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戦争への実感のなさが、危機の本質を見る目を遠ざけている

渡辺 豪

 本誌(『Journalism』)5月号で、沖縄タイムス社と福島民報社が取り組んだ合同企画「二つの故郷 国策のはざまで」の趣旨や経緯を紹介した。今回は、この合同企画の締めくくりとして5月に実施した沖縄・福島両県の全市町村長対象のアンケート結果を手がかりに、国策をめぐる課題を掘り下げてみたい。

 調査は、国策に関する両県首長の意識の異同を探ることを企図した。沖縄県内の全41市町村、福島県内の全59市町村の計100人の首長を対象とし、沖縄県の宮古島市長、福島県の相馬市長を除く98人から回答を得た。両紙は回答結果を6月15日付特集紙面で掲載(沖縄タイムスは6月9日付で一部を先行掲載)した。

 質問は、国の安全保障政策やエネルギー政策、地方の権限などに関する項目を盛り込んだ。このうち、象徴的な回答が得られた以下の2問に焦点を当てる。

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◆国の防衛計画の大綱で、沖縄を含む「南西地域の防衛態勢の強化」や「日米同盟の強化」が掲げられたことを、どのように捉えていますか。
(評価する・評価しない・どちらとも言えない)から選択。理由は自由回答。

◆国のエネルギー基本計画で、原発が「重要なベースロード電源」と位置付けられたことを、どのように捉えていますか。
(評価する・評価しない・どちらとも言えない)から選択。理由は自由回答。

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 防衛計画の大綱に関する回答(グラフ1)は、福島では「評価する」が最多の50%(29人)に対し、沖縄は28%(11人)。「評価しない」は沖縄で20%(8人)、福島ではゼロだった。

 エネルギー基本計画への回答(グラフ2)は、両県ともに「評価しない」が最も多く、沖縄で48%(19人)、福島で66%(38人)に上った。「評価する」が沖縄でゼロ、福島で3%(2人)にとどまった。

 エネルギー政策については、両県で「脱原発」志向が浮かんだ。一方、防衛政策の評価に関しては、両県で認識ギャップがあるだけでなく、沖縄県内でも賛否が分かれた。

 沖縄には米軍基地のない市町村もある。福島でも、原発事故による被害の度合いは自治体によってばらつきがある。

 沖縄に原発はなく、福島には米軍基地がない。三択の回答形式によって首長の微妙な感情が捨象され、意識を正確に反映しきれていない面もあるだろう。

国防を強化して「安心」を得たい

 これらを考量してもなお、筆者が留意したのは二つの「ゼロ」回答だ。  エネルギー基本計画について「評価する」との回答は、沖縄でゼロだったのに対し、防衛大綱について「評価しない」は、福島でゼロだった。

 防衛大綱について「評価する」と回答した福島の首長の意見は、「中国の海洋侵略の抑止力になると期待」(中島村長)、「中国の強硬姿勢には日米同盟の強化が必要」(天栄村長)など、「中国の脅威」がリアルな危機として作用している実態が浮かぶ。沖縄で「評価する」と回答した首長も同様だ。

 背景には、安倍晋三首相が好んで用いるフレーズである「日本を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増している」という感覚を共有し、国防を強化して「安心」を得たい、との意識があるのではないか。

 これは日本全体で共有している認識だろう。筆者がそう考える要因の一つに、集団的自衛権の行使に関する全国紙の世論調査の結果が挙げられる。

 読売新聞が5月に実施した全国世論調査では、「必要最小限の範囲で使えるようにすべきだ」とした「限定容認論」を支持する人が63%に上った。毎日新聞が4月に実施した全国世論調査でも、「限定的に認めるべきだ」との回答が44%と最多に上っている。

 一方、単純に賛否を問うた朝日新聞の4月の世論調査では、反対が56%と賛成の27%を大きく上回った。各紙の調査でも、「限定容認」を除けば、反対は賛成を上回っている。

 「限定容認」は、その範疇も、拡大解釈に歯止めをかける手だても不明瞭な中、回答の選択肢に加えたことへの違和感はぬぐえない。とはいえ、集団的自衛権の行使容認の賛否を問えば、「反対」が多数になるが、「限定容認」を加えればそれを選ぶ人が最も多くなる、という世論の傾向は否定しがたい。

「戦場になる」「攻撃される」具体的なイメージはあるか

 なぜそうなるのか。

 尖閣諸島をめぐる中国への対応は、集団的自衛権ではなく、個別的自衛権に絡む問題だ。それでも、中国の軍事的台頭を踏まえ、何らかの対応が必要と考える多くの人たちにとっては、限定容認が安心につながる「バランスのとれた選択肢」と映るからではないか。

 「中国の脅威」をリアルに感じ、集団的自衛権の「限定容認」を肯定する人々も、「戦争の危機」に対してはどれほど現実的な感覚が働いているだろうか。実際に中国との間で戦争が起きればどうなるか。自分たちが暮らす地域が「戦場になる」「攻撃される」という具体的なイメージを描くことができているのだろうか。

 自衛隊員が死ぬことも、国内が紛争地にされるリスクも、「他人事」のようにしか受け止められない中、とりあえず「目先の安心」をわれわれの社会は選択する。

 戦争への実感のなさが、危機の本質を見る目を遠ざけているのではないか。

 沖縄では日常的に「有事」を想定した軍事訓練が行われている。軍用機が飛び交い、軍用車両が市街地を走行する。迷彩服姿の自衛官や米軍人を見かけることも珍しくない。国防の最前線で、「戦争のきな臭さ」をいや応なく実感させられる。「軍隊は必ずしも住民を守らない」という沖縄戦の教訓は、今も語り継がれている。

 いざとなれば戦争に巻き込まれるという危機感や切迫感が強ければ、「戦争を避けるために必要なこと」は、「戦争に備えること」ではなく、「戦争につながる政策を選択しないこと」だというシンプルな解に行き着くはずだ。

 実際、今回のアンケートで、防衛大綱を「評価しない」と回答した沖縄の2割の首長からは、「沖縄の基地機能が強化され、有事の際に一番先に攻撃される」(北谷町長)、「集団的自衛権の行使容認と9条改正への根拠固めで、他国との紛争の引き金となる」(大宜味村長)といった意見が寄せられた。

 那覇市議会は6月、集団的自衛権の解釈改憲による行使容認に抗議する意見書を可決した。意見書は、沖縄戦や米軍基地の存在を挙げた上で「多くの県民が、将来、集団的自衛権が行使されることで、他国の戦争に巻き込まれる恐れはないかとの不安と危惧を抱えている」と指摘し、慎重審議を求めた。

 沖縄県議会も6月、「集団的自衛権が行使されれば、他国の戦争に巻き込まれる危機感と県民の生命財産が脅かされ、経済や観光振興その他本県への影響は計り知れない」と訴える意見書を可決し、慎重審議を要請した。

「抑止力」という実態不明な言葉

 集団的自衛権の行使をめぐって安倍首相は「あらゆる事態に対処できるからこそ、そして、対処できる法整備によってこそ、抑止力が高まり、紛争が回避され、わが国が戦争に巻き込まれることがなくなると考えます」(5月15日の会見)と述べた。

 「戦争のできる国にすることが、戦争に巻き込まれないための有効な術である」という、この論は奇異に映る。が、「抑止力」という実態不明な言葉をまぶされると、何となく納得したような気持ちになる人も少なくないのではないか。

 集団的自衛権の行使を容認すれば、日本は本当に「より安心」な状態になるのかを問わなければならない。

 「抑止力」とは、相手国がどう受け止めるかを考えるのが基本だ。日本の集団的自衛権の行使容認によって、中国は尖閣諸島周辺での挑発行為を止めるだろうか。自国の安全を高めるつもりの措置が、相手国には「脅威」と映るかもしれない。そうなれば、軍拡競争がエスカレートし、地域の不安定化は一層増す。敵と味方を単純に色分けする冷戦型思考では、複雑な利害が絡む21世紀の国際秩序の安定は図れない。相手国に攻撃を思いとどまらせるのに必要な措置は軍備だけではなく、経済的な利害や外交バランスがものを言うはずだ。

「中国包囲網」では打開の糸口がつかめない

 集団的自衛権の行使を容認する日本の閣議決定を受け、中国外務省の洪磊副報道局長は「日本が戦後長期にわたり堅持してきた平和発展の道を変えるのではないか、と疑問を持たざるをえない」と懸念を表明した。一方、韓国外務省の魯光鎰報道官は「朝鮮半島の安全保障や韓国の国益に影響を及ぼす場合、韓国の要請や同意なしには(行使を)決して容認できない」と慎重な運用をあらためて求めた。

 安倍首相が進める「中国包囲網」に傾注した政策では対中外交の糸口はつかめない。歴史認識などで韓国との信頼関係を回復しなければ、北朝鮮への対応も制約される。

 こうした中、安倍首相の「抑止力」に対する見解を真っ向から否定する民意も浮かんだ。

 集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定を受け、共同通信社が7月1、2両日実施した全国緊急電話世論調査の結果によると、行使容認によって抑止力が高まる、との首相の説明に対し、「抑止力が高まる」「どちらかといえば抑止力が高まる」との答えは計34・0%だった。

 逆に、「戦争に巻き込まれる可能性が高まる」「どちらかといえば戦争に巻き込まれる可能性が高まる」との見方が計61・2%と大幅に上回った。

 同調査では、行使容認への反対は54・4%で半数を超え、賛成は34・6%だった。

 集団的自衛権の行使容認をめぐる議論は、主権者の国民を蚊帳の外に置き、与党の密室協議で進められた。国民的合意が得られたとは到底言い難い。にもかかわらず、マスメディアの論調は分かれた。

