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社論の行方や会社の事情を酌み取るな

憎むべきは記者の怯懦と怠慢である

清武英利 元読売新聞編集委員

 読売新聞外報部出身の作家・日野啓三氏が、観測者や筆者の存在を離れた〝客観的事実〟というものは実在しない、という趣旨のことを書いています。

 それは日野氏が友人である開高健氏の『ベトナム戦記』(朝日文庫)に寄せた解説の一節ですが、〈限りなく〝事実〟を求めて〉というこの文章で、自身もベトナム特派員だった日野氏はこう続けています。

 〈実在するのは、すなわちリアルなのは、できる限りのナマの事実と筋道に迫ろうとするわれわれ自身の気魄と姿勢であるだろう〉

 私は1975年に読売新聞社に入社して40年近く、新聞界やジャーナリズムの世界に住んでいますが、たどり着いたところはこの一文に過ぎません。

 記者にとって大事なのは、時代の風や社論の行方、会社の事情を酌み取ることではなく、事実であろうと思われることに対する、ひとりの記者としての気き魄はくであり、追跡の力であり、もがきなのであって、憎むべきは記者の怯懦(きょうだ)と怠慢です。

権力の前に弱かった事実を歴史の反省として認識を

 以前にも書いたことですが、大手の新聞記者や放送記者は特権集団であり、エスタブリッシュメントの一部です。高給を得て、名刺一枚でたいていの人に会え、大新聞やテレビを背景に自分の意見を広く公表できます。私も読売新聞に在籍し、恥ずかしながらその集団の一員だった時期があります。

 そして、大組織の記者はエスタブリッシュメントの一部であり、サラリーマンであるがために、弱いものに強く、強いものに弱い傾向にあります。特に、覚悟を持たない記者のペンは強者ではなくて、たいてい弱者に向かうのです。認めるのは悲しいことですが、社内外からの圧制、圧力にも屈しやすい。経験を重ねた記者なら誰でも知っていることでしょう。

 重要なことは、記者がまずそれらの事実をしっかりと認めて、抗うことです。記者一人ひとりは平凡な市民に過ぎません。ペンを握る自分は大組織を背景にしているが、記者個人としては、いつの時代にも権力の前に実にもろかったということを、歴史の反省として強く認識することだと思います。

 人は働きながらその人となっていく、という言葉があります。私に言わせれば、記者は書きながら、その人となっていきます。時代や社論に合わせて書いていくと、そのうちに、自由なジャーナリストから、社論や編集局の〝異常〟に反応しない記者と化していきます。やがて提灯記事を書いていることにも鈍感になるのではないでしょうか。

拡大百田尚樹氏の発言内容を報じる6月26日付の沖縄タイムス1面(左)と琉球新報の社会面

 その例には事欠きませんが、ここでは最近の「報道威圧問題」を挙げます。

 発端は、6月25日に、安倍首相に近い自民党の若手・中堅議員でつくる勉強会「文化芸術懇話会」の初会合でした。大西英男衆院議員らが「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番。経団連などに働きかけてほしい」などと放言を重ねています。

 これに、講師として出席した作家の百田尚樹氏が「本当に沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさなあかん。沖縄のどっかの島でも中国にとられてしまえば目を覚ますはずだ」などと応じたといいます。

自民党勉強会報道めぐる大新聞編集局の混乱

 私がここで言いたいのは、若手議員や百田氏の発言の是非ではありません。

 報道の自由が民主主義の根幹であることは誰でも知っています。それを力で押しつぶそうという発言ですから、支持政党や政策を超えて批判が沸き上がるのも当然のことでした。私が首をかしげるのは、勉強会報道をめぐる大新聞編集局の混乱なのです。

 「文化芸術懇話会」は自民党本部で非公開で行われましたが、冒頭取材と写真撮影の後も各社の政治部記者は勉強会の部屋の前で聞き耳を立て、取材を続けたといいます。

 私が知る限り、最初に報じたのは ・・・ログインして読む
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筆者

清武英利

清武英利(きよたけ・ひでとし) 元読売新聞編集委員

1950年宮崎県生まれ。立命館大学を卒業後、75年に読売新聞社入社。警視庁、国税庁などを担当。社会部次長、中部本社社会部長、編集委員などを経て、読売巨人軍球団代表兼編成本部長。2011年11月に解任され係争中。『しんがり 山一證券 最後の12人』(講談社)で14年講談社ノンフィクション賞。他の著書に『切り捨てSONY リストラ部屋は何を奪ったか』(講談社)、『特攻を見送った男の契り』『巨魁』(いずれもワック)、『会長はなぜ自殺したか』(新潮社、共著)など。