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アマゾンの「品切れ」は「取次」のせい? 著者の苦情から出版流通を考える

星野渉(文化通信社取締役編集長)

 最近は自分の本の売れ行きを気にする著者が増えているという。かつてほど本が売れなくなったこともあるのだろうが、むしろ、以前よりも売れ行きを知る道具が増えたことが、こうした行動につながっている。

 著者から出版社に「アマゾンに在庫がない」という電話がかかってくることがあるという。著者がアマゾンのサイトで自分の本を見て、「品切れ」となっていると、出版社に苦情が来るというのだ。

 しかも、アマゾンではそれぞれの本について売れ行きの順位が付いているため、「品切れ」になって順位が下がると、「販売機会を逃している。早く補充しなければ!」という焦りをかき立てる。"アマゾンを見た著者からのプレッシャー"が、出版社にとっては重荷になっているのだ。

 さらに強つわもの者は、紀伊國屋書店の販売データをこまめにチェックして、出版社に販売促進の指示までするという。こうなると、ほとんど営業担当者である。

 紀伊國屋書店は出版社に対して販売データを開示する「Publine」というサービスを有料で提供しているのだが、出版社からIDとパスワードを聞きだした著者が、このデータを見るようになっているという。

 このデータは、同書店の各店舗への入荷冊数から、その時点での販売冊数、在庫冊数などをほぼリアルタイムで確認できる。しかも、契約を結んだ出版社以外の本も見られる。

 著者にしてみれば、自分の本の売れ行きが刻一刻と変化するのを目の当たりにできるのだから、こんな刺激的なことはないのだろうが、そうした著者からいちいち「あの店の在庫が切れてる」といった苦情を持ち込まれる出版社はたまらない。

「送る」「送らない」を判断しないのが「取次」

 そもそも、著者であれば誰でも自分の本の売れ行きは気になるだろう。しかし、本が書店などに届けられる出版流通の仕組みはなかなか複雑で、自分の本がなぜ「品切れ」なのか、といった事情はわかりにくい。その結果、少々見当違いな不満を耳にすることもある。

 昔からよくいわれる著者からの苦情に、「近所の書店に並んでいない」というのがある。こうした著者の先を越して、著者が住んでいる周辺の書店にはわざわざ本を並べておくという出版社もあるほどだ。

 このような著者からの疑問に対して、悪者にされることが多いのが「取次」だ。出版社と書店の間にある「取次」が、出版社の意思とは関係なく書店に本を送っているので、近所の書店に並んでいないのは「取次」のせいだという言われ方をする。

 しかも、「取次」はどうやら中小書店を冷遇しているらしいという話も付け加えられたりする。だから小さい(良心的な)街の書店には本が並ばないのか、と怒りはエスカレートしていく。

 こうした見方は、日本の出版流通のある面をとらえてはいるのだが、「取次」を悪者にするのは、どちらかというと出版社の言い訳である。著者や読者からは見えにくい「取次」を悪者にしておけば、批判をかわせるからである。

 なぜ、近所の書店にその本が並んでいないのか。考えられる理由としては、売れ行きが良くて在庫がないというポジティブなものから、そもそも書店に置く気がない、発行部数が少なくてすべての書店には回らない、といった理由もある。

 しかし、よほどの事情がない限り、「取次」が特定の本を排除したり、書店に意図的に送らないといったことはない。いや、意図的に「送る」「送らない」という判断をしないのが「取次」の仕組みなのである。

コストと精度のどちらを取るか

 日本の取次と同じ仕組みは海外に存在しない。少なくとも、私が知っているアメリカ、ドイツなどヨーロッパ諸国、韓国、中国など周辺諸国にはない。

 そういう国々と日本の出版流通の大きな違いのひとつに、「配本」がある。

 一般的な商売では、小売店の注文に基づいて商品が供給されるが、本は書店が注文しなくても日々、届けられる。これを、取次による「配本」という。

 「配本」は、書店が売れ残った本を返品できることで成り立っており、日本を除く多くの国では、自由な返品はできないため、「配本」はなく、書店が注文しない本は来ない。

 「配本」は出版社にとって大変便利な仕組みである。書店から注文をとる営業活動をしなくても、全国の書店に並べることができるからだ。この結果、海外の出版社に比べて、日本の出版社は営業部門が非常に小さく、事前告知や受注活動にかかる費用も低い。日本で多くの小規模出版社が存立し得てきたのも、「配本」のおかげだと言って過言ではない。

 しかし、「配本」には書店(市場)の意思が働きにくいという欠点がある。書店が注文していない本が送られてくるのと同時に、注文した本が必ずしも入手できないということにつながる。要は、手がかからない便利な仕組みであるため、きめ細かい手当てが苦手なのだ。

 出版社が取次を悪者にするのは、低コストで「配本」してくれる取次システムに依存しながら、精度の悪さに文句を言うようなものだ。

もし、書籍流 通の精度が高く、個性的な書店が多いと言われるドイツのようにしようと思ったら、出版社はいまより大きな流通、営業コストを負担しなければならなくなる。

 これからの出版流通を考えるということは、精度が悪くても安価な従来の仕組みを使い続けるのか、多少コストがかかっても正確で迅速な仕組みに移行するのかを選択しなければならないということなのである。

 アマゾンの「品切れ」の意味も、そのような視点から見ることが必要なのかもしれない。

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星野 渉(ほしの・わたる)

 文化通信社取締役編集長。東洋大学非常勤講師。1964年生まれ。国学院大学卒。共著に『オンライン書店の可能性を探る』(日本エディタースクール)、『出版メディア入門』(日本評論社)など。

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本稿は朝日新聞の専門誌『Journalism』5月号より収録しています