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沖縄から見た「尖閣報道」と世論 マスメディアの「国際益」追求は可能か

渡辺豪(沖縄タイムス記者)

 昨年11月から沖縄タイムス紙で「波よ鎮まれ~尖閣への視座~」という連載を続けている。「当事者」の視点で紛争回避を求める市民の声を紹介する企画だ。連載開始にあたって、尖閣問題に向ける目線を「中央」から「沖縄」に取り戻す、と宣言した。「中央」主導の世論形成への危惧とともに、「尖閣諸島の地元」に寄り添う姿勢をアピールする中央政治家らの言動に欺瞞を感じたからだ。「尖閣報道」の困難さや課題について考えてみたい。

尖閣諸島の久場島沖の接続水域で併走する海上保安庁の巡視船(奥)と中国の海洋監視艦=2013年5月15日、沖縄県石垣市、本社機から、遠藤啓生撮影 尖閣諸島の久場島沖の接続水域で併走する海上保安庁の巡視船(奥)と中国の海洋監視艦=2013年5月15日、沖縄県石垣市、本社機から、遠藤啓生撮影

 昨年9月の日本政府による「尖閣国有化」以来、尖閣周辺海域では中国公船と海上保安庁の巡視船の攻防が続いている。

 扱いは「ベタ記事」のことが多いが、沖縄の地元紙も連日のように記事化している。中国公船の尖閣接近はどれだけ日常化していても、「異常事態」であることに変わりはない。「領土の危機」や「主権の侵害」にかかわる尖閣海域の緊迫状況を子細に伝えるのはマスメディアの役割だろう。

 ただ、マスコミが手厚く報じることで「刷り込み」の影響は無視できない。テレビの場合、尖閣諸島の映像とともに、「沖縄県の尖閣諸島で…」とのアナウンスも加わる。中国公船の「異常ぶり」と「地元の権益が理不尽に脅かされている」という危機意識は着実に世論に浸透する。

衝撃的だった沖縄県民の対中感情

 沖縄県は5月、中国などに対する県民の意識調査結果(昨年11~12月実施)を公表した。中国に対する印象で「良くない」「どちらかといえば良くない」が計89・0%に達し、「良い」「どちらかといえば良い」は計9・1%にとどまった。

 これは「衝撃的」といってよい数字だ。中国をめぐる県の意識調査は初めてのため過去と比較はできない。しかし、暴徒化した反日デモや、連日の中国公船の示威行為がメディアを通じて拡散・定着し、中国と歴史的なつながりの深い沖縄でも「嫌中」は確実に広がっていることを示したといえる。

 ここでは、「善意」のジャーナリズムやマスコミの「生真面目さ」が、ナショナリズムをあおる悪循環に着目したい。

浮かび上がった問題の本質

 昨年8月30日付の朝日新聞朝刊オピニオン面の「論壇時評」で、作家の高橋源一郎さんは以下のエピソードを紹介していた。

 〈報道ステーションという番組に出たとき、「尖閣諸島に香港の活動家が上陸した」というニュースのコメントを求められた。ぼくは正直に「そんなことは、どうでもいい問題のように思う。『領土』という国家が持ち出した問題のために、もっと大切な事柄が放っておかれることの方が心配だ」と答えた。

 帰宅すると、ぼくのツイッターのアカウントに数えきれないほどのリプライ(返事)が届き、そこには「非国民」「国賊」「反日」「死刑だ」「お前も家族も皆殺しにしてやる」といった罵倒と否定のことばが躍っていた〉

 報道ステーションも、「善意のジャーナリズム」として尖閣問題を扱ったに違いない。「普通の識者」は場の空気を読み、求められた「役割」を演じただろう。高橋さんは空気を読んだ上であえて流れに逆らった、日本では稀有な勇気の持ち主だと思う。おかげで問題の本質を浮かび上がらせてくれた。

 一つは「どうでもいい問題」だと本音では思っていても、そうとは言いにくいムードがあること。もう一つは、他国の脅威や不条理をあおる半面、国益にかかわる一切の譲歩や妥協を許さない状況に追い込んでいるのはメディアや世論ではないか、という点だ。

 6月3日。超党派の訪中団長として中国の要人と会談した野中広務元官房長官が、尖閣諸島の領有権問題を棚上げする日中間の合意があった、と中国側に伝えたことを明らかにした。

 今の日本では恐ろしく勇気のいる告白だ。案の定、インターネットなどで野中氏をバッシングする言説が飛び交った。

 「撤回しないんですか」「中国に利用されたという指摘もあるが」。野中氏の帰国を迎えた記者たちの質問も糾弾に近いトーンだった。おそらく彼らは「空気」を読んで世論を代弁したつもりだったのではないか。

