上げ、彼らの口を借りて同盟の危機をあおり立て、鳩山政権の対応を責め立てた。

 鳩山首相のあまりにも拙劣な対応や、迷走に迷走を重ねた挙げ句、辺野古に回帰した責任は重い。批判されて当然だと思う。だが、移設先を模索する鳩山首相の対応を批判し続けてきた本土大手紙と、期待が大きかったがゆえに批判した私たちの立場は、決定的に異なる。

 政権選択をかけた選挙で「最低でも県外」だと公約し、政権獲得後、民主党・社民党・国民新党と交わした連立政権合意書の中でも「沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」ことを確認したのである。選挙公約や3党合意に基づいて日米合意を見直し、新たな解決策を模索するのは至極当然のことではないか。

 鳩山氏挫折後に首相に就任した市民派政治家の菅直人氏は、所信表明演説で国際政治学者・永井陽之助氏の名前を持ち出して「現実主義を基調とした外交を推進」することを明らかにした。米国を強く意識した発言だ。「お兄さんが迷惑をかけてしまいました。もうあんなことはしません」と米国に謝っているようにも聞こえる演説だった。

 現実主義の学者として知られる永井氏は、現実主義と現実追随主義を区別していた。『平和の代償』の中で、沖縄の過重負担に本土が無頓着になっていることに警鐘を鳴らし、次のように指摘した。66年のことである。

 「いかに詭弁を弄しようとも、現在われわれが日々享受している〝平和〟なるものが(中略)、防共最前線に立つ南ベトナム、韓国、台湾、沖縄など、多くの地域住民の巨大な軍事的負担と、犠牲の上にきずかれているという、きびしい反省がなければならない」

 永井氏の痛切な指摘は、現代の現実主義者に届いているだろうか。

 復帰前の古い話をあちこちの文献から引っ張りだしてきたのは、沖縄の基地問題を語る場合、沖縄戦とその後の沖縄現代史に対する理解が不可欠だからである。取材相手の政治家や官僚に「落としどころは?」と、恥ずかしげもなく聞くような表層的な関わり方では、とても基地問題の勘所をつかむことはできない。政局報道に明け暮れていては、今もなお、戦争のトラウマを抱える沖縄のお年寄りの心のひだに触れることはできない。

 ジャーナリズムとして今、何ができるのか、何をなすべきなのか。

ワシントンに常駐記者 沖縄がらみの記事を配信

 筆者は80年代のカーター、レーガン政権時代に基地問題を担当した。ジェーン年鑑を車に詰め込み、毎日、嘉手納基地やキャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセンなどの米軍基地を見て回った。国際情勢が大きく変化すると、連動して沖縄基地も変わる。その変化をいち早くつかんで事実を報道し、解説で意味づけをする。世界とつながっているという実感の持てる仕事だった。しかし、政府発の基礎的な情報は共同通信の配信記事や大手メディアの記事に頼らざるをえなかった。日常的に現場の空気に触れているという意味では地方紙記者のほうが外務・防衛詰めの大手紙記者よりもはるかに有利だが、外務・防衛詰め記者は情報発信源の近くにいて、発信源に容易にアクセスできる。その点では大手紙記者が有利だ。

拡大転換モードで飛行するオスプレイ=2012年10月1日、沖縄県宜野湾市で、溝脇正撮影(本社ヘリから)

 逆に言えば、中央の記者は、現場を持っていないがゆえに、現場をあまり知らない。普天間飛行場にどのような機種が何機配備され、日々、どのように運用されているのか、海兵隊の部隊展開はどのようになっているのか、多くの場合、資料でしか知ることができない。空を仰いで「あれが隊長機だ」といえるのは地元紙記者である。「きょうの騒音はひどい。いつもと違う」と、住民と同じ目線で語ることができるのは地元紙記者である。

 普天間問題が表面化してから、情報発信源から遠く離れた地方紙の不利性をいかに克服するかが県内2紙の課題になった。この問題に最初に取り組んだのは琉球新報だった。

 米ワシントンに常駐記者を配置し、大手紙のワシントン支局が送信しないような沖縄がらみの記事を送るようになった。遅れて沖縄タイムスも、有能な女性ライターと契約を結び、米国での取材体制を整えた。「ネタ元を明かせば、やっぱりアーミテージ氏かグリーン氏」ということの多い大手メディアと違って、タイムス、新報両紙の米国発の記事は、沖縄の読者が知りたいことに答えようとするもので、問題意識の違いはあきらかだった。米国発の情報が本土大手メディアの独占物ではなくなったのである。沖縄側からみれば、これは革命的変化であった。

