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ウオッチドッグかプードルか、絶対多数政権下で問われるメディア

金平茂紀(TBSテレビ執行役員)

 僕がワシントンに駐在していた時のことだ。ジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)が大統領選挙で再選を果たし、2期目に入ったばかりの頃、最初の外国からの賓客として迎えたのがイギリスのトニー・ブレア首相(当時)だった。

 2004年11月12日、ホワイトハウスでの首脳会談の直後に共同記者会見が行われたのだが、質問の最初の口火を切ったのはイギリスからブレア首相に同行してきた新聞記者だった。

 「大統領にお聞きします。ブレア首相はあなたのプードルですか?」

 たまたまその日、ホワイトハウスの屋外の会見場所にいた僕は、それを聞いて正直、驚いてしまった。

 〈へえ、首相の同行記者の最初の質問がこれなんだ! 日本じゃ考えられないよな〉

「監視」しそこねてきたメディアの歴史

 当時、ブレア首相はイギリス国内で、アメリカ主導のイラク戦争に積極的に加担した責任を問われ、支持率が大幅に低下し苦しんでいたのだった。

 イギリス国民のそうした反戦の民意をブッシュ大統領にぶつけた記者魂には敬服するしかなかったのだが、こんなエピソードを思い出したのは、実は1月27日にBS-TBSで放送された『筑紫哲也 明日への伝言~残日録をたどる旅』という番組のなかの1シーンに目がとまったからだ。

 テレビというメディアがジャーナリズムの一端に位置しているのならば、その果たすべき重要な役割のひとつはウオッチドッグ(watchdog)=「権力を監視する番犬」でなければならない。そのようなことを記した筑紫さんの手書きのメモが、テレビ画面に映し出されていた。

 その通りだ。僕らは生前の筑紫さんがそのことを口にするのを何度も聞いてきた。メディアは強い権力の行使のされ方を、チェック=監視する役割を果たさなければならない。

 強い権力とは何か。それはある時は、警察や検察といった司法権力であったり、ある時は多国籍企業や大企業であったりするのだが、もっとも身近にある強大なものは政治権力だ。政治権力の動向を監視する役をつとめるということは、言うのは簡単だが容易なことではない。

 近現代のメディアの歴史をたどると、政治権力を監視しそこねてきたことがまるでメディアの歴史であるかのような錯覚さえ覚える。政治権力と一体化したメディア、政治権力の内部広報機関化したメディア、大本営発表をそのまま垂れ流してきたメディアの痛恨の歴史がそこにはある。自国のことばかりを言っているのではない。どこの国においても、そのようなメディアの歴史をみることができるのだ。

 昨年末のあわただしい総選挙の結果、政権が再交代した。それまでの民主党政権下のマスメディアと政治権力の関係が、政権交代でどのように変化したのか。あるいは変わっていないのか。そのことをしっかりと吟味するにはまだ時間が必要なのかもしれない。

新政権のルール変更はプラスかマイナスか

 ただ、すでに顕著な変わり方をしたことのひとつに、総理大臣への取材ルールというものがある。政治の最高権力者である総理大臣への取材は、これまで内閣記者会のルールが長年機能してきて、半ば慣例化していた。内閣記者会加盟の活字メディア(新聞・通信社)とテレビメディア(NHKと民間放送)が話し合って、新聞とテレビが交互に順番を決めて総理への取材にあたるのである。

 例えば、新聞―テレビ―新聞―テレビというように。活字メディア内、テレビメディア内でもそれぞれ順番が決まっていた。一例にすぎないが、テレビで言えば、NHKの次は日本テレビ、次はTBS、さらにフジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京というようなチャンネル順であったりした。

拡大読売新聞2012年12月29日付朝刊

 それが昨年末に一変した。総理側が個別に申し込みのあった新聞やテレビのうちいくつかに、旧来のルールに則らないスタイルで応じたのだった。まず12月29日付の紙面で読売新聞が安倍総理との単独会見の記事を掲載(紙面)、翌12月30日にはTBSが総理官邸で単独インタビューをして放送された。さらにその翌日の12月31日付の紙面で産経新聞が、今年1月1日には中国新聞が総理との単独会見を掲載した。

 どのような経緯でこのようなことが実現に至ったのか、僕はその詳細を承知していないが、これらの動きは先に記したような旧来の内閣記者会の取材ルールに則ったスタイルではないことは明らかだった。当然、内閣記者会ばかりかマスメディア各社には相応のインパクトが走っただろう。

 こうした事態を受けて、内閣記者会では年明けに総会が開かれ、旧来の持ち回り取材ルールが事実上崩壊した(業界俗語では「チャラになった」)ことが確認された。活字メディアとテレビメディアそれぞれが、今後の取材ルールについて協議を重ねたようだが、「現政権下においては旧来の取材ルールは凍結する」という微妙なニュアンスを残した形で、コンセンサスが辛うじて成り立ったようだ。

 この取材ルール変更が今後、どのような効果や影響をメディアに及ぼすのか。即断するのはまだまだ困難だが、原則論でいえば、総理大臣に対する自由な取材の機会が増えるのであれば、メディア側にとっては決してマイナスではない。

 しかし、その一方で、取材のオファーがあったメディア各社のどこが選択されるのか、取材の諾否を決定する権限はそもそもどこに帰属するのかと考えると、旧来の取材ルールとは根本的に異なる構図が出来上がったことも事実である。