 領有権の主張は、国民誰もが異を唱えにくい「国益」に絡む。それだけにマスメディアは世論の共感を得る安直な手段として「領土ナショナリズム」をあおる論調に陥りがちな面が否めない。北海道大学大学院の玄ヒョン武ム岩アン准教授の言葉を借りれば、「領土問題はマス・メディアにとって、最大多数の感情に逆らったり、ナショナリズムの発揚として批判的に捉えたりすることもない、大抵は異論をはさむ余地など不要な『気楽なテーマ』なのである」(5月10日付「沖縄タイムス」への寄稿から)。

 マスコミが取り上げる識者の公式見解も、「国益」を最大限追求するという使命や圧力から自由ではない。平和共存を唱える声を「無知」な「空論」とはねつけたり、口汚くののしったりする風潮が強まっていないか。高橋さんらのように「勇気ある本音」を公の場で口にできる識者は異端といえる。そう捉えればなおさら、「自由にものが言えない」世情に対しては言論機関としてあらがう必要があるのではないか。

 マスコミは8・6(広島平和記念日)や8・9(長崎原爆の日)、8・15(終戦記念日)、6・23(沖縄戦慰霊の日)は「記念日報道」と揶揄されるほど、各社横並びに被爆者や戦争体験者の声を取り上げ、反戦ムードを盛り上げる。

 過去の戦争の悲惨さや、反戦の誓いを語らせるのが得意で熱心な日本のマスコミが、現在進行形の「紛争の危機」に対しては、沈黙を強いる圧力となって立ちはだかる。沈黙してはならないときに沈黙を強いていないか。

 沖縄の地元紙も例外ではない。年中、反戦平和を希求する記事があふれている紙面で、「目の前の危機」である尖閣問題に言及する沖縄発の記事が少ないことに違和感を覚えた。過去の戦争は悪だが、今の紛争危機はやむを得ないのか。そんなはずはない。

地元・石垣市民の声を中心に取り上げる

 「尖閣諸島の地元」として何を報じ、何を報じるべきではないのか。判断は難しい。

 尖閣諸島の地籍は「沖縄県石垣市登野城」で登録されている。「波よ鎮まれ」は第1部で石垣市民の声を中心に取り上げた。「自由にものが言えない」ムードは、石垣市民が直面しているように感じたからだ。

 実際、「尖閣買い取り」を打ち上げた石原慎太郎都知事(当時)に即賛同し、都による尖閣周辺の洋上調査に市職員も同行させるなど進んで協力し続けた中山義隆石垣市長の姿勢は、人口4万8千人余の「島社会」で大きく影響していた。

 石垣市の居酒屋オーナーの男性は「中国漁船衝突事件以降、一般市民もマスコミ取材を受ける機会が増えた。中山市長のスタンスに異議を唱える発言がマスコミに取り上げられると、外で飲むのも気が引ける、との声も聞く」と明かし、「自由にものが言えなくなる空気が最も怖い」とこぼした。

 また、南沙諸島をめぐる領有権問題を例に挙げ、「中国の脅威」を切々と語る漁業者もいた。これも「当事者の声」だが、取り上げるべきかどうか迷った。インターネットを含む「外部のメディア」の影響を受けた伝聞情報をそのまま右から左に唱えている、と判断できた場合は原稿から削除した。

 一方、1978年に尖閣海域で行われた中国漁船団の示威行動に言及する漁民もいた。当時、地元漁協幹部として肌で感じた「中国の脅威」への認識は、実体験に基づくものとして原稿に盛り込んだ。

 いずれにせよ、石垣市の漁業関係者には尖閣関連情報に自ら積極的にアプローチしようとする姿勢や関心の高さが感じられた。いざとなれば「直接影響を被る」という切迫感からくる当事者意識といってもよい。沖縄本島の住民感情とも異なる「現場の近さ」を痛感した。

 日台漁業協定が5月10日に発効し、尖閣問題は新たな節目を迎えた。同協定は、尖閣諸島の領有権をめぐって台湾との連携を図る中国を牽制するのが日本側の狙いだ。が、地理的中間線よりも日本側に食い込んだ形で、かつ台湾が主張してきた「暫定執法線」よりも広い水域で台湾漁船の操業を容認した協定内容には、沖縄漁民から「死活問題」との声が上がっている。「漁業権の大幅譲歩」という沖縄漁民の犠牲を払っても、日中の関係改善のめどは立っていない。

 「沖縄のマグロ漁業は崩壊」。協定調印翌日の4月11日、与那国町漁協が管理するブログ「与那国町漁協便り」に中島勝治組合長はこうつづった。あっという間に70を超えるコメントが寄せられた。

 「お前達沖縄民(ママ)はいつもそう。だからタカリって言われるんだよ。恥を知れ!」「ま~た沖縄か。そんなに政府の方針が気に入らないなら独立運動でもしてなさいよ」。心ないバッシングの一方で、激励や共感の声もあった。さらには「一握りの漁民より国防国益の方が遥かに大切。悲しいけどこれ現実」と達観したような意見も届いた。

 2010年9月に起きた中国漁船衝突事件から間もない時期。「義憤」に突き動かされた政治家や政治団体メンバーらが続々石垣市に押し寄せた。12年以降は「尖閣買い取り」に動いた東京都関係者らも石垣市を訪れた。地元行政や漁業者に寄り添う姿勢をアピールしていた「憂国の士」たちは今、「国益の犠牲にされた」との沖縄側の訴えに、どう向き合っているだろうか。

 「国益」が常に「市民益」と重なるとは限らない。この「利害の不一致」は国民国家の版図の周縁部に置かれた「辺境」でより顕著になる。領土問題はその典型例ともいえる。

 国境の画定にかかわる領土問題は必然的に辺境が舞台となる。だが、国益に直結する領土問題は「中央」の政治家や官僚、全国世論の動向に大きく左右される。辺境で暮らす少数者に不利な決断であっても、中央の政策が「国益」の名の下に優先される。近代以降、その辛酸を繰り返しなめてきたのが、日本の「辺境」に組み込まれた沖縄ではないか。

 今回の日台漁業協定締結に伴う沖縄漁民の「切り捨て」は一例にすぎない。

 明治政府による版図画定の動きが、尖閣諸島の位置づけに大きな影響を及ぼした。その際、核となったのが琉球(沖縄)の存在だ。朝貢によって統治の認知を授ける清(中国)の冊封体制に組み込まれていた琉球を、日本が一方的に「琉球処分」によって版図に組み入れたことで、清から異議申し立てが出る。これに対して明治政府は1880年、清が通商上の特権を認めるのであれば、先島(宮古・八重山)諸島を清に割譲してもよい、とする「分島・改約案」を提案した。清が拒否したため、同案は調印には至らなかった。

 「国益」の名の下に琉球を強制的に版図に組み込んだ翌年、先島住民を平然と切り捨てようとした日本政府の「辺境」に対する政治判断は留意すべきだろう。石垣市に属する尖閣諸島を「日本固有の領土」と唱える論拠の根本も揺らぐ。

未知の領域を手探りする心持ちで臨む

 「波よ鎮まれ」は日台漁業協定が発効した5月10日から「第2部台湾編」をスタートした。台湾の市民の「個の内面」に可能な限り寄り添い、「越境者のまなざし」で尖閣問題を捉え直すことを企図した。とはいえ、沖縄世論を敵に回すリスクをひりひりと肌に感じながら、恐る恐る始めた、というのが正直な思いである。

 協定締結後、沖縄県内には日本政府への不満とともに、台湾漁民に対する不信感が渦巻いていた。そうした中、連載は台湾漁民の立場を代弁する側面もあった。一方で意識的に盛り込んだのが平和共存を求める声だ。これは沖縄漁民と一致する。沖縄と台湾の漁民の対立感情が悪化しかねない時期だからこそ、紛争回避を願う声を伝える意義は増している、と信じ連載を進めた。

 マスメディアとして「国益」あるいは「地域益」の枠にとらわれない、ある意味「国際益」を追求するスタンスをとることは可能なのか。

 それは偏狭なナショナリズムにとらわれず、国境に接する地域の住民同士が交流と共通認識を深め、生活者として相互利益を追求することが基本となる。東アジア全体の公共益を展望することにもつながる、「未知の領域」を手探りする心持ちで連載に臨んだ。

 読者の幅広い共感を得られたかどうかは分からない。

 限界も感じている。

 「領土を確保する」という国益よりも、「紛争を避ける」という市民益が常に上位に立つべきではないか。
このメッセージは国境を超えて共有されなければ「空論」のそしりも免れない。

 「領土」に対するそれぞれの国や地域でわき上がるナショナリズムの「熱狂」にどう対応すべきなのか。
その戦術、姿勢が国境を超えてマスメディアに問われているように思う。

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渡辺豪(わたなべ・つよし)
沖縄タイムス記者。1968年兵庫県生まれ。関西大学工学部卒。92年毎日新聞社入社。北陸総局などを経て98年沖縄タイムス社入社。政経部基地担当などを経て現在特別報道チーム兼論説委員。主な著書に『「アメとムチ」の構図』(沖縄タイムス社)、『国策のまちおこし』(凱風社)、『私たちの教室からは米軍基地が見えます』(ボーダーインク)、共著に『この国はどこで間違えたのか―沖縄と福島から見えた日本』(徳間書店)。

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本稿は朝日新聞の専門誌「Journalism」7月号より収録しています