地方紙ネットワークを生かした貴重な試み

拡大紙面2 沖縄タイムス2010年1月1日「安保改定50年 米軍基地の現場から」

 沖縄地元紙のもう一つの悩みのたねは、購読者が基本的に県内読者に限定されていることである。発行部数が少ないということは、政治的影響力に直接影響する。

 部数1000万部を誇る読売新聞は10年1月25日付社説で、名護市長選の結果を取り上げた。普天間飛行場の移転問題が最大の争点となった名護市長選で、反対派の新人稲嶺進氏が当選したにもかかわらず、社説の見出しは「それでも辺野古移設が最善だ」とあった。いくらなんでも、それはあんまりだ。  

 全国紙の東京版には報じられない事件事故も多い。報じられない事件事故は、なかったのと一緒で、問題になっていること自体分からない。どのような報道をしたかということと同時に、何を報じなかったのかという問題も、同じく重要だ。沖縄の声を広く国民に伝えていくにはどうすればいいのだろうか。

 地元両紙が取り組んだのは他の県紙との連携だった。沖縄タイムスは米軍基地のある神奈川新聞、長崎新聞と連携、10年1月から6月まで合同企画「安保改定50年 米軍基地の現場から」(紙面2)を連載。琉球新報は高知新聞と提携、新報の記事を高知新聞に転載するようになった。地方紙ネットワークを生かした基地問題の転載事例は徐々に広がっている。

 沖縄2紙と共同通信社は11年、普天間交渉の裏舞台を合同取材で検証し、「なぜ沖縄の基地が減らないのか」を多角的に報じた。鳩山元首相の「抑止力は方便」(紙面3)との発言を引き出したのは、この企画取材を通してである。

 全国の多くの県紙が沖縄の基地問題を「日本全体の問題」として位置づけ、中には基地がないにもかかわらず、紙面を大きく割いて報道している。国民としての「体験を分有」することができるのは、地方紙だからだと思う。

 国民をつなぐ紐帯が細くなり、利害を異にするばらばらな個人が浮上している今、地方紙ネットワークを生かしたこれらの試みは貴重だ。一連の取り組みは、世論形成という点でも、一定の成果を上げたと思う。

拡大紙面3 沖縄タイムス2011年2月13日1面

 本土大手紙には、積極的な思考実験によって選択肢を広げるような試みを期待したい。辺野古移設を強行すれば政府と沖縄の亀裂は決定的となり、沖縄基地は「敵意に囲まれた基地」として不安定化せざるを得ないだろう。「敵意に囲まれた基地」は機能しない。基地問題の解決によって沖縄の実質的な負担軽減を実現し日米関係を安定させることが抑止力の向上につながる。20世紀の冷戦型思考法ではなく、そこに住む住民の安全や生活の質の維持、平和的生存権に配慮した21世紀型の基地政策を打ち出すときである。

信頼のジャーナリズムへ脱皮求められる新聞

 沖縄の海兵隊(第3海兵遠征軍)は、日本防衛を主任務とした部隊ではない。ましてや尖閣諸島有事の際、中国軍と一戦を交えるために配置された部隊ではない。彼らは年の半分以上を沖縄以外で過ごしている。たとえば、沖縄残留が予定されている戦闘部隊の第31海兵遠征隊(31MEU)をグアムに移し、県内に代替施設を建設せずに普天間を返還する。その代わり、日本が高速輸送船を提供するなど何らかの形で米軍にメリットを提供する。思考停止から脱却し、中国の台頭という現実も踏まえて、どのような方法があるか、を考え抜くことが今、ジャーナリズムに求められている。

 県内には、不平等な処遇に対する反発から本土移転を求める声は依然として根強い。しかし、ヘリ部隊と地上部隊をセットにした本土移転は、鳩山政権の失敗が証明したように、極めて難しい。A地点からB地点に移すというような平面的な発想では、すぐに壁にぶつかり、その挙げ句、辺野古に回帰するほかないだろう。 オスプレイ配備や辺野古問題が地元紙のメーンテーマになっている以上、地元紙の紙面が基地報道中心になるのは避けられない。ただ、基地に関する記事が連日、紙面をにぎわし、生活記事が削られると、読者に「基地ゲップ」が生じるおそれがある。生活報道に配慮したバランスの取れた紙面作りがこれまで以上に求められることになるだろう。

 本土大手紙であれ地元紙であれ、ジャーナリズムを支え、経営を支えているのは読者の「信頼」である。信頼のないジャーナリズムは存立しえない。普天間や原発報道で浮上したのは、新聞と権力の距離があまりにも近いため、「権力監視」という最も大切な役割を見失っているのではないか、との市民からの指摘である。

 普天間報道を通して沖縄の人びとは、新聞ジャーナリズムのいいところも悪いところもより深く知るようになった。新聞の側も一皮むける必要があるのではないか。読者の信頼を確かなものにするためにも。

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