 仮にも最高の政治権力者である総理大臣の場合、取材の機会の公平性や平等性といった点も当然配慮されなければならないだろうし、恣意的なメディアの選択が行われた場合、メディアと権力者側との距離やメディア自体の立ち位置という問題が顕在化することになる。

メディア・ポリティクスの「癒着」と「圧力」

 時の政治権力にとって都合のいいメディアにばかり露出していると、そこにある種の「癒着」が生じかねず、メディア側のウオッチドッグとしての機能が失われ、場合によっては権力者のプードルに堕すことさえあろう。このような実例は過去にもあった。僕が想起するのは、アメリカに住んでいた当時垣間見た、テレビと政治家との親和的な関係である。

 アメリカの最高政治権力者は言うまでもなく大統領だ。かの国においては、大統領はグレート・コミュニケーターであることが必須の要件である。個人の人柄にもよるが、大統領はかなり積極的にメディアに露出して、市民とのコミュニケーションにつとめていることをアピールし続けている。デビッド・レターマンやジェイ・レノといった人気ホストの夜のトーク番組には、タイミングを見定めながら折々出演していた。

 大統領をめざしていた頃のバラク・オバマが、オプラ・ウィンフリーという超人気黒人司会者のトーク番組に出演して話題を呼んだことがあった。当時はこの番組への出演自体が、民主党支持の黒人有権者に大きな影響を与えたと言われていた。オプラはその後もオバマを支持し続けて、大統領選挙のキャンペーンにも駆け付けるなど、明確な「応援団」の役を演じることになったのだが、そのあまりの接近ぶりに、共和党やメディア関係者らからは冷ややかな見方が出たことも事実である。

 日本とアメリカではもちろん文化事情が異なるが、メディア・ポリティクスの極限型を日々見る思いをした。率直に言えば僕は、アメリカと同じような事態が日本で起きるのは好ましくないのではないかと思っていた。

 その最大の理由は、日本では放送や報道の独立という基盤が欧米に比べてまだ脆弱なのではないか、という危惧が強いからだ。報道・放送内容に政治が介入してきた例を僕自身は知っているし、そのような力学のもとでの「自由競争」には限界があると考えたからである。

 その思いは、昨年11月の米大統領選挙の際、テレビにあふれていたおびただしい量の選挙CM(そのかなりの部分が相手候補への露骨な中傷だった)を見せつけられた後も基本的には変わっていない。〈日本でこんなことが許されたら大変なことになる〉。そのような思いが脳裏をよぎった。

 もうひとつ、日本がアメリカの「テレビと政治」のような事態になることに危惧を抱く理由は、テレビというバーチャルな空間で政治そのもの(あるいは政治のようなもの)が行われることを怖いと思うからだ。

 このことが読者にうまく伝わるかどうか若干心配しながら僕はこの文章を書いているのだが、ごく平たく言えば、テレビのトークショーやバラエティー番組での「勝った、負けた」「へこませた、黙らされた」といった次元のことがらが、そのまま政治であるかのようになるのがよくないと考えたからだ。あるいは、テレビのトークショーで人気を博したタレントがそのまま政治家になるようなことは、好ましくないのではないかと過去の経験則上考えるからだ。

 テレビの空間では皆が何者かを演じている。演じて「受け」を狙うように求められることが多い。だが、本来の政治の原理はそのような原理とは異なる。人目につかない地味な仕事の積み重ねが求められる分野が多い。例えば教育行政といった分野。政治家の思惑によって教育制度が頻繁に変えられるようなことになっては、子供たち、学校、教員たちの関係は不安定化し、ひいては教育現場が荒廃することにつながりかねない。そのような意味で、政治がテレビ化し、テレビが政治化するのは非常に危険なことだと僕は考えている。

愛玩犬でなく番犬であれ

拡大インターネット番組で党首討論会が始まると画面は視聴者のコメントで埋め尽くされた=2012年11月29日、ニコニコ動画から

 現在の政権は、テレビや新聞に加えて、インターネットメディアへの政治家の露出も戦略的に考えているようだ。特定の政治家の特定のインターネットメディアへの出演、さらには党首討論会といったイベントも実現した(写真)。それ自体は何ら悪いことではないが、実現したインターネット放送の書き込みなどを散見する限り、落書きレベルの文言であふれていた。

 一部のネットメディアには、既成メディアの情報独占体制に「風穴を開けた」などと自画自賛している向きもあるが、ここはメディアの質を問わず、ウオッチドッグという本来の役割を今一度再確認したうえで、強い権力に「取り込まれない」ように注意を傾けるべきであろう。でなければ、ウオッチドッグどころか、プードルになってしまうおそれがある。

 さて、冒頭のブッシュ大統領とブレア首相の記者会見の話に戻ると、記者がブッシュ大統領に「ブレア首相はあなたのプードルですか?」と質問したところ、すぐにブレア首相が割って入って、「(ブッシュ大統領、)イエスと答えないでください」と苦し紛れのユーモアで応じていたのだが、メディアがプードルになる事態は、全く笑えない「犬も食わない」ゆゆしい事態であることは言うまでもない。

   ◇

金平茂紀(かねひら・しげのり

TBSテレビ執行役員(報道局担当)。1953年北海道生まれ。77年TBS入社。モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」編集長、報道局長、アメリカ総局長などを経て2010年9月より現職。著書に『テレビニュースは終わらない』『報道局長 業務外日誌』など。

本稿は朝日新聞の専門誌『Journalism』3月号より収録しています

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