メディアも偏った歴史観を正す報道を
2015年10月12日
その後、14年8月初め、朝日新聞が「慰安婦」報道の検証記事を載せ、故吉田清治氏による済州島での「慰安婦狩り」証言は虚偽であったとして、関係記事16本を取り消すと、あたかも「慰安婦」問題の存在自体に疑問を呈すような社会的雰囲気が醸成された。そして一部メディアによる朝日バッシングと呼ばれる報道や政権関係者の発言は、目にあまるものになっていく。ついには安倍首相自身の口から、「日本のイメージは(朝日新聞の誤報によって)大きく傷ついた。日本が国ぐるみで『性奴隷』にした(との)、いわれなき中傷が今世界で行われている」(同年10月3日の衆議院予算委員会)と、日本軍「慰安婦」問題の存在を否定するかのような発言がなされる事態になった。
こうした発言が飛び出したのは恐らく理由のないことではない。14年の衆議院選挙で自民党の議席占有率は76%に達したとはいえ、全有権者数に対する得票数の比率(絶対得票率)は比例代表選挙で16・99%、 小選挙区で24・49%にとどまる。したがって国民全体の支持という点から言えば、安倍政権は、小選挙区制と自公連立という枠組みによって存立が可能になっている政権であり、その基礎はけっしてそれほど強いものではない。そこで、排他的な民族主義的心情に訴え政権基盤を固めようとする傾向がある安倍首相らは、意図的に「慰安婦」問題などに関し、偏った歴史認識に基づく誤った発言を繰り返すようになったと考えられ、メディアの状況がそれを加速させた。
また広島大学で起きた事例のように、日本軍「慰安婦」問題を講義で取りあげたことをメディアが魔女狩り的に問題にするような動きも生じた。これは、14年の春、同大学の映像表現の講義で「慰安婦」問題のドキュメンタリーが教材にされた際、それを学生が産経新聞に投書して問題にし、産経新聞もまた記者が執筆するコラムで批判を加えたという事件である。同じ文脈で維新の会の国会議員(当時)が委員会質疑で言及し、大学には記事を見た読者から抗議が殺到したという。こうした一部のメディアの動きが広がるならば、外から世論を煽って政治的な圧力をかけ、学問の自由に介入する危険な動きにもなりかねない。
以上に述べたような歴史認識の問題は、安倍首相が15年8月14日に発表した戦後70年に関わる談話にも通底していた。談話の表現は、安保法制反対運動の高揚と対外関係に対する配慮など種々の要因が働き、首相が当初思い描いていたものに比べれば、恐らく相当に抑制された内容になった。春頃までメディアの間では「侵略」「植民地支配」「反省」などの言葉を入れないのではないかとの観測記事が流れていたにもかかわらず、最終的にこれらの言葉は、いずれも談話の中に入った。それもあって、韓国や中国の反発は比較的小さなものであったし、日本国内でも首相の支持率を大きく下げるような反応は生まれなかった。しかし、問題がないかというと、けっしてそうではない。
安倍談話の最大の問題は、侵略戦争を引き起こし、植民地を統治した責任に触れながら、その主語は明示しないことにある。侵略戦争に対する反省を、首相自身が主語となる表現では一言も言っていないのである。「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。……こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」とあるが、その主語は、前段の場合は「我が国」(英語訳ではJapan、中国語訳では我国)、後段では「歴代内閣の立場」(同じくposition articulated by the previous cabinets、我国)となっている。
また「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」とは語られているが、最初の文章と次の文章の主語は記されておらず、政府による英語訳では「we」、中国語訳では「我們」との一般的な表現が用いられている。英語にせよ、中国語にせよ、このような場合の「我々」は、漠然と全ての人々を意味するだけであって、そこに安倍首相本人の意志を見いだすことはできない。
ただし以上のような問題があったため、談話は、いわば問わず語りに、安倍首相の言いたくなかったことを鮮明にした。首相は、侵略戦争と植民地支配を反省していると、自分自身の言葉としては、言いたくなかったのであろう。談話発表時の記者会見で「過去の村山談話や小泉談話と違う形で、お詫びの気持ちや侵略の文言を入れた理由」を問われた首相は、「具体的にどのような行為が侵略に当たるか否かについては歴史家の議論に委ねるべきである」と考えたため、と答えた。しかし、1931年の満洲事変や37年から45年まで日本軍が中国で展開した行動を侵略と言わずして何と呼ぶのか。歴史家が集まる学界において、それを否定する議論は存在しない。「歴史家の議論に委ねる」は、侵略戦争への反省を自ら明言しないための言い逃れである。
第二の大きな問題は、日露戦争をきわめて一面的に、美しいもの、認められるものであるかのように描きだしたことである。談話は、明治日本の近代化に触れた後、日清戦争には触れず、突然「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」とする。確かにアジアの民族運動指導者の中に、アジアの小国がヨーロッパの大国に戦勝した事実に啓示を受けた人々はいた。しかし、日露戦争をその一面からだけ描くのは、あまりにも不見識である。そもそも日本とロシアは、なぜ戦ったか、どこで戦ったか、誰に迷惑をかけたのかといった基本的事実を踏まえなければならない。いうまでもなく日本とロシアは、朝鮮半島などに対する影響力を競って戦ったのであり、主な戦場は中国東北部と朝鮮半島の周辺であり、そこで暮らしていた民衆に多大の困難をもたらした。そうした基本的事実を抜きに「多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」とするのは、中国や朝鮮の人々の神経を逆なでするものというほかない。
魯迅に「藤野先生」という小品がある。日本人教師と中国人留学生・魯迅との交流を描いたことで知られるが、実はもう一つ、強烈なメッセージが込められていた。作品には、教室で見た時事ニュースを伝えるスライドの一枚に、ロシア軍のスパイと目された中国人捕虜が日本軍に処刑される場面があったことが描かれている。スライドに拍手する日本人学生の中に身を置いていた魯迅は、同じ中国人の処刑場面を平然と見物している中国民衆の姿に衝撃を受けた。民衆の覚醒がなければ、中国の明日はない。そう考えた魯迅は、民衆の覚醒を促す文学者を志すようになる。これが魯迅にとっての日露戦争であった。「勇気づけ」られてはいない。危機感を深めたのである。
第三の問題は、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という表現で、あたかも侵略戦争に関する謝罪はこれで終了とするかのような印象を与えたことである。談話は、そのすぐ後に「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」という文言を続け、上記の印象を弱めようとしている。だが、やはり全体としてみると、こうした表現は過去の村山談話や小泉談話にはなかったものであり、安倍談話の傾向を特徴づけるものであった。
そして注意すべき点は、侵略戦争に関する謝罪は終わりにしたいという感情が、少なからぬ国民の間で共有されているようにみえることであろう。それは、戦争を直接体験した世代が減少してきたためだけではない。しばしば指摘されるように、日本人の間では、日中戦争から第2次世界大戦にいたる戦争の時代について、原爆や空襲に象徴されるような被害者意識が強く、加害者意識は微弱であった。日本が中国を侵略した戦争は中国の国土の上で戦われたものであり、日本の民衆が身近に体験する機会が少なかったこと、国民党政権の崩壊と共産党政権の成立という戦後中国の激変の中、日中戦争による戦争被害の全貌が十分明らかにされなかったこと、その後、40年代末から70年代初めまで、冷戦の下で中国に対する日本の戦後賠償は中断し棚上げにされてしまったこと、72年