日本型ビジネスの土壌自体を変革しよう ―『Journalism』12月号より―
2014年12月19日
ある日気がついたら、「女性が輝く社会=職場での女性の積極登用」という図式がいつの間にかできあがっていた。どこか腑に落ちないものを感じながらも、この「美しい御旗」に真っ向から異議を唱えることのできる人など、そういないだろうと感じた。
実際、このキャッチフレーズと政策が、「そこらの男以上に働き、能力と野心を兼ね備えた女性」たちに、門戸を開いたことは評価できる。
しかし、この4人は能力的にもキャリア的にも「(局長に)なるべくしてなった人たち」だ。安倍政権が後押ししなくても、数年のうちには昇進していたことは予測できる。
例えば、外務省の経済局長に任命された斎木尚子氏。夫は「ミスター外務省」の異名を持つ斎木昭隆事務次官であるが、結婚直後から、「妻の方が夫よりもはるかに能力が高い」と評されてきた。
ミズ斎木は、北米局初の女性課長も経験し、仕事をしていく上で必要な人脈やパイプも、夫に負けないほど持つ。斎木次官が、元次官の谷内(やち)正太郎国家安全保障局長の引き立てを受けたことはよく知られているが、夫人は元次官で元駐米大使だった柳井俊二国際海洋法裁判所所長の「秘蔵っ子」だったと評判だ。
また、財務省同様に、昭和組女性キャリアの人材が薄い経産省で、初の貿易経済協力局長に抜擢された宗像直子氏も、早くから「TPP推進派の女王」として霞が関・永田町界隈ではよく知られた存在だった。幾度となく男性官僚を木っ端みじんに論破する姿が目撃されている。
法務省初の女性局長となった岡村和美人権擁護局長は弁護士からの転身組とはいえ、検事だ。「検察官のための役所」と揶揄されている法務省で、本当に画期的な人事を試みるのなら、プロパーの官僚(行政官)を局長にするべきだった。
厚労省で雇用均等・児童家庭局長となった安藤よし子氏の場合も、不満を言えばきりがない。優秀ではあるが、結局は旧労働省出身。村木厚子現事務次官もそうだが、旧労働省は早くから女性官僚の採用に積極的で、昭和組でも1期にひとりは女性官僚の名前を見つけることができる。
一方、旧厚生省は財務省や経産省同様に、幹部組は「超男社会」。採用自体も数年にひとり採るかどうかだった。また、結婚や出産などのタイミングで省を去った女性官僚も少なくない。残留している女性官僚の経歴を見ても、頭が良すぎるせいか省内での自分の立ち位置を見通していて、早くから「専門職組」として生きる道筋をつけているのが目立つ。もし女性厚労官僚に「抜擢」という言葉を使いたかったのなら、旧厚生省から出すべきだったが、適度な年次の女性がいなかったのだろう。
安倍政権は2020年度までに指導的立場の女性を30%まで増やすとしているが、実現は疑問だ。霞が関の幹部からして、圧倒的な人材難に悩んでいる。
例えば経産省を見てみる。宗像局長(昭59年入省)の場合も、彼女の前は谷みどり消費者政策研究官(昭54年入省)まで、後は西垣淳子ものづくり政策審議室長(平3年入省)まで、女性官僚の名前を見つけることができない。
今回は運良く4人を「抜擢」することができたが、問題はこの後だろう。
私が霞が関を取材し始めた頃、フリーランスの女性記者が片手で数える程度しかいないことにも驚いたが、女性の官僚は、本当の意味で、「取材先」の対象ではないとすぐに気がついた。それは、同性だから取材しにくいという単純な理由ではない。官僚機構のドラスティックな変革が叫ばれて久しいが、
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