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弁護士ドットコム・亀松太郎のジャーナリズム論

メディアの大変革期の中でいよいよ問われるジャーナリスト個人の力量

亀松太郎 ネット・ジャーナリスト

 いまベトナムのホーチミンにいて、ウンウン唸りながら、この原稿を書いている

 「Journalism」編集部から指定された締め切り日はとうに過ぎているのに、原稿はまだ完成していない。いつもこんな調子だ。「あいかわらず、自分はダメ人間だな」。そう自嘲しながら、タブレット端末「iPad」の画面をタッチして、文字を一つひとつタイプしていく。

 一方で、テーブルの上に置かれたスマートフォン「iPhone」には「弁護士ドットコムニュース」編集部からの連絡がひっきりなしに入ってくる。フェイスブックのアプリに、編集部員たちによる最新の報告が続々と送られてくるのだ。

 今日は2015年4月15日。日本の東京では、女性器をモチーフにしたアート作品が「わいせつ」だとみなされて逮捕・起訴された芸術家「ろくでなし子」こと、五十嵐恵被告人の初公判が開かれていた。

 本来なら、弁護士ドットコムニュース編集長の僕が陣頭指揮を取るべき場面なのだが、ベトナムにいては臨機応変な指示が難しいため、東京にいる副編集長にジャッジを任せている。だが、裁判所に取材に出かけた記者と編集部のやりとりは、フェイスブックのタイムラインを見ていればリアルタイムで知ることができるのだ。

 「みんな、頑張ってるな」。フェイスブックを見ながらそんな言葉を頭に浮かべていたら、ヤフーニュースのトピックス、いわゆる「ヤフトピ」に「『ろくでなし子』被告が無罪主張」というニュースが入ったことを知った。

 残念ながら、トップ記事は弁護士ドットコムニュースが配信した記事ではなく、時事通信の記事だ。

 しかし、そのすぐ下の「関連記事」として、弁護士ドットコムが3日前に配信した、被告人の単独インタビュー記事へのリンクが掲載されていた。新聞社や通信社の速報記事を、弁護士ドットコムの深く掘り下げた記事が「補完」するというよくあるパターンだ。

 アクセス解析ツールを見ると、それなりの数の閲覧アクセスがヤフー経由で弁護士ドットコムに流れてきていることが分かった—。

 こんな風にして、僕は毎日、ネットニュースと向き合っている。編集部がある東京・六本木にいようがいまいが、スマホを通じてニュースと接し、あるときは記者、あるときは編集者、そして、あるときは少数精鋭の編集部を率いるリーダーとして、「ネットメディアにいったい何ができるのか」を考え続けている。

 僕が社会人になって、メディアの世界に足を踏み入れたのは、いまから20年前のこと。そのときは、まさか、こんな形でニュースと対峙することになるとは思ってもいなかった。こんなに変化に富み、刺激に満ちた世界が待ち受けているとは……。

老舗の新聞社に入ってはみたけれど

 2浪1留。ほかの学生よりも、少しばかり時間をかけて大学を卒業した僕が社会に出て最初に勤めたのは、朝日新聞社だった。創業から百年以上の歴史を誇る老舗の新聞。日本を代表するニュースメディアと言ってよいだろう。

 その朝日新聞に入社したのは1995年。1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件、そして、5月にオウム真理教の教祖逮捕という歴史に残る大災害や大事件が起きた年だった。

 記者として採用された僕は、関西地方の奈良支局(現総局)に配属された。当時の新人記者は、最初に地方支局を二つほど経験してから、東京や大阪の本社に移って社会部や経済部に進むのが通例だった。しかし僕は、たった一つの支局で新聞記者をかじっただけで、辞めてしまった。期間は3年にすぎなかった。

 なぜ、辞めたのか。いまから考えれば、若気の至りとも思えるが、当時は大きな組織のサラリーマン記者として働くことに窮屈さを感じていた。「ほかにもっと自分に向いた職業があるかもしれない」。そう考えたのだった。

 わずか3年という短い新聞記者生活だったが、フルタイムで働いた初めての仕事だ。このときの経験が良くも悪くも、僕の社会人としての基礎を形づくっているのだと思う。

 「サツ回り」と呼ばれる警察取材から始まって、県庁や市役所、スポーツ、文化財と一通りの記者取材を体験した。特ダネらしい特ダネは一本も書けなかったダメ記者だったけれど、いろいろな人に会って、自分の知らない世界の話を聞くのは楽しかった。

 また、さまざまなタイプの先輩記者の仕事ぶりを間近で見ることができたのも、貴重な経験だった。朝日新聞の元記者で、東京本社の編集局長を務めた外岡秀俊さんによると、新聞記者には大きく二つのタイプがあるという。

