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一発の銃弾の重みをかみしめる隊員

自衛隊の内なる声に耳を澄まし続けて

小貫武 NHK報道局遊軍プロジェクト副部長

「社会部防衛記者」として20本以上の番組を制作

陸自幹部候補生たちへの取材=NHKスペシャル「60年目の自衛隊 現場からの報告」(2014年8月10日放送)から拡大陸自幹部候補生たちへの取材=NHKスペシャル「60年目の自衛隊 現場からの報告」(2014年8月10日放送)から
 防衛省記者クラブ(防衛記者会)には、2種類の記者がいる。「政治部系」と「社会部系」だ。各社ともたいてい両部から1人ずつ記者を配置している。政治部は、防衛大臣をはじめ政務三役と内部部局(背広組)を担当し、主に防衛政策が守備範囲だ。

 一方、社会部は、統合幕僚監部と陸海空の各幕僚監部(制服組)を中心に各地の部隊を担当。守備範囲は、自衛隊の部隊運用(オペレーション)である。海外派遣や訓練・演習に同行することも多く、「命じる側」よりは「命じられる側」に飛び込んでいく。私は後者=「社会部防衛記者」を長年やってきた。

 私がこの記者クラブで取材を始めたのは、2000年のことである。以来縁あって15年にわたり、防衛省の制服組・自衛隊の部隊を見続けてきた。最初は現場記者として、ある時期からはデスクとして。この間、地方局に勤務したときも地元の部隊との接触は絶やさなかった。

殉職者遺影前での幹部候補生教育=NHKスペシャル「60年目の自衛隊 現場からの報告」から拡大殉職者遺影前での幹部候補生教育=NHKスペシャル「60年目の自衛隊 現場からの報告」から
 現場から聞こえてくる声は、それまでの先入観をことごとく打ち砕くほど興味深く、気がつけば、自衛隊関連の番組(NHKスペシャル、クローズアップ現代)を20本以上制作していた。そうした取材・制作経験をもとに、番組で紹介した自衛官たちの証言を引きながら、安保政策の転換点とも言われる今日、それが部隊や隊員に与える影響を中心に考察したい。

実戦で一発の銃弾も撃たず

イラク派遣前、福島駐屯地で「市街地戦闘」訓練をする隊員たち=NHKスペシャル「陸上自衛隊 イラク派遣 ある部隊の4か月」(2004年2月1日放送)から拡大イラク派遣前、福島駐屯地で「市街地戦闘」訓練をする隊員たち=NHKスペシャル「陸上自衛隊 イラク派遣 ある部隊の4か月」(2004年2月1日放送)から
 01年の米国同時多発テロ以降、自衛隊の任務は、拡大の一途をたどってきた。インド洋での給油活動、イラクでの人道復興支援活動、ソマリア沖海賊対処、南スーダンなどでの国連平和維持活動(PKO)……。その中でも、変わらなかった事実が一つある。それは、自衛官が実戦で一発の銃弾も撃っていないということだ。

 だが、今後、状況は変わるかもしれない。これまで、いわゆる「有事」以外の活動で自衛官が武器使用できるのは生命身体などを守る場合だけだった。相手に危害を加えるのが許容されるのも、正当防衛・緊急避難が認められる場合に限られていた。

 一方、新たな安全保障法制ができれば、武器使用の範囲は格段に広がる。PKO活動などでの「治安維持任務」や「駆け付け警護」を可能とし、「任務遂行のための武器使用」が認められるのだ。自らの身を守るだけでなく、任務を妨害する者を排除するための武器使用もできることになる。自衛隊にとって、大きなギアチェンジだ。

2004/2014 隊員たちの証言

インド洋給油支援部隊の隊員たち=クローズアップ現代「岐路に立つ 海上自衛隊」(2008年9月30日放送)から拡大インド洋給油支援部隊の隊員たち=クローズアップ現代「岐路に立つ 海上自衛隊」(2008年9月30日放送)から
 では、武器の使用を現場の隊員たちは、どう捉えているのだろうか。昨年7月、安保法制に関する閣議決定がなされる直前、私たちの取材班は、陸上自衛隊幹部候補生学校(福岡・久留米市)を訪れた。将来、陸上幕僚長や統合幕僚長になる可能性もあるエリートたちに水を向けてみると、彼らが口々に語ったのは「一発の銃弾の重み」であった。

 「小銃は人を殺傷する能力がある。その一発は、任務達成のために撃つというものであって、単に撃てと言われて撃つものではありません。命を奪うと思えば、撃ちたくないのは人としてもちろんのことで、日々訓練をしているのは、国防の任を担っているからです」(22歳)(注1

儀仗行進する海上自衛官=クローズアップ現代「岐路に立つ 海上自衛隊」から拡大儀仗行進する海上自衛官=クローズアップ現代「岐路に立つ 海上自衛隊」から
 「自分の命令、号令一つで部下の命を落とすかもしれないし、敵の命を奪ってしまうかもしれない。部下と、相手の命の重みというのを常々感じています」(24歳)(注2

 彼らの言葉を聞いて、10年前、イラク派遣を目前に控えた陸上自衛隊第44普通科連隊(福島市)の若い隊員たちから聞いた話を思い返した。この部隊には、4カ月ほど通い詰めた。当時、イラクでは、武装勢力による米軍への攻撃が相次ぎ、多数の死傷者が出ていた。そうした状況を踏まえ、「もし、現地で撃つ/撃たないの判断を迫られたらどうする」と彼らに問うたときの答えである。

 「そういう状況にならないよう、防げるなら事前に防ぎたい。もしも防げない場合は、まず銃は構えます。銃は構えますけど、引き金を引くときにもう一回、何か考えると思います。考えて……、仲間が、自分が、やられるんだったら、任務を完遂するためなら、自ずと答えが出ると思います。事前に防げるんだったら防げる方向に力を入れて……。撃つというのは最終的なことです。はっきり〝撃つ〟とは言えない」(3等陸曹)(注3

 続けて、同席していた防衛大卒の若い幹部が、この隊員の話を引き取った。

 「〝撃て〟という命令を与えるのは、我々幹部の務めなんです。その時、この隊員の中の誰かに撃たせて、相手を殺させた場合、相手にも当然家族がいるわけで。任務を終えて帰国した後、隊員には、一生〝殺した〟という感覚が残る。そのまま、十字架を負ってずっと生きることになる。〝殺されなければいい〟と今まで考えていたんですけど、〝殺させる〟こともしたくない。隊員にもさせたくないし、私もしたくない。これが正直な気持ちです」(2等陸尉)(注4

 幹部候補生学校の隊員たちの声と、比べてみてどうだろう。二つのインタビューの間には10年の時差があるが、そこには通底する思考があるように思える。

組織を代表する最高幹部も同様な話を

不祥事を究明する「海自抜本的改革委員会」=クローズアップ現代「岐路に立つ 海上自衛隊」から拡大不祥事を究明する「海自抜本的改革委員会」=クローズアップ現代「岐路に立つ 海上自衛隊」から
 実は、自衛隊の最高幹部たちからも彼らと同じような話を聞いたことがある。ただ、その視点は、現場の隊員よりも巨視的・俯瞰的だ。

 イラク派遣時に陸上幕僚長・統合幕僚長を歴任した先崎(まっさき)一(はじめ)氏は、退官後、私たちの取材に対し、現地で隊員が発砲しかねない緊迫した事態があったと明かした上で、こう話した。

 「まかり間違って、武器使用に発展するような事態になれば、それはもう(人道復興支援を掲げる日本による)裏切り行為に映る。そうなると、日本対イラクという、国対国の枠組みの中でも大きな禍根を残してしまう。わずか一発の弾で、そういうことにつながる危険性だってあったということまで考えましたね」(注5

 その一発が、国と国との運命を変えかねない。その重さは「日本防衛」の現場でさらに増す。

 尖閣諸島をめぐって日中両国のにらみ合いが続く東シナ海。01年には、北朝鮮工作船と海上保安庁巡視船との銃撃戦があった。数年前から中国による資源開発も本格化している。この「緊張の海」の警戒・監視にあたる海上自衛隊鹿屋基地や佐世保基地を何度も取材で訪れたが、部隊指揮官からたびたび聞かされたのも、自らの行為でエスカレーション・ラダー(緊張の度合い)を上げてはならないという話だ。

 「我々の対応、行動いかんによっては外交的な問題、デリケートな問題になりかねないのです」(注6)という人もいれば、日中戦争を引き合いに出し「ここを〝盧溝橋〟にしてはならないと部下にも自分にも言い聞かせています」と述べる人もいた。

一発の重みは変わるのか?

 その東シナ海で日中間の緊張が最も高まった出来事といえば、13年1月、海自の護衛艦「ゆうだち」が、中国海軍の軍艦から「射撃管制レーダー」を照射された事件だろう。一触即発の事態だったが、最終的に、撃ち合いなどには至らなかった。そのときの佐世保基地トップ=佐世保地方総監だった吉田正紀氏は、現場部隊の対応を総括し、

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筆者

小貫武

小貫武(おぬき・たけし) NHK報道局遊軍プロジェクト副部長

1967年、兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。90年、NHK入局。金沢局、名古屋局を経て社会部。警視庁警備・公安、防衛省などを担当。2008年から社会部デスク。14年から現職。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです