公共放送の新たなあり方を考えよう
2015年05月21日
「NHKをよく辞める決心がつきましたね。あれだけ大きな放送局にいたのに、あっさり飛び出すなんて、随分勇気がありますね。なぜ辞めたのですか?」
2013年4月1日にNHKを退職してから丸2年。取材先やシンポジウムなど訪れた先で必ずといっていいほど一度は尋ねられる質問だ。
答えはいつもシンプル。「私が目指す公共放送のあり方を追求するためには、より柔軟に、スピード感を持って実行できる場を確保する必要があったからです」
そう答えると、大概の皆さんは不思議そうな表情で次の言葉を待つように耳を傾けてくれる。
「NHKは辞めましたが、心は公共放送人。フリーのNHKマンだと思ってください。疎開のようなものです。あの会長の下だと色々大変そうでしょ」
やや冗談めかしてそう続けると、納得したような顔になり、失笑も漏れてくる。
勘の鋭い学生から「堀さんが目指す〈公共放送〉とはどんな放送局のことなのでしょうか?」と突っ込まれたあたりから、ディスカッションが始まる。
NHKのことを「国営放送」と呼ぶ人の声を度々耳にするが、正しくは「公共放送」だ。
大体は、「まるで政府のいいなりじゃないか」といった意見を含んで、あえて「国営」と呼んで揶揄する場合と、「税金で運営されている」という誤解から「国営」と呼んでいるケースに分けられる。
NHKは基本的に視聴者の皆さんから徴収する受信料によって支えられており、税金で賄われているわけではない。
ただし、NHKが受信料収入をどのような事業に割り振り、使っていくのかを決めた予算案については毎年国会で議論され、議会の承認を経てはじめて執行できる仕組みとなっていることから「国営」というイメージを持つ人もいるのだろう。
一部、海外向けには放送法に則って政府が国益を鑑みて、NHKに放送の要請ができるようになっており、その際の費用は税金によって賄われる仕組みがあるが、極めて稀なケースだ。基本的には皆さんからの受信料収入に頼っている。
実際に国会が近づくと予算を通すために、局内ではピリピリとした空気が流れることもある。局員時代、ツイッターを使って取材現場の様子や、そこから読み取れる国や政府の課題を指摘、発信している私に対して、上司から「予算審議でセンシティブな時期だから、あまり事を荒立てることがないよう穏便に頼むよ」と言われたこともある。
受信料の値下げ問題に加え、インターネット放送の拡充、デジタル事業の強化など、NHKが先頭に立った先進的な取り組みには、民放連との調整、大臣、政務官、総務省の官僚との折衝など様々なロビー活動も必要になると聞いている。
NHKが計画する事業を速やかに実行に移すためには、国会での承認が穏便な形でなされることが望ましいというのだ。ジャーナリズム機関として国との距離感をどう保つのか、会長をはじめ組織幹部たちの力量が問われるところだ。
そうした中、去年1月の就任以来、財界出身でNHK会長となった籾井勝人氏の「政府が右と言ったものを左と言うわけにはいかない」といった発言をはじめ、政府と歩調を合わせるかのような発言を続けていることについて、NHK局内外から危惧する声が上がっている。
籾井氏本人は「自分の思いを番組に反映させることはない」としているが、現場で取材や番組制作を続けるかつての同僚たちからは、「財界に近い経済部出身者が主要ポストで重用されるなど発言力が増している」「特定秘密保護法について取り上げたかったが、十分に扱える空気ではなく忸怩(じくじ)たる思いを抱いた」「原発に批判的な問題を扱う時には覚悟を持って臨んでいる」という声を聞く。
さらに、今年2月の定例会見で籾井会長は、戦後70年の節目に従軍慰安婦問題をどう扱うかについて質されたところ、「(慰安婦問題について)正式に政府のスタンスというのがよくまだ見えない。慎重に考えなければならない」と述べ、公共放送のトップの発言として適正かどうか議論を呼んだ。
時の政権による判断で報道の内容が左右される可能性があるというのは果たして公共放送なのか。
「一体、公共放送は誰のものなのか?」これは、東日本大震災、原発事故当時ニュースセンターで働いていた私につきつけられた、公共放送のあり方を問う根源的な問いかけだった。
