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解散・総選挙に関わる憲法論をどう報じるべきか

木村草太 首都大学東京准教授(憲法学)

はじめに

 言うまでもなく、衆議院の解散・総選挙は、日本の政治権力の担い手を変化させるプロセスである。ところで、政治権力は本来、国民全体の公共の利益を実現するために存在する。そうだとすれば、衆議院の解散・総選挙の制度は、「どうすれば、公共の利益をよりよく実現できるか」という基準でデザインされなくてはならない。

 では、どうデザインすべきなのか。

 その回答は、それぞれの国によっていろいろ違いがあり、唯一絶対の正解があるわけではない。しかしながら、日本においては、その様々な回答からの一つの選択として、日本国憲法が作られている以上、日本国憲法の定める規範がきちんと守られているか否かを、第一の判断基準とすべきだろう。したがって、衆議院の解散・総選挙の評価をしようとするなら、それが憲法のルールを遵守してなされたものであるのかどうかを、丁寧に検証せねばならない。

 この検証の担い手は、本来、民主主義の担い手と一致する。つまり、国民全員が検証し、それについて評価せねばならない。しかし、一般の国民には評価の前提となる情報を十分に収集することは、不可能であろう。そこで、マスメディアの役割が重要となる。

 では、マスメディアの報道は、この点を適切に検証しているだろうか。

拡大インタビューに笑顔でこたえる自民党の安倍晋三総裁=2014年12月14日午後10時20分、東京・永田町の党本部、飯塚晋一撮影

 この点、テレビ・ラジオ・新聞などのマスメディアは、各政党や候補者の政策や当落情報を伝えることには、いつもとても熱心である。また、公職選挙法違反の不正行為に対する追及も厳しかった。例えば、昨年は、選挙運動に絡む「うちわ」や「観劇会」について、非常に細かい報道がなされた印象がある。

 しかし、憲法のルールや趣旨に遡さかのぼる根本的な検討にまで至る報道は、ほとんど見られなかったのではないだろうか。

 これには、二つの理由があるように思われる。

 第一は、憲法上のルールが抽象的・原理論的であるため、難しくよく分からないと感じられていることである。「そもそも、民主主義の根本に反するか」「立憲主義の原理に照らし不当ではないか」といった議論は、「うちわは有価物にあたるか」「この領収書の支出は、政治活動に関するものといえるか」といった議論に比べ、抽象的かつ難解であろう。

 第二の理由は、話があまりに壮大すぎて、議論しても仕方がないという気分になることである。例えば、「この解散は違憲だった」としても、選挙全体をやり直すことが現実的であるとは思えない。また、どんなに説得的に憲法違反の理由を示したとしても、時の権力者が素直に聞いてくれようとは、なかなか思えない。

 こうした事情を考えると、マスメディアが解散・総選挙の憲法論を十分に報じられないのも、やむを得ない面もある。 しかし、だからといって、憲法論を無視してよいわけではない。不適切な解散・総選挙の実践を放置し、その問題点について見て見ぬふりを続ければ、将来においても「公共の利益に反する」プロセスが再現される危険が高まる。どんなに困難で、すぐには結果の出ない検証であろうと、それを放置することは正義に反する。

 そこで、本稿では、2014年末の解散・総選挙に関わる憲法上の問題を検討し、それがどのように報じられるべきかを分析する。

選挙権の憲法上の位置づけ

 14年末の衆議院解散総選挙では、その投票率の低さも話題になった。小選挙区で52・66%、比例代表で52・65%という投票率は、戦後最低だったようである。

 ここで、投票率の低さについて考える前に、「そもそも、なぜ国民には選挙権が与えられるか」について考えておこう。

 選挙での投票は、お酒・タバコ・自動車運転等と並んで、「大人になったらできるもの」のひとつである。なぜ大人だけに認められるのだろうか。

 お酒やタバコは楽しい一方で、健康上のリスクもある。また、自動車の運転も、便利な一方で事故等のリスクがある。したがって、リスク判断の責任をとれる大人のみに認められるのである。このように、お酒・タバコ・自動車運転は自分のためにすることだから、リスクをしっかり自覚し、ルールを守る限りは、自分の好きにしていい。

 これに対して、選挙は、国会議員という権力者を選定する「権力の行使」である。ごく普通の国民が、選挙のときには、国民の代表者を選ぶ「権力者」になるのである。となると、十分な判断能力が必要なのはお酒等と一緒でも、何でも自分の好きにしていい、と単純に論じることはできない。選挙は、自分のための権利であると同時に、国家全体のための公務でもある、と考えるべきだろう。これは、選挙権二元説と呼ばれる考え方(注1)である。

 もちろん、独裁国家では選挙が法律上あるいは事実上強制され、しかも、独裁者への投票が事実上強制されてきた、という歴史的事実からは、投票の自由、権利としての選挙権の側面はとても重要である。しかし、自由選挙が確立した状況を前提とするならば、有権者一人ひとりが「権力者」であるという側面にも、意識を向ける必要があるだろう。

 投票権が重要な権力である以上、死刑を宣告する裁判官、あるいは断固たる外交宣言を発する外務大臣と同じように、投票者は責任感を持って投票せねばならない。もし、「死刑判決は書きたくないし、かといって、凶悪犯に懲役刑を言い渡す気にもならない」といって判決を書くのをさぼる裁判官がいたらどうだろう。あるいは、「あの国に文句言うと怖いし、文句言わないと国民からの突き上げが嫌だなあ」といって仕事に来ない外務大臣がいたらどうだろう。あまりの無責任さにあきれることだろう。

 14年末の選挙に際しては、「投票したい候補がいないから、投票しない人が多いのではないか」ということがしばしば指摘された。しかし、こうした選択は、「権力者」の行動としてあまりにも残念である。たとえ、一人ひとりの影響力は小さかったとしても、その権力は責任をもって行使されなければならない。選挙権の公務性を指摘する選挙報道も、もっとあってよいと思う。

 もちろん、今述べた議論は、白票を投じてはならない、当日は必ず投票所に行かねばならない、ということを意図するものではない。いろいろ考えてベストな候補者が見つかったなら、その人に投票する。完璧ではないにしても、「まぁ、この人のほうがましだ」と思える候補者に投票するのもありだろう。あるいは、現在の候補者はだれも信頼できないことを表明するために、「国民全体のために」白票を投じたり、棄権したりするのも一つの結論である。

 その選択の多様性が保障されねばならないのは当然だが、各有権者には、「国民全体のため」に自覚的な選択をすることが求められている。

解散権行使の問題

1 争点の不明確さ

 さて、選挙は一般国民が「権力者」としての役割を果たす大切な機会である。しかしながら、14年末の総選挙は盛り上がりに欠けた。その要因はいろいろあろうが、争点があまりにも不明確だったことは、見逃せない。

 安倍首相は、主な争点として消費増税延期を掲げた。確かに、財政再建を急務と考える人々の中には、増税延期への反対意見があったのは事実だろう。しかし、増税延期法案が議会で否決された事実はない。また、主だった政党も、党として増税延期に反対していたわけではない。あるいは、金融緩和政策や為替・株式市場介入の在り方等も争点として示されたが、そうした経済政策のどの部分に反対派がいるのかも、よく分からなかった。

 このような状況では、「選挙に行きましょう」と言われたところで、何を基準に投票すべきか分からない。投票率が下がるのも当然だ。では、なぜ、こんな事態になってしまったのだろうか。

 多くのメディアで指摘されていたことだが、野党の対応が情けなかったのは事実だろう。野党第1党の候補者数が議席数の過半数に満たなかった上に、野党間には連携・連合の機運もなかった。たとえ野党が大勝しても政権交代ができないのだとしたら、仮に明確な争点があったとしても、盛り上がりに欠けるのは当然だろう。まして、消費増税延期に反対する野党はほぼなく、安倍内閣の示した争点は争点にならなかったのだから、なおさらだ。

 では、なぜ、野党はそんな対応しかできなかったのだろうか。この点について議論するメディアはあまりなかった。しかしながら、個別政党のふがいなさを論難するだけで、選挙の「制度的な問題点」を検討しなければ、国民の意思を十分に反映する選挙はいつまでたっても実現しない。

 憲法学の観点から見たとき、野党の対応が不十分なものになった原因は、野党自身のふがいなさもあるが、解散があまりにも唐突だったことにあるように思われる。実は、「首相が、好きな時に、好きな理由で議会を解散できる」制度は、世界の先進国を見回しても、あまり一般的ではない。幾つか、外国の例を見てみよう。

2 諸外国の法制度

 まず、アメリカや韓国など大統領制の国には、そもそも任期満了前の議会解散制度がない。大統領は直接国民に選ばれているので、たとえ議会の信任がなくとも、「国民から選ばれた」という正統性があり、行政実務を遂行できる。したがって、議会解散権がいらないのである(注2)。

 では、内閣が国会に対して責任を負う議院内閣制の国では、どのような制度がとられているのか。

 議院内閣制の母国、イギリスでは、実は長らく、首相が好きな時に庶民院(日本の衆議院に相当)を解散できる制度になっていた。日本の解散権のイメージは、イギリスの首相の解散権に由来しているように思う。しかし、そのイギリスでも近年、首相が自分に有利なタイミングを選んで、恣意的に解散することへの批判が高まった。

 一般論として、選挙には、有利不利のタイミングがある。例えば、 ・・・ログインして読む
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筆者

木村草太

木村草太(きむら・そうた) 首都大学東京准教授(憲法学)

1980年生まれ。東京大学法学部卒。東京大学法学政治学研究科助手(憲法専攻)を経て、2006 年から現職。著書に『平等なき平等条項論 equal protection 条項と憲法14 条1 項』(東京大学出版会)、『憲法の急所ー権利論を組み立てる』(羽鳥書店)、『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の創造力』(NHK出版新書)、『テレビが伝えない憲法の話』(PHP 新書)、大澤真幸氏との対談集『憲法の条件 戦後70年から考える』(NHK出版新書)。