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図書館資料のデジタル化は是か非か 出版ビジネスとの兼ね合いで議論に

植村八潮 専修大学文学部教授

 電子書籍の点数が増える中で、図書館資料のデジタル化が、出版ビジネスとの兼ね合いで問題になっている。最近の事例を取り上げて考えてみたい。

 まず、国立国会図書館が、近代デジタルライブラリーで無料公開したコンテンツに対して、出版社からの申し出を受けて一時停止した件がある。これについては、先頃、国会図書館としての見解が発表され、詳しい経緯も報告されている。

 問題になったコンテンツは、仏教の経典を集めた『大正新脩大蔵経』と『南伝大蔵経』である。

 国会図書館は所蔵資料のデジタル化を進めており、「我が国の貴重な文化財を広く国民に提供する使命がある」との考えから、古典籍など著作権が消滅しているものから順次、近代デジタルライブラリーとしてネット公開してきた。前者は2007年に37巻、13年2月に残りの51巻を公開している。

 編者の高楠順次郎博士の著作権は、死後50年が過ぎた1995年末に切れている。また、現在の刊行元である大蔵出版は、博士遺族との間で著作権譲渡契約を交わしているが、団体としての著作権も消滅していると考えられる。これだけであれば無料公開に何ら問題はない。

 しかし、最初の公開の翌年、大蔵出版は公開中止の申し入れを国会図書館にした。理由は「出版権の継続」である。さらに13年6月に中小出版社の団体である日本出版者協議会とともに、「当該資料は、現在も商業刊行中であり、公開中止を求める」と、改めて申し入れている。

 国会図書館としては、「当該資料はすでに著作権の保護期間が満了しており、遠隔地でも広く利活用可能とするため、インターネット公開が望ましいとの基本的立場」に変わりはないが、「直接の利害を有する商業出版者の申出」ということもあり、昨年7月にネット公開を一時中止して、現在に至っている。この段階で朝日新聞も記事に取り上げた(13年8月7日付朝刊)。

 その後、国会図書館は有識者の意見を求めながら検討し、次の結論を公表した。

 (1)『大正新脩大蔵経』については、インターネット提供を再開する(2)『南伝大蔵経』については、当分の間、インターネット提供は行わず、館内限定の提供を行う。この結論をもって直ちに再開するのでなく、大蔵出版などと協議して再開を目指す、としている。

 この経緯に対して、いくつかの意見がある。利用者の立場では、税金を使ってデジタル化したコンテンツであり、国会図書館の役割を考えれば著作権が切れたら公開するのは当然で、法的裏付けのない抗議に応じる必要はない、という意見が多い。

 一方で、本来、国家事業であるべき『大正新脩大蔵経』の出版は、高楠博士の私費と寄付金によって実現した。版元は経営危機や戦災による紙型の消失などをくぐり抜けて刊行してきたものであり、現在も出版している。無償で公開すれば売り上げへの影響を受けるのは必須で、法的根拠がなくとも配慮するべきだという考え方である。

 本を生み出してきたこれまでの社会システムとして出版を評価するならば、一定の理解もできる。今回の国会図書館の措置もこの理解に立つといえる。

知の共有とビジネスのバランスを見いだす

 さらに、学術研究の視点がある。人文学研究においてコンピューター利用は積極的に行われてきており、人文情報学、あるいはデジタル人文学として研究領域がまとまりつつある。

 90年代に入って仏典の研究者により大蔵経テキストデータベース研究会が発足し、台湾の研究者との国際協力もあって、大蔵経をテキスト化が進んだ。科研費と仏教界からの寄付により6億円の経費をかけて完成し、08年から公開されている。

 研究者にとっても関心事であり、1月24日に京都大学人文科学研究所共同研究班主催により「近デジ大蔵経公開停止・再開問題を通じて人文系学術研究における情報共有の将来を考える」シンポジウムが開催された。

 国会図書館のサービスとしてもう一つ、今年の1月から、「図書館向けデジタル化資料送信サービス」が始まった。絶版等の理由で入手が困難な約131万点のデジタル化資料について、公共図書館等で利用できるようになった。ここに至る経緯も簡単ではなかった。「入手が困難な資料」という落としどころまで、出版界と国会図書館、有識者の間で調整が続いたのである。

山口県立図書館では2階にある5台の端末で国会図書館のデジタル化資料を閲覧できる=山口市後河原山口県立図書館では2階にある5台の端末で国会図書館のデジタル化資料を閲覧できる=山口市後河原

 「知の利用としての図書」や「学術情報の共有」の観点と出版ビジネスは長い間、デリケートなバランスを保ってきた。それが2000年代初頭、著作者や出版社が公共図書館を「無料の貸本屋」と呼んで批判したことを契機にバランスが崩れていく。書籍販売の低迷の要因を公共図書館での図書貸出数の増加にある、とした意見もあった。

 ベストセラーに依存した出版産業の構造も、経費削減の中での貸出率向上やベストセラーの選書を利用者ニーズだとした図書館のあり方も、双方見直す機会なのだが、問題の根は深く簡単に改善できるものではない。出版と図書館が本と読者を共有していた良き時代は終わり、今では売り上げと貸出率という無粋な数字が間に横たわっている。そこに来て、デジタル化資料が論争を再燃させる発火点となったのだ。

 電子書籍に対してビジネスとしての期待を寄せるのは理解できないわけでもない。一方で、技術がもたらす成果を利便性や効率化、経済合理性の追求に使うべきとする声もある。しかし、本の果たす役割であれば、文化的影響や教育効果、読書の滋養など、より多様な議論があってしかるべきである。デジタル技術は間違いなく、新しい知の循環システムを生み出しつつあるのだ。電子書籍をめぐって、知の共有とビジネスという新たな良きバランスを見いださなくてはならない。

     ◇

植村八潮(うえむら・やしお)
専修大学文学部教授、(株)出版デジタル機構取締役会長。
1956年千葉県生まれ。東京電機大学工学部卒。 東京経済大学大学院コミュニケーション研究科博士後期課程修了。 著書に『電子出版の構図』(印刷学会出版部)

※本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』4月号から収録しています。同号の特集は「教育はどこへ行くのか?」です