 「一つは論理的で解析力にすぐれ、何かものごとが起きると、たちどころにその背景や道筋を説き起こすことができる書斎派。もう一つは、分析は不得手でも、人並み外れたカンが働いて、いつもスポット・ライトがあたる事件の中心に先回りしている現場派の記者です」(朝日新書『情報のさばき方—新聞記者の実戦ヒント』)

 僕が一緒に仕事をしたなかにも、書斎派と現場派の両方のタイプの記者がいた。さらに細かくみれば、取材の仕方や記事の書き方は記者ごとに違っていた。短期間ではあるが、そんなバラエティーに富んだ記者の姿を実際に目にしたことは、大きな財産となっている。

 それぞれの記者の取材手法は、新聞記者として自分が成長するために参考になっただけではない。現在、ネットメディアの編集長としてオリジナル記事の方向性を考えるときにも、新人記者時代に蓄積した「脳内データベース」が役に立っている。新聞やテレビといったマスメディアの記者が、どのように動くのか。それを推測したうえで「彼らがやらない方法でやってみよう」と、逆張りの発想で戦略や戦術を練っているのだ。

司法試験に挑戦して失敗……それでも点と点はつながる

 僕が新聞記者を途中でリタイアしたのは、1998年の春だった。その後、紆余曲折があって、再びニュースメディアで働くことになったのが、2006年の秋だ。改めて振り返ると自分でも驚いてしまうが、その間に8年もの「ブランク」がある。

 いったい何をやっていたのか。退社後1年間は無職のモラトリアム、その後の3年間は小さなネットベンチャーのコンテンツ制作者、そして、最後の4年間は法律事務所でアルバイトをしながら、司法試験の勉強をしていた。

 実は、朝日新聞を退社したとき、次にどんな仕事をするのか決めていなかった。ゆっくり「充電」しながら将来のことを考えよう。そう思って、静岡の実家でノンキな無職生活を送っていたのだが、1年間、思索にふけってみても答えは出なかった。

 そんなころ、ひょんなことから知り合った人の誘いで、東京でインターネットの仕事を始めることになった。勤めたのは社員数人のごく小さな会社で、担当業務もホームページ制作の初歩の初歩といった内容だったが、それまで縁がなかったインターネットのメカニズムを自分なりに理解することができたのは大きかった。

 だが、当時の僕は、インターネットの可能性に強い魅力を感じていたものの、その世界にまっすぐ突き進むことができなかった。30代になっていたのにもかかわらず派遣社員という不安定な立場だったこともあり、安定的な仕事ができそうな資格を取ろうと決意した。

 考え方としては悪くないだろう。でも狙ったのが、司法試験という最難関の資格試験だったのが良くなかった。頑張ればなんとかなるだろうと思ったが、甘かった。

 トータルで5回ほど受験したものの、あえなく撃沈。マークシート試験は通過するのだが、論文試験がどうしてもクリアできない。記者をやっていたから論文は書けるはずとタカをくくっていたが、大いなる勘違いだった。司法試験で必要とされる文章は、新聞記者の文章とはまったく異なっていたのだ。

 36歳の秋。「これが最後」と決めた論文試験の合格発表の日、新宿の薄暗いネットカフェで、法務省のページに自分の受験番号がないことを確認したときは、さすがにショックだった。

 しかし、いまから思えば、結果的にはそれで良かったのだ。もし首尾よく弁護士資格が取れてしまっていたら、その後の刺激的な「メディア経験」をすることはできなかったのだから。

 アップルの創業者スティーブ・ジョブズが、来賓として招かれたスタンフォード大学の卒業式で行った有名なスピーチがある。ジョブズは、大学を中退して人生の「寄り道」をしていたときの経験こそが、アップルのコンピューターの美しいフォントにつながっているのだとして、卒業生たちにこう語りかけた。

 「未来に先回りして、点と点をつなげて見ることはできない。君たちにできることは、過去を振り返って、点と点をつなげることだけだ。バラバラに見える点であったとしても、将来、なんらかの形でつながっていく。そう信じるべきだ」

 レベルは全然違うが、人生における点と点が、あるとき突然つながって線になったというのは、僕にも当てはまる経験だ。弁護士資格を取るために必死に法律の勉強をしたことが、いま「弁護士ドットコム」で法律系のニュース記事を編集するとき、大いに役立っている。

 一度しかない人生に無駄な経験などない。失敗や挫折も、どこかで自分の糧となって戻ってくる。点と点はいつかどこかでつながるはずだ。僕もそう信じている。

ネットメディアの作法を体得

 さきほど述べたように、僕は8年間のブランクを経て、ニュースメディアの世界に舞い戻ってきた。司法試験を断念した2006年の秋、インターネットメディア「J-CASTニュース」を運営するジェイ・キャストに入社した。

 J-CASTニュースはその年の夏に本格スタートしたばかりで、編集部スタッフの中途採用を行っていた。僕は、それまでのキャリアから「メディアとインターネットを掛け合わせた仕事」ならばできるのではないかと考え、応募した。

 ジェイ・キャストの社長をしていたのは、元朝日新聞記者で、週刊誌「AERA」の編集長を務めたことがある蜷川真夫さんだ。

 蜷川さんはJ-CASTニュースの誕生と発展についてまとめた著書『ネットの炎上力』のなかで、コンセプトは「1・5次情報」なのだと記している。

 「新聞、テレビの速報ニュースは1次情報である。取材した情報を簡潔に流していく。何がどこで起きたのかがニュースの基本情報である。(中略)これに対して、雑誌は2次情報である。速報ではない。ニュースを伝える視点が重要である。そのため書き手のコメントも付ける。2次情報のようなスタイルでニュースを早く伝えることが出来ないか。週刊誌を毎日出すようなものだが、インターネットなら出来る。新聞と週刊誌、両方の中間だから、1・5次情報かな」

 新聞と週刊誌の両方を経験した蜷川さんならではの発想といえるだろう。そのコンセプトを具現化し、J-CASTニュースを誰もが知るネットメディアに育て上げたのが、大森千明編集長だ。大森さんも蜷川さんと同じく元朝日新聞記者で、AERAの編集長経験者だった。大森さんには編集力の重要性を教わった。ジェイ・キャストに入ったとき、僕は記者をやりたかったのだが、「記者になりたい人間はいくらでもいて、飽和状態だ。むしろニーズがあるのは、編集者だ」と言われた。そして、主な仕事としてJ-CASTテレビウォッチという新コーナーの編集をまかされることになった。

 ネットメディアの編集者として特に重要な能力はなにか。それは「記事タイトル」をつける力だ。大森さんから「電車の中吊り広告の見出しが参考になる」とアドバイスを受け、通勤電車で「心に響く言葉」のセンスを磨いていった。このときに養った見出しに対する感覚は、弁護士ドットコムニュースの記事タイトルをつけるときにも生かされている。

 もう一つ、ジェイ・キャストで学んだのは、徹底したコスト意識だ。新聞やテレビなどの既存メディアに比べると、ネットメディアの予算はかなり小さいのが現実だ。限られたリソースのなかで、最大限のパフォーマンスを達成するにはどうすればいいのか。それを追求するマインドとノウハウを、試行錯誤しながら体得していった。

 弁護士ドットコムニュースでも、いかにコストをかけないで新聞社やテレビと渡り合えるようなニュース記事を作るかが課題だ。コストパフォーマンスを意識した「ネットメディアの作法」は、いまも生きている。

ニコニコ動画の「双方向性」パワーを実感

 貴重な経験をさせてもらったジェイ・キャストだが、ここも3年半で退社することになった。どうやら僕は、3年周期で転職する星の下に生まれているようだ。

 当初は、ジェイ・キャストを辞めてフリーランスのジャーナリストになろうと思っていた。ところが、縁あって、動画サイト「ニコニコ動画」を運営するドワンゴに入社することになった。2010年4月のことだ。

 ドワンゴでは、プラットフォーム型のニュースサイト「ニコニコニュース」の編集長をしながら、ライブストリーミングサービス「ニコニコ生放送」を使った報道・言論番組の制作チームの統括を担うことになった。

 僕が参加したのは、ちょうどニコニコ動画が社会的に広く認知されていくタイミングだ。政治資金規正法違反で強制起訴された小沢一郎氏(後に無罪)の単独インタビュー番組や、ライブドア事件で実刑判決を受けた堀江貴文氏の収監直前密着生放送など、画期的な番組に立ち会うことができたのはラッキーだった。

 2011年に発生した東日本大震災のときは、僕自身が東北の被災地に足を運んで、現地からの生中継リポートを試みた。翌年には福島第一原発の共同取材のメンバーの一人として構内に入り、動画リポートを行った。

 かつてはテレビ局でなければ実現できなかった災害中継が、撮影機材の進歩とネット技術の革新により、小規模なネットメディアでも可能になったのだ。

 震災から1年後には、ニコニコ動画と朝日新聞の共同企画として、朝日新聞仙台総局で特番を放送した。被災地の駐在記者を集め、僕の司会で「震災報道」を振り返る番組を生放送した。何の展望もなく朝日新聞を辞めてから14年。まさかこんな形で、

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筆者

亀松太郎

亀松太郎(かめまつ・たろう) ネット・ジャーナリスト

1970年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者になるが、3年で退社。法律事務所でのリサーチャーやJ-CASTニュース記者などを経て、ニコニコ動画を運営するドワンゴに転職。ニコニコニュース編集長としてニュースサイト運営や報道・言論番組の制作を統括した。2013年から弁護士ドットコムニュースの編集長としてヤフーニュースなどに記事や動画を配信。早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース非常勤講師。