 朝日、毎日、東京は社説で「暴挙」「暴走」という言葉を用いて批判した。一方、読売、産経、日経は歓迎、評価した。

メディアの伝え方とシンクロする世論

 在京各紙に共通するのは、中国報道に関するトーンだ。ことあるごとに中国の覇権主義的な側面を伝えることに力点が置かれ、関係改善に向けた外交努力を促す報道は各紙で程度の差はあるものの、おおむね少ない。

 こうしたメディアの伝え方と世論は互いにシンクロし、軍備よりも外交を促す民意は高まらない。これらが結果的に、安倍政権の暴走を許容し、「国防」強化政策を後押ししているのではないか。

 国民国家が存在する限り、日本は中国と隣国であり続ける。いかに「やっかいな隣人」であっても、つきあっていかなくてはならない。最優先すべきは、軍事的なエスカレートや偶発的な紛争を回避することであり、今問われているのは胆力と英知を備えた外交スキルだ。その未熟さを棚に上げ、集団的自衛権の行使容認を「外交カード」を増やす機会と捉え、安倍首相を支えているのが今の外務省の姿ではないか。軍備の後ろ盾があってこその外交ともいわれるが、外務省は「米国に従う」というカード以外持ち合わせていないのが実情だろう。

 話を沖縄タイムスと福島民報の首長アンケート結果に戻す。エネルギー基本計画について、沖縄で「評価する」がゼロだったのはなぜか。

 「原発を肯定することへのためらい」の表れではないかと思う。そのことは、「評価しない」あるいは「どちらとも言えない」を回答に選んだ沖縄の首長が挙げた理由のほとんどが、東京電力福島第一原発事故を念頭に、原発への警戒感を示していることからもうかがえる。

 原発のリスクは福島でより強く、リアルに実感されているのは当然だが、原発のない沖縄でも福島第一原発事故の衝撃は大きく、現在も続く福島の苦難は深刻に受け止められている。  だが、それが理由の全てだろうか。

 沖縄では、原発が再稼働しないことで、雇用や交付金の支給といった地域経済に直接的な実害を被る原発立地自治体はゼロである。原発を抱えていないことが、ストレートに回答結果に反映した、とも捉えられないか。

 福島を除く原発立地自治体は、3・11後も再稼働や建設再開に前のめりの声が根強い。これも、目を背けるわけにはいかない現実だ。

 「明日の我が身」を第一に捉えるのは当然だろう。だが、「目先」だけでなく、「本質」を捉えなければ、真の安心は得られないのではないか。

 福島第一原発事故に伴う除染廃棄物を保管する国の中間貯蔵施設建設をめぐり、石原伸晃環境相は「最後は金目でしょ」と発言した。石原氏が漏らした「本音」は、国策の失態が招いた原発事故の後始末を、カネで決着をつけようとする国の真意を図らずも示した。

 同じことは、沖縄の米軍基地問題にも当てはまる。

 沖縄に集中する米軍基地は、戦時接収と戦後の米軍統治下で強権的に形成、拡張された。いまだに広大な米軍基地が沖縄に残るのは国策の失態だ。戦後処理の一環として、政府と全国民が向き合うべき課題である。

 沖縄の人を「ゆすりとたかりの名人」と侮蔑し、米国務省日本部長を更迭されたのはケビン・メア氏だ。メア氏は今も、保守派の論客として国内の大手メディアにたびたび登場している。

 普天間代替施設の建設予定地とされる名護市で、国は露骨な利益誘導で地域分断を図り、市長が拒絶してもなお強引に施設を押し付けようとしている。安倍政権は反対行動する市民らを問答無用で強制排除する構えだ。

 強権的な国策の内実には目を向けず、メア氏の発言に連なる差別や偏見が全国で醸成される傾向にあるのではないか。

 低成長時代に入り、利益分配をめぐる地域間競争は激しさを増す一方だ。限られたパイの奪い合いに終始するのではなく、地域の壁を超えて国策の維持・推進政策の不条理への共通認識を深める必要がある。

 「沖縄の基地負担軽減」は政治家が繰り返すフレーズだが、沖縄で現在進んでいるのは日米の軍事拠点化だ。日本は戦争のできる国になる。「国防」の要の役割を担わされた沖縄は、近い将来、再び戦場と化す蓋然性が高い。この危機は何度でも指摘しておきたい。

     ◇

本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』9月号から収録しています。同号の特集は「時代を読み解く 珠玉の200冊」です


筆者

渡辺 豪

渡辺 豪(沖縄タイムス記者) 

沖縄タイムス記者。 1968年生まれ。関西大学工学部卒。92年毎日新聞社入社。98年沖縄タイムス社入社。現在、特別報道チーム兼論説委員。主な著書に『「アメとムチ」の構図』(沖縄タイムス社)、『国策のまちおこし』(凱風社)、『私たちの教室からは米軍基地が見えます』(ボーダーインク)、共著に『この国はどこで間違えたのか』(徳間書店)、『波よ鎮まれ〜尖閣への視座〜』(旬報社)。