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ネット解禁で注目の公職選挙法 報道規制条項の撤廃も検討せよ

臺宏士(毎日新聞社会部記者)

 「べからず集」とも言われる公職選挙法が改正され、今回の参院選から、インターネットを活用した選挙運動が解禁された。今日、有権者にとって最も身近な情報の発・受信媒体であるネットが加わったことで、政治参加への関心が高まるのではないかと期待されている。

 もちろん、誹謗中傷や成りすましといったネット特有の課題の克服は、今回の結果を検証しながら、場合によってはネット選挙の一旦停止を含めた改善を図っていくべきだろう。その際にはこれまで全くと言っていいほど論点となってこなかったが、新聞・雑誌や放送に対する公選法上の報道規制条項の撤廃についても検討を加えるべきだ。

 公選法は、候補者間での資金力の多寡によって配布するチラシなどの文書や、掲示するポスターの分量に差がつくことは、かえって公正な選挙を妨げるとの考えから、規定以外の文書図画の頒布、掲示を認めていない。しかし、こうした規定が報道に適用されると新聞も発行できなくなる恐れがあることから、確認的に148条で「新聞紙又は雑誌が、選挙に関し、報道及び評論を掲載するの自由を妨げるものではない」としている。

 通常の選挙報道は制約を受けず、報道の自由が保障されていると考えられている。放送も同様だ(151条の3)。

 しかし、148条には後段に但し書きがあり、「虚偽の事項を記載し又は事実を歪曲して記載する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない」と定める。違反すると記者や経営者らは、2年以下の禁固又は30万円以下の罰金となるかなり重い規定だ(235条の2)。報道内容に関して法律で処罰する仕組みを採用していない日本のメディア法制にあっては、極めて特殊な規定なのだ。

公正という概念を政治家はどう使ったか

 公正という概念を政治家らはどのように使ってきたのか。報道機関に批判的な発言を繰り返してきた安倍首相について考察してみたい。

 自民党は今回の参院選に絡んで、TBSの報道番組「NEWS23」(6月26日放送)が、通常国会の閉会関連ニュースとして、重要法案の廃案を取り上げた内容について「公正公平に欠く」などとして7月4日の公示日に同局への取材拒否を発表した。翌5日には同局の西野智彦報道局長名の回答文書が石破茂幹事長宛てに提出されたことで取材拒否は解除。安倍首相はBSフジの番組で、「事実上の謝罪をしてもらったので、この問題は決着した」などと述べた、という。

 安倍首相は幹事長だった03年の衆院選でも同様の理由で拒否したことが思い出される。

 選挙中の11月にテレビ朝日の報道番組「ニュースステーション」で民主党政権が誕生した場合の主要閣僚を取り上げたことに対して、同党は出演拒否を決めた。幹部以外の議員にも広がった拒否は、翌04年まで長引いた。安倍氏は当時、記者会見で「偏向・不公正な報道が再び行われた時には、出演自粛を再開することもあり得る」と言及している。さらに安倍氏は、官房副長官だった01年、NHKが旧日本軍の従軍慰安婦問題を取り上げた、「ETV特集」の放送前に幹部と面会し、「公平、公正に」と注文を付けていたことが05年に発覚し、番組介入だとして社会問題化したことがある。

 このように、放送法が放送番組の編集基準として定めた政治的公平(4条)や、公選法の公正というキーワードは、政治家にとっては曖昧な言葉だけに使い勝手の良い半面、報道機関からみれば、介入を招く根拠とされやすいやっかいな存在なのである。米国の放送でも政治的な公平を求める規定があったが、現在では撤廃されているし、そもそも米国では大統領選でどの新聞がどの候補を支持しているのかを表明する習慣が定着している。日本であれば公正を害するということになるのだろう。

 もちろん、実際に罰則規定を適用するともなれば厳格に解釈されるだろう。山田健太・専修大教授は、最高裁の政経タイムス判決(79年)=選挙目当ての新聞紙・雑誌が特定の候補者と結びつく弊害を除去するためにやむを得ず設けられた規定。公正な選挙を確保するために脱法行為を防止する趣旨=に触れ、「『(最高裁は)特定の候補者の得票について有利又は不利に働くおそれがある』場合に限定解釈した。真に公正な選挙報道をした限りにおいては罰せられないこととなった」(『法とジャーナリズム』)と解説したうえで、「ネット選挙が解禁となった結果、本来最も自由だったマスメディアの報道が最も厳しい制約を受けることになった」と取材に対し指摘する。

 私が規制条項撤廃の検討を求める背景には、報道界で進んだ自主規制と相互批判がある。

 例えば、新聞では、各社ごとに第三者が報道をチェックする委員会が設けられているし、放送には各局横断の放送倫理・番組向上機構(BPO)がある。また、報道倫理に関する報道機関同士の相互チェックはひと昔前に比べれば相当、厳しい。

 最近では共同通信幹部の不適切な問題が大きく報じられ、社長が引責辞任に追い込まれている。NHKの一連の不祥事に対する追及報道の広がりを背景に、当時の海老沢勝二会長が05年に辞任した。148条の適用を受けるのは、新聞なら月3回以上、雑誌は月1回以上有償で販売されるなどの定期刊行で、第三種郵便認可―などの条件を満たす必要があるが、こうした報道機関についてあえていまなお、厳しく規制するほどの立法事実があるとは思えないからだ。

 ネット選挙で、特定の候補者に対する落選運動まで可能になった時代にあまりに過剰な規制ではないか。撤廃しても、放送局には放送法の規定は残る。

 148条 選挙運動の制限に関する規定は、選挙に関し、報道及び評論する自由を妨げない―。これで十分なのではないか。今後の議論を期待したい。

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臺宏士(だい・ひろし)
毎日新聞社会部記者。1966年生まれ。早稲田大学卒。90年毎日新聞社入社。著書に『個人情報保護法の狙い』(緑風出版)ほか。

本論考は朝日新聞の専門誌「Journalism」8月号から収録しています