自衛隊の内なる声に耳を澄まし続けて
2015年06月15日
一方、社会部は、統合幕僚監部と陸海空の各幕僚監部(制服組)を中心に各地の部隊を担当。守備範囲は、自衛隊の部隊運用(オペレーション)である。海外派遣や訓練・演習に同行することも多く、「命じる側」よりは「命じられる側」に飛び込んでいく。私は後者=「社会部防衛記者」を長年やってきた。
私がこの記者クラブで取材を始めたのは、2000年のことである。以来縁あって15年にわたり、防衛省の制服組・自衛隊の部隊を見続けてきた。最初は現場記者として、ある時期からはデスクとして。この間、地方局に勤務したときも地元の部隊との接触は絶やさなかった。
だが、今後、状況は変わるかもしれない。これまで、いわゆる「有事」以外の活動で自衛官が武器使用できるのは生命身体などを守る場合だけだった。相手に危害を加えるのが許容されるのも、正当防衛・緊急避難が認められる場合に限られていた。
一方、新たな安全保障法制ができれば、武器使用の範囲は格段に広がる。PKO活動などでの「治安維持任務」や「駆け付け警護」を可能とし、「任務遂行のための武器使用」が認められるのだ。自らの身を守るだけでなく、任務を妨害する者を排除するための武器使用もできることになる。自衛隊にとって、大きなギアチェンジだ。
「小銃は人を殺傷する能力がある。その一発は、任務達成のために撃つというものであって、単に撃てと言われて撃つものではありません。命を奪うと思えば、撃ちたくないのは人としてもちろんのことで、日々訓練をしているのは、国防の任を担っているからです」(22歳)(注1)
彼らの言葉を聞いて、10年前、イラク派遣を目前に控えた陸上自衛隊第44普通科連隊(福島市)の若い隊員たちから聞いた話を思い返した。この部隊には、4カ月ほど通い詰めた。当時、イラクでは、武装勢力による米軍への攻撃が相次ぎ、多数の死傷者が出ていた。そうした状況を踏まえ、「もし、現地で撃つ/撃たないの判断を迫られたらどうする」と彼らに問うたときの答えである。
「そういう状況にならないよう、防げるなら事前に防ぎたい。もしも防げない場合は、まず銃は構えます。銃は構えますけど、引き金を引くときにもう一回、何か考えると思います。考えて……、仲間が、自分が、やられるんだったら、任務を完遂するためなら、自ずと答えが出ると思います。事前に防げるんだったら防げる方向に力を入れて……。撃つというのは最終的なことです。はっきり〝撃つ〟とは言えない」(3等陸曹)(注3)
続けて、同席していた防衛大卒の若い幹部が、この隊員の話を引き取った。
「〝撃て〟という命令を与えるのは、我々幹部の務めなんです。その時、この隊員の中の誰かに撃たせて、相手を殺させた場合、相手にも当然家族がいるわけで。任務を終えて帰国した後、隊員には、一生〝殺した〟という感覚が残る。そのまま、十字架を負ってずっと生きることになる。〝殺されなければいい〟と今まで考えていたんですけど、〝殺させる〟こともしたくない。隊員にもさせたくないし、私もしたくない。これが正直な気持ちです」(2等陸尉)(注4)
幹部候補生学校の隊員たちの声と、比べてみてどうだろう。二つのインタビューの間には10年の時差があるが、そこには通底する思考があるように思える。
イラク派遣時に陸上幕僚長・統合幕僚長を歴任した先崎(まっさき)一(はじめ)氏は、退官後、私たちの取材に対し、現地で隊員が発砲しかねない緊迫した事態があったと明かした上で、こう話した。
「まかり間違って、武器使用に発展するような事態になれば、それはもう(人道復興支援を掲げる日本による)裏切り行為に映る。そうなると、日本対イラクという、国対国の枠組みの中でも大きな禍根を残してしまう。わずか一発の弾で、そういうことにつながる危険性だってあったということまで考えましたね」(注5)
その一発が、国と国との運命を変えかねない。その重さは「日本防衛」の現場でさらに増す。
尖閣諸島をめぐって日中両国のにらみ合いが続く東シナ海。01年には、北朝鮮工作船と海上保安庁巡視船との銃撃戦があった。数年前から中国による資源開発も本格化している。この「緊張の海」の警戒・監視にあたる海上自衛隊鹿屋基地や佐世保基地を何度も取材で訪れたが、部隊指揮官からたびたび聞かされたのも、自らの行為でエスカレーション・ラダー(緊張の度合い)を上げてはならないという話だ。
「我々の対応、行動いかんによっては外交的な問題、デリケートな問題になりかねないのです」(注6)という人もいれば、日中戦争を引き合いに出し「ここを〝盧溝橋〟にしてはならないと部下にも自分にも言い聞かせています」と述べる人もいた。
その東シナ海で日中間の緊張が最も高まった出来事といえば、13年1月、海自の護衛艦「ゆうだち」が、中国海軍の軍艦から「射撃管制レーダー」を照射された事件だろう。一触即発の事態だったが、最終的に、撃ち合いなどには至らなかった。そのときの佐世保基地トップ=佐世保地方総監だった吉田正紀氏は、現場部隊の対応を総括し、
有料会員の方はログインページに進み、デジタル版のIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞社の言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください