メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

ニッポンの選挙には「議論」が不在

放送法を理由に腰が引けた選挙報道

想田和弘 映画作家

映画『選挙』の1シーン拡大映画『選挙』の1シーン
 僕はこれまでに、日本の地方選挙を描いた2本のドキュメンタリー映画を作った。1本目は2005年秋に撮った『選挙』(観察映画第1弾、120分、2007年公開)である。切手コイン商を営み、政治活動とは無縁だった「山さん」こと山内和彦が、突然、公募によって自民党公認候補に選ばれ、川崎市議会の補欠選挙に立候補した。小泉純一郎首相が人気絶頂の頃である。本作では、自民党による伝統的かつ組織的なドブ板選挙の舞台裏を描いた。

 2本目は2011年春、東日本大震災直後に撮った『選挙2』(観察映画第5弾、149分、2013年公開)である。1期だけ市議を務めたものの自民党から干され、主夫として子育てをしていた山さんが、今度は「脱原発」を訴えるため、完全無所属で同じ選挙区(川崎市宮前区)から立候補する。しかしドブ板的手法はすべて封印。1回目の選挙とは、あらゆる意味で真逆の選挙戦だった。

 そもそも、なぜ僕が選挙を見つめて描くことに興味を抱いたのか。

 その直接的なきっかけは、2000年に行われたアメリカの大統領選挙である。同選挙では、共和党のジョージ・W・ブッシュと民主党のアル・ゴアが大接戦になったが、勝敗を決するフロリダ州であまりの僅差であったため、票の再集計をするか否かで大論争が生じた。そして両陣営による駆け引きと擦った揉んだの揚げ句、票の数え直しをしないことが連邦最高裁で決定され、ブッシュの当選が決まった。

 僕はその成り行きをニューヨークで眺めながら、民主主義の見方がひっくり返るような衝撃を覚えたものである。というのも、僕はナイーブにも選挙とは「算数」だと思い込んでいたからだ。つまり、投票した票は単純に数えられて集計され、自動的に「答え」が出るものだと信じていたわけである。ところが、実際には選挙そのものが「政治」であったのだ。

 それまで僕は、選挙で「誰が勝って誰が負けるか」については、それなりに気にかけてきたつもりだった。しかし、そうした態度は、実は極めて不十分なのではないか。私たちは、「選挙そのものがどう行われているか」という視点で、選挙というプロセスを改めて見つめ直す必要があるのではないか。僕の中に、そうした問題意識が芽生えたのである。

 思えば、選挙とは間接民主制の基礎部分を支える極めて重要な制度である。もし選挙の制度やプロセスそのものに不備があり不健全であるならば、その土台の上に立つ民主主義も健全であるはずがない。

 したがって、2005年に東京大学時代の同級生である山さんが自民党から立候補すると聞いたときには、絶好のチャンスが巡ってきたと思った。僕は早速、山さんの選挙対策本部へ撮影を申し込んだ。その申し出は(奇跡的にも)了承され、『選挙』を撮るに至ったのである。

「観察映画」という方法論

 僕は自らのドキュメンタリー映画を「観察映画」と呼んでいる。あらかじめテーマやメッセージを決めて「先に結論ありき」で作るのではなく、目の前の現実をよく観てよく耳を傾け、その結果「発見」したことを映画にすることをモットーにしている。

 そのため、被写体に関する事前のリサーチをせず、構成台本も書かない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。編集するときにもテーマを先に定めずに、撮れた映像をよく観察し直して、そこで発見したことを映画の軸にしていく。観客にも映画内で起きていることを自分の目と耳で観察してほしいので、ナレーションやテロップによる説明、BGMを使わない。

「しがらみ」が原動力の自民党選挙

 そういう方針の下に観察した自民党候補・山さんの選挙は、いったいどんなものだったのか。詳しくは映画本編をDVDなどでご覧いただきたいのだが、僕にとっては先入観や予断が打ち砕かれる発見と体験の連続だった。

 まず、僕は選挙運動というものは、候補者がリーダーとなって行われるものだと、なんとなくイメージしていた。したがって候補者である山さんが選挙スタッフに様々な指示を出し、選挙運動が進められていくものだと勝手に想像していた。

 ところが、現実には山さんは選挙を熟知したスタッフにあれこれと指示される側であった。映画には、山さんが演説会場に入るのが30分早すぎたことで、スタッフに「何をやってるんだ!」と声を荒らげて怒鳴られるシーンがある。このシーンが象徴するように、山さんは「組織のリーダー」であるどころか、大会社に入ったばかりの新米社員のごとき存在に見えた。実際、山さんはお辞儀の角度やタイミングなどについてまで、事細かに「指導」を受けたりもしている。僕の目には、選挙運動のやり方や方針、公約までがすでに組織的にお膳立てされていて、山さんはその神輿(みこし)にポンと乗っただけのように見えたのである。

 もちろん、それは山さんが秘書の経験すらない「政治の素人」だからこそ、余計にそうなったのであろう。だから一般化はできないこととは承知している。しかし小泉人気の全盛期に「しがらみのない公募候補」を売りにしていた山さんの選挙運動が、既にある「しがらみ」でがんじがらめだったことも事実なのだ。

 実際、僕が見た山さんの選挙運動は、無党派層に向けては「しがらみのない若くて清新な候補」をアピールする一方で、その根底では「しがらみ=自民党支持者=地域の有力者」の票と支持を固めることに重きを置いていたように思う。山さんの演説会はほぼ例外なく地元の農協の施設で行われ、そこには有力な地主や農家が動員されていたし、選挙運動の主眼は町内会のお祭りや運動会などで顔を売って固定票を確実に押さえることであった。

 川崎に住んですらいなかった落下傘候補である山さんが、なぜいきなり、そうした地元のディープな施設や催し物に入れたのかといえば、もちろん、そこに手引きをする人たちがいたからだ。具体的には、選対本部長である持田文男神奈川県議会議員や、山さんに「公募に応募しないか」と最初に声をかけた山際大志郎衆議院議員、その他の自民党所属川崎市議会議員などの地元とのコネクションが、フルに活用されたわけである。

 のみならず、選挙事務所でボランティアをする人々も、別に山さんの人柄や考え方に共感して手伝っていたわけではなかった。というより、「義理=しがらみ」が彼らを動かしていた。彼らの多くは他の自民党議員の支援者で、地元で会社やお店、駐車場やアパートなどを営む経営者である。彼らはそれまで山さんとは付き合いがなかったが、「自民党の公認候補だから」「……先生の頼みだから」という理由で、山さんの手伝いに狩り出されていたのである。

 同時に、彼らの「義理による支援」は、実益も兼ねているようにも見えた。なにしろ、小泉旋風が吹き荒れたご時世である。山さんが自民党公認候補である以上、市議に当選するであろうことはほぼ間違いなかった。だとするならば、選挙期間中に無償の支援をすることによって、未来の市議に対してある種の「恩」を売ることは、彼らにとってもマイナスであるはずがない。選挙運動を手伝うことは、地元の権力構造への入り口として機能しているように見受けられたのだ(もちろん、だからといって利益供与などが実際になされるとは限らないし、僕はそうした事例を見聞きしたわけではない)。

 いずれにせよ、僕が観察した自民党の選挙運動は、当時流行したキャッチコピーのように「しがらみを断ち切る」どころか、地域に張り巡らされた「しがらみ」こそを原動力として回っていたのである。

政策論不在の選挙

 そう考えると、山さんの選挙運動で政策論争がほぼ全く見られなかった理由についても、得心がいく。

 自民党の「票田」と「組織選挙」を構成する人々の多くは、候補者の公約や政策を支持してコミットしているわけではなく、権力構造の中枢(=自民党)とのつながりや人間関係を重視して、そうしている。であるならば、候補者の唱える「政策」に自分たちにとって著しい不利益のあるものが含まれない限り、政策そのものが問われないことは自然であろう。

 映画『選挙』には、そのことを象徴するシーンがある。

 山さんが持田議員や山際議員に連れられて町内会のお祭り会場へ挨拶に訪れると、そこでは宴会が開かれている。宴会をしているメンバーたちは、普段は同じ宮前区選出の石田康博自民党市議を応援しているらしいが、リーダー格の男性が「今回は補欠選挙なので、自民党候補である山内さんに票を入れさせてもらいます」と山さんらに確約する。そして確約した後で、こう尋ねたのだ。

 「ところで山内さんの公約って何ですか?」

 リーダー格の男性にとって山さんの公約などどうでもよく、 ・・・ログインして読む
(残り:約6321文字/本文:約9897文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

想田和弘

想田和弘(そうだ・かずひろ) 映画作家

1970年栃木県生まれ。日米を行き来しつつ、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリー映画を制作。自民党公認候補の選挙戦を描いた「選挙」(2007)、精神科外来をみつめた「精神」(08)、福祉の現場を描いた「Peace」(10)、平田オリザと青年団を追った「演劇1」「演劇2」(12)など、時代の相貌を切りとる作品を発表し続けている。近作は3・11直後の統一地方選を描いた「選挙2」(13)。著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『熱狂なきファシズム ニッポンの無関心を観察する』(河出書房新社)など。