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これからのネットメディア

「拡散力」と「信頼力」が重要になる

佐々木俊尚 作家、ジャーナリスト

 2013年以来、アメリカでは大きな動きが生じている。アマゾンのCEOジェフ・ベゾスが個人でワシントン・ポストを買収し、またイーベイの創業者ピエール・オミディアも巨額の資金を投じて、ファースト・ルック・メディアという新しいメディアを立ち上げようとしている。また、いわゆるSNSなどでユーザー間の口コミを利用するバイラルメディアという拡散力の強い新興メディアでは、バズフィードが5千万ドルの資金を調達。日本でも、ニュースアプリのスマートニュースがグリーやミクシィなどから総額36億円を調達して話題となった。

 これまで「儲からない」「先行きが不透明」と考えられてきたメディアビジネスに、資金が流れ込んでいるのである。これを単なる金余り状態でのバブルと見なすのはたやすいが、しかし一方でメディアビジネスに対する将来への期待感が非常な勢いで高まっているのも事実だ。

 この先にどのようなイノベーションが待っているのかは、実のところまだ明白ではない。ただ「何かが起きそうだ」という期待感が先行し、誰もが「何が起きるんだろう」と固唾をのんで見守っているような状況になっているのは事実だ。

 本稿では、メディアビジネスでこの先に起きるであろうことを、過去と現状を踏まえながら考察してみたい。

この20年間に広がった悪しき広告モデル

 まず歴史的経緯から振り返ってみよう。ウィンドウズ95の発売とともにインターネットが普及を始めてから、20年が経った。この20年の間にネットのメディア空間で起きたことは、大きく分ければ二つある。

 ひとつは、新聞社や出版社、テレビ局といったマスメディアが垂直統合のビジネスモデルを解かれ、情報流通の基盤をヤフーやグーグルといったウェブのプラットフォームに奪われてきたことだ。これについてはさまざまな場所でさんざんに語られてきたことなので、本稿では細かくは書かない。

 もうひとつは、ネット広告の変化である。プラットフォーム上ではコンテンツは多くの場合、無料で配信され、収益の還元は少ない。このため広告モデルがネットのメディアの主な収益源になってきた。ところがここに大きな陥かん穽せいがあった。

 どういうことかと言えば、ネットメディアの広告は「悪しき広告モデル」へと落ち込んできてしまったということだ。

 できるだけページビュー(ページが閲覧される回数)を増加させ、広告のインプレッション(露出数)や広告のコンテンツ料も増やしていく。そのためにうっとうしいぐらいに広告を表示させる必要があり、それが結果として読者をうんざりさせることにもなってきた。

 閲覧される回数を増やして広告効果をもたらし、それによって利益を得るというのはテレビや新聞、雑誌などのマスメディアでも行われてきた広告モデルだ。だから「たくさん見られる」ということは決して否定されるべきではない。ただネットメディアの場合、ページビューという閲覧回数を増やすために、読者や社会、広告主の価値を無視した無神経な処理が行われてきたということが問題だったと言える。

 マスメディア広告では、閲覧回数だけでなく、広告主のブランディングも重視されてきた。たとえばテレビのゴールデンタイムに質の高い映像のCMを流したり、全国紙に美しくデザインされた全面広告を出したりすれば、その効果はダイレクトに測定できなくても、企業のブランディングに役立つと考えられたのである。

 マンハッタンや東京の都心にある美しく力強いアップルの看板広告や、雑誌「ヴォーグ」「エル」などに出されているハイファッションのぜいたくな広告によって、視聴者や読者が購買に動くインパクトがあるのは事実だろう。

 しかしこうしたブランド広告は、計測が難しい。そこにウェブの広告がやってきて、「広告は本当に効果があるのか?」という広告主たちの長年の疑念に答えを与えるものだと考えられた。

 インプレッションを測り、クリック率を測り、コンバージョン(成約率)を測る。これによって、どのような広告をどのぐらいの金額で出せば、どのぐらいの効果があるかが明確に目に見えるようになったと思われた。

 しかしそう簡単な話ではないということは、ここにいたるまでのネットメディアの体たらくがすべてを証明している。

広告ネットワークの機械的手法の限界

 ネットメディアは、コンテンツ発信者になることのハードルがきわめて低い。「総表現社会」という言葉もあるが、言い換えれば「誰もが広告メディアになれる社会」でもある。つまりは大量の広告が溢れる結果になっただけだったのだ。

 ネットの初期には、検索エンジンがトラフィック(ネットを流れる情報量)の大半を占めていたので、キーワードをうまくサイトに埋め込んでグーグルの検索ロボットに引っかかるように、トラフィックを増やすSEO(検索エンジン最適化)が駆使された。

 さらにグーグルはみずから検索結果の画面に広告が表示されるアドワーズを提供するようになった。それにまた、ウェブページに関連広告を貼り付けられるアドセンスという広告も加わった。このアルゴリズムに依拠した新しい広告ネットワークの発明が、ネットメディアにとって決定的な転換点になった。これらの広告ネットワークによって、曲がりなりにもメディアは収益を得られるようになったからである。

 ビジネスをどう成り立たせるか悩んでいたネットメディアはこぞってアドセンスに飛びついた。そしてこのようにインプレッションを追い求める広告こそが、ネットメディアの常識になってしまった。

 しかしこうした広告は、本来の広告とは本質的に異なるものだ。本来の広告というのは、広告主がメッセージを消費者に伝え、消費者がその広告を見て「ほしい」と思い、商品やサービスを購入する。そういうウィン・ウィンの関係を構築するためのものである。しかしアドセンスのような広告ネットワークは、そうした関係とは無縁の原理で駆動している。

 広告ネットワークでは、消費者はあくまでも数値としてのみ扱われ、広告主が消費者の顔を見ることはない。ネットメディアにとっても、広告は自動的にネットワーク配信されてくるため、広告主との関係も存在しない。つまり消費者、広告主とメディアがそれぞれ無関係に存在し、広告ネットワークを流れる数値によってのみ接続されているということになる。

 最近はここにビッグデータを使ったパーソナライズも行われ、消費者のプライバシーを切り売りすることによって売り上げが立つという事実への批判も高まっている。

 そしてこうした広告ネットワークでは、クリック率やARPU(ユーザーごとの収益)、RPM(1千インプレッションごとの収益)などの数値が使われる。しかしこうした数値は、広告の効果を物語るための道具としてはあまりにも鈍感すぎるといえるだろう。数値という指標を指標の中心にしてしまうことで、ネットメディアは結果として、数ばかり多くて単価が安く、パフォーマンスの悪い広告コンテンツを大量に生みだしてしまった。

 読者から機械的にアテンション(注意)を引くために無限の努力が行われ、低コストでそれを実現するためにユーザーの体験が無視されてしまっている。数値を高めるために画面の隅々にまで広告を配置し、この結果、読者はネットメディアから離反し、メディアのブランド価値も見捨てられていく。

 こういうやり方はどこかでやめるべきだったのだろうが、しかしこうした広告ネットワークは麻薬のようなもので、いったん手を出したらもう手放せなくなる。

 低品質の広告でも曲がりなりにもメディアは収益を上げることができるようになり、広告主の側もそれなりの広告効果を実感することができるようになったからだ。

ユーザーとのつながりがより求められるようになる

 ブロガーでジャーナリストのジェフ・ジャーヴィスは、こういう状況に対して、「ネットメディアがまだイノベーションを起こせていないからだ」と指摘している。ネットメディアにはネットメディアに最適化された構造やマネタイズの方法があるはずなのに、現段階ではマスメディアをまねて従来のやり方を踏襲しているだけだという。

 つまり古い形式のコンテンツをマスメディアに似た構造のネットメディアに流し込んでいるだけだというのだ。テレビの視聴率や新聞の販売部数と同じように、大量の消費者の目を釘付けにしなければならないマスメディア的モデルから脱却する必要がある。

 ではどこに脱却するのか?といえば、それは「メディアがサービスになることだ」とジャーヴィスは説いている。ユーザー個人やユーザーが所属するコミュニティーが、どのようなニーズを持っているのかを把握するところからサービスは始まり、ビッグデータによるユーザーの監視モデルではなく、ユーザーとのつながりこそが必要なのだという。そしてこのつながりの上で、もっとスマートな広告モデルを提供することだというのがジャーヴィスの論だ。

 より適切で、より可視化されていて、よりリスペクト(ユーザーへの尊敬)があり、より信頼できて、そしてよりノイズが少なく、お金や時間、アテンションを無駄に消費することもないというような新しいタイプの広告なのだという。

 振り返ればわたしは2011年に刊行した自著『キュレーションの時代』で、次のように書いた。

 「もう旧来の情報流通の常識は、いっさい通用しなくなるでしょう。マスメディアを経由して情報をコントロールする旧来の『広告』は消滅します。マスメディアの記者に情報を提供する『広報』も、ビオトープ(生態系)が無数に立ち上がってくる中で意味をなくしていきます。広告も広報も販売促進もやがては一体化し、『どのようにして的確なビオトープに情報を投げ込むのか』『どのようにして情報を発信するのか』といったことをポートフォリオを組んで分散させ、的確にコンサルティングできるような広告企業だけが生き残っていくことになるのではないかと、私は考えています。そういう中ではメディアのあり方も今後は変わらざるを得ない」

 これもジャーヴィスと同じ問題意識だったといえる。

SNSとスマートフォンが新しい広告モデルの基盤に

 しかしこのわたしの予測やジャーヴィスの指摘をまさに実現する形で、13年ごろから新たなメディアモデルを模索する潮流が起きつつある。

 その原動力となっているのは、SNSとスマートフォンだ。

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筆者

佐々木俊尚

佐々木俊尚(ささき・としなお) 作家、ジャーナリスト

1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部中退後、88年毎日新聞社に入社。東京社会部で警視庁を担当した際にはオウム真理教事件に遭遇。ペルー日本大使公邸占拠事件やエジプト・ルクソール観光客虐殺事件などで海外テロも取材する。99年に退社してからは、「月刊アスキー」編集部でデスクを務める。2003年、独立してフリージャーナリストに。以降たったひとりで事務所も構えず、取材執筆活動に邁進している。著書に『「当事者」の時代』(光文社新書)、『レイヤー化する世界』(NHK出版新書)など多数。