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「いわゆる」と「地方削減」から考える NHKの今後と公共放送のあり方

水島宏明(ジャーナリスト、法政大学社会学部教授)

 従軍慰安婦に関する大阪市長の発言がさかんに報道された頃、「いわゆる『従軍慰安婦』をめぐる橋下大阪市長の発言で……」と、毎回「いわゆる」をつけて報道したのがNHKだった。「いわゆる」を翻訳するならば、「私たちはそういう表現を好まないが一部にそういう言い方があるので仕方なく使っている」という弁解だ。呼称を不適切とするニュアンスも含まれる。

 「軍や官憲による強制連行を直接示す『公文書』は発見されなかった」との野田政権の答弁を、安倍政権は「『証拠』はなかった」まで拡大解釈する。公文書の有無にかかわらず、朝鮮半島の女性たちが慰安所で日本軍人の相手をし、軍とともに移動した史実や、オランダ人女性の強制連行を政府関係者も認めていた記録があっても、NHKでは腫れ物扱いだ。

 「いわゆる」は「慰安婦」にかかるのか。女性たちは実際に「慰安婦」と呼ばれたのだから、そうではあるまい。ならば「従軍」にかかり、従軍=強制というニュアンスに気遣うのか。だが、戦争取材で軍と行動をともにする「従軍記者」は、「従軍」しても強制ではない。何に気遣っているかよく理解できない。

 「いわゆる」の連発で理解できたのは、この問題に神経を尖らせる安倍晋三首相を前にして、腰が引けたNHKの組織体質だ。

 戦時性暴力の問題を番組にした「ETV特集」が改変された2001年当時、安倍晋三官房副長官(当時)ら自民党政治家が介入したと抗議の記者会見をした永田浩三・元チーフプロデューサー(現・武蔵大学教授)は「『いわゆる従軍慰安婦』という表現は、記憶では、1993年の河野談話の頃からNHKが使っていると思う」と語る。

 永田氏は昨年、ソウルの日本大使館前の少女像周辺で起きたデモを伝えるNHKニュースのインタビューで「慰安婦と名乗る女性」という字幕が出たことに強い違和感を覚えたという。慰安婦問題があるのかないのか、NHKは判断しないという姿勢。特に報道が変わったのは、野田政権以降のように感じている。「水俣病なんてない、集団自決なんてない、と言うのと同じくらいひどい行為です」と怒る。

 「慰安婦と名乗る女性」という字幕は、「そう名乗っているだけでウソかもしれませんよ」というメッセージを言外に発する。報道の真実性を自ら否定しているとも見える。民放や新聞と比べても、この過敏さは異様だ。こうした報道の歪みについて、NHKの報道局幹部は対外的に説明できる言葉を持つのか。

地方放送局の取材スタッフを削減

 今年6月、筆者も選考委員を務める放送批評懇談会「ギャラクシー賞」テレビ部門の大賞が「NHKスペシャル 追跡 復興予算19兆円」に贈られた。ディレクターらが大震災の被災地を回って「目の前のお金を必要とする人になぜ予算が渡らないのか」と疑問に感じ、予算の使い道を追跡した番組だ。復興に無関係にみえる沖縄の道路工事や企業の商品開発、調査捕鯨関連などに使われた事実を暴き、新聞も後追いした。取材したのは仙台放送局の職員たちだった。

 表彰式で鎌田靖キャスターが「調査報道は、地方からもできる」と叫んだのは実感だったに違いない。民放にはできない公共放送だからこその調査報道だ。

 そのNHKで、「地方放送局の人員を本部や拠点局に集中させる」という業務見直し方針を経営側が打ち出し、職員に不安が広がっている。

 今春、真っ先に地方放送局が縮小されたのが北海道だ。北見、釧路、帯広、函館、室蘭、旭川から記者やカメラマンなど30人規模のスタッフが拠点局である札幌に移された。背景には、受信料値下げによる7%減収等があり、経営側は「効率的な経営」「全体の最適化」を目指す。福岡放送局も制作者数人を削減するという。

 NHKの取材者は地方局にいる間にローカル番組で鍛えられて力をつける。ところが地方のドキュメンタリー枠が減り、人員も減る中で地方の教育的機能が落ちたという指摘も出ている。

 NHKの労働組合・日放労の今年度活動方針では「地域放送は公共放送の根幹」だとし、「公共放送の本義を色濃く実感できる地域放送局で育てられた私たちにとって、地域放送の重要性は疑うところではありません」と疑問を投げかけている。

 NHKでも「調査報道」を充実させようと担当班を作る動きも強まっている。だが、もっと大事なのは、足元を、それぞれの地域を、恒常的に取材する体制を作ることではないか。

 北海道では民放テレビが札幌に取材記者を集中させて久しい。筆者の経験では、結果として地方の細かい出来事や問題意識が札幌に届かず、まして全国放送する東京のキー局には届きにくくなった。たまに地方発で報道されるのは、女相撲大会やクマの出没など映像的に興味を惹く話題ばかり。地方発で農業政策を問うような、調査報道につながる題材はほとんど上がらない。

 真っ当なジャーナリズムのためには「一見ムダに見える」時間やお金の使い方も必要だ。特にドキュメンタリー取材では、現場で相手と向き合い、考える時間は大切だ。予測できない展開に備えて撮影班を長く待機させることも不可欠だが、民放ではそうした取材がムダとして削減される傾向が強まっている。

 地域にしっかりと軸足を置いて、物事の本質をみつめていく。そうした視点を失い、効率重視で組織を変えてしまうと取材現場の足腰は一気に弱まっていく。NHKの動きをみる限り、公共放送の質よりも経営効率がより重視されているように感じる。

 ニュースの「いわゆる」多用と同様で、地方人員削減の動きにも局内から強い反対論は聞かれない。経営委員長や会長らの「効率化」の大号令には逆らえないという諦観だろうか。公共放送が果たすジャーナリズムとは何か。地域に根差した放送はどうあるべきか。もっと開かれた場で議論されてよい。

    ◇

水島宏明(みずしま・ひろあき)
ジャーナリスト、法政大学社会学部教授。1957年生まれ。札幌テレビ、日本テレビでテレビ報道に携わり、海外特派員、ドキュメンタリー制作、解説キャスターなどを歴任。2012年4月から現職。主な番組に「ネットカフェ難民」「原発爆発」など。主な著書に『ネットカフェ難民と貧困ニッポン』など。

本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』8月号より収録しました

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