パニックを引き起こしてはいけないという大号令のもと、原発事故に対する報道は事故発生直後からその後に至るまで、随分抑制的なものだった。
例えば、今では当たり前のように使われている「メルトダウン」という文言がNHKのニュースで使用できるようになったのは、東京電力や政府が11年5月にメルトダウンを認めてからのこと。それまでは、「炉心の燃料が溶け出た可能性」といった表現や、「燃料棒の損傷」などといった文言で説明されていた。
放射性物質の拡散状況などについて、当時、十分に警鐘を鳴らすことができたかどうかについても反省が残る。
「言うな」とは指示されていないが「言ってはいけないのでは」と各現場で忖そん度たくしてしまう空気があったように思う。
事故から数カ月経ったのちに、福島市内で取材をした際、住民の方から言われた言葉が、今も忘れられない。
「メルトダウンしていた頃、何も知らずに私は子どもと一緒に外で給水車の列にならんでいたんです。雪がパラパラと降ってきたので、空を見上げたりしていたんですけど、今にして思うと放射性物質が降ってきていたんですね。知ってたら、子どもを外には出さなかったんですけど。何にも知らなかったというのが悔やまれます」
災害や有事の際、国や政府の方針、見解を受け、報道のスタンスが整えられ、統制された情報が発信されていく—。そんな姿に陥ってはいないか、放送局という組織で働く私たちは常に自らの報道姿勢を省みて律していく必要があると深く考えるようになった。
どうすれば、より迅速に多様性を持って現場の実態を報道に生かすことができるのか。NHKの同僚たちとの会話でも度々そうした議題を互いに論じ合ったりもした。
そうした中、打開策として浮かび上がったのが、「パブリックアクセス」と「オープンジャーナリズム」という報道のあり方だった。
パブリックアクセスとは、国の資源は国民であれば誰でも使うことができる権利で、公共料金の部類に入る、電気や水道がそうであるように電波もそれにあたるという考え方だ。
公共施設、例えば図書館は利用者に制限がない。公共と名のつく駐車場、公園も原則として誰でも使うことができる。
実は、欧米を中心に民主主義を導入する先進諸外国では、市民がテレビ局の電波を使って発信する権利が法律などで保障されている。
イギリスの公共放送BBCはパブリックアクセスのための放送枠を用意したり、発信者を育成するためのワークショップなどを開催していたりする。
アメリカではケーブルテレビ局などが受け皿になってパブリックアクセス専門のチャンネルを運営している。
韓国では公共放送KBSが独自のチェック機能を備えた有識者による編集組織を構え、本体とは独立した形で市民がKBSの電波を使って発信ができる仕組みも持っている。
この話をすると国内では大抵の人が驚くのだが、海外では1970年代頃から80年代にかけて整備されてきた制度だ。
翻って日本はどうだろうか。公共物である電波を使って発信できるのは総務省によって免許を与えられた放送局だけ。NHKは公共放送でありながら、視聴者は受信するだけで、発信はできない。
NHKにパブリックアクセスが導入されれば、たとえ国や政府が情報発信に影響力を与えたとしても、市民側による多様な発信が可能になるのでは、と期待を寄せている。情報の多様性が多角的な検証につながるという確信がそこにある。
ここで間違えてはいけないのは、「市民」といっても「素人」を指すわけではないということ。よくこのパブリックアクセスの話をすると「プロのジャーナリストに対して、アマチュアの市民が発信することに意味があるのでしょうか?」という質問を受ける。
プロかアマかというのは、撮影や編集、取材のスキルのことを指すのであって、情報の中身そのものを指すわけではない。
例えば発信者が問題の当事者だった場合、そこから発せられる情報はまさに1次情報。ジャーナリストたちが普段靴底をすり減らして探し出す報道の原資だ。
例えば、原発問題に関して、現場の作業員たちが自らパブリックアクセスの仕組みを使って内部告発をした場合、フィルターを通さない、非常に純度の高い情報発信が可能になる。
海外ではマスメディアが報道しない様々な課題を問題の当事者である市民たちが直接発信する仕組みが保障されているのだ。
そして、もう一つがオープンジャーナリズム。これはニュース原稿の執筆や映像制作を特定のメディア人たちだけで行うのではなく、前述したような1次情報を持った市民や専門的な知識を持った学者や研究者と協業で進めていく仕組みで、12年頃からイギリスでは老舗新聞社「ガーディアン」などが率先して打ち出したことで話題になった。
ジャーナリストがニュースを扱う唯一の専門家ではなく、インターネットも駆使しながら、情報や知識を持った様々な人々との協業で事実を検証していく取り組みで、これまでブラックボックスにされてきた報道機関の編集権を一部公開していく試みだ。
一方で、米国のCNNはすでに08年から「CNN iReport」という市民投稿型のニュースサイトを運営しており、現場から投稿された情報や映像をCNN側で検証し、テレビ報道で扱っていくという仕組みを確立させた。
原発事故から1年ほどが経過した12年6月から、私は日本ではまだ導入されていないこうした仕組みを研究するため、13年春まで米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校に客員研究員として所属し、ITベンチャーの集積地であるシリコンバレーなどの取材を通じて日本のメディアにどのような変革が必要なのかあらためて考えた。
運営母体はNPO法人8bitNews。サイトの開発・運営費用350万円あまりを、インターネットを使った資金獲得の仕組み「クラウドファンディング」を使って調達した。
また他のプロジェクトでも、クラウドファンディングを使って一人当たり数千円から数万円を広く一般から集め、この2年で1千万円近くの協力費を集めるのに成功した。クラウドファンディングサイト「Shooting Star」を運営する佐藤大吾氏らとの協業ですすめてきた取り組みだ。
取材が必要なテーマの目的と意義を多くの人々に共感をもって伝えられれば、必ず味方になってくれる人々がいるという手応えを強く感じた。
資金を投じてくださった方々には8bitNewsの賛助会員になってもらい、継続的に情報を発信しながら引き続き支援をお願いする仕組みも導入している。8bitNewsでは、おなじように取材費用の調達に悩んでいるフリーランスのジャーナリストや独立メディアに対する支援も行っており、市民が目的意識を持って自分に必要なメディアを支える文化の定着を目指している。
ワークショップはマスコミ各社へ協力を願い出た。これまでに、講談社や毎日新聞、テレビ神奈川などとの共催で、ジャーナリストや映像ディレクターたちが受講生たちに取材のノウハウなどを伝授するプログラムを開発し、月単位での運営をつづけてきた。
特に毎日新聞と8bitNewsの共催による「毎日女性会議」は、毎回20人から30人の女性を対象に、1ターム半年間のプログラムで、スマートフォンを使った映像撮影や編集の技術、ユーチューブなどの動画発信スキルの向上、取材やインタビュー技術の向上などを目指した講座を開催。これまでに延べ100人近くが参加した。
受講生は10代の学生から50代の主婦まで多岐にわたった。普段SNSなどネットを通じてしか知らなかった現場の実情を肌で実感することにより、イエスかノーかといった二元論で語れない現場の複雑性を知り、視野が広がっていったという感想も耳にした。
撮影した映像を共に編集することにより、切り出された情報が全体の一部であること、切り出し方によって随分と印象が異なること、製作者の意図によってメッセージが大きく異なってくることなどを体験し、メディアリテラシーの向上につなげる機会を目指している。
こうした体験を通じ、発信技術を身につけた人たちが8bitNewsへの投稿を支え、そこから国内をはじめ、BBCなど海外のテレビ局やネットメディアに動画を提供する事例も出てきた。
1次情報を持つ本人が、本人の力で社会に発信するスキルを身につけることに重きを置き、そうしたスキルを持った発信者を草の根的に増やしていくことが、パブリックアクセス、オープンジャーナリズムの実現への第一歩になると考えている。
またそうした市民発信を恒常的に電波を使って流す仕組みも形になりつつある。
パブリックアクセスの必要性に共感してくれた、テレビ神奈川との協業で13年秋からの1年間「堀潤のつながるニュース」という市民投稿型ニュース解説コーナーを夕方のニュース番組内に立ち上げ、月1回のペースで放送した。
主要メディアが報道していなかった、地域の事件や社会問題などを神奈川県内に住む人たちが映像でリポートした。寄せられる動画は3分から5分のスマートフォンで撮影された断片的なもの。
そこからテレビ神奈川の記者やディレクターが一緒になって取材を深め、報道につなげる試みで、個人とマスメディアの協業を模索した。
去年3月に神奈川県の三浦半島沖で発生した韓国とパナマ船籍の貨物船同士の衝突事故。大量の重油が流出し、東京湾沿岸一帯のヒジキ漁が甚大な被害を受ける事故がおきた。
横須賀に住む30代の女性が、たまたま海岸を散歩している時に、地元の漁業関係者たちが頭を悩ませていることを知り、持っていたスマートフォンで撮影。油にまみれたヒジキの様子などを記録し、地元の関係者へのインタビューも行った。その後、国や神奈川県への取材、弁護士への取材などを共同で行い、出来上がったコンテンツをネットとテレビで発信した。
その報道をみたテレビ朝日からの問い合わせがあり、さらに追加の取材を加えて、彼女の映像がテレビ朝日の全国放送の番組で流れることになった。個人のスマートフォンで撮影された情報が各メディアとの協業でより多くの人に届く形になった。
そして、14年春からは、東京のローカル放送局、TOKYO MXで朝7時から8時半までのニュース番組「モーニングCROSS」を立ち上げ、8bitNewsとの連動で、サイトに投稿された映像をそのまま番組内で流し、ゲストコメンテーターたちと検証するという試みもはじめた。
インターネットを経由し国内外から寄せられる個人からの発信を取り込むことによって、ローカル放送局でありながら、沖縄の基地問題や、台湾や香港で若者たちが訴えた政府への抗議行動の様子などを伝えることも可能になった。
また、当事者たちからの発信によりLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)といった社会に埋もれてしまいがちなマイノリティーの課題へのスポットもあてやすくなった。
今、社会問題が細分化されていることによって、ニュースの現場は多様なコンテンツを求めている。自らの取材ではカバーしきれない現場の実態を、市民からの直接発信によって伝えるというスタイルが徐々に確立しはじめている。
映像発信にかかるコストはこの10年間で飛躍的に圧縮された。スマートフォンには高性能なフルハイビジョン機能が搭載されているし、常時ネットにもつながっている。ユーチューブのように無料で動画を世界に発信する仕組みも整った。
パブリックアクセスやオープンジャーナリズムの実現に向け、なるべく多くの実績をつくってぜひ公共放送内での実現につながるよう、声を大きくしていきたい。
インターネット動画サイトのユーチューブは、今や世界で約10億人の利用者を抱えるプラットフォームに成長した。
グーグルによると、日本での利用者は毎月延べ5千万人以上。閲覧者の検索ワードを分析すると3分の1がニュースに関連しているものだという。
私がキャスターをつとめるモーニングCROSSでは、ネット上で交わされる文言を分析し、男女別、年齢別、地域別にニュースランキングを弾き出す、いわゆるビッグデータ解析の結果を毎朝紹介している。
その傾向から見えてきたのは、10代、20代の海外ニュースへの関心の高さだ。NHKで夜9時の報道番組「ニュースウオッチ9」の立ち上げに参加した06年頃、海外ニュースは最も視聴率が取れないコンテンツとして、トップニュースで扱われることがほとんどなかった。
「海外情勢は日々の生活から遠く、関心が低い」という見立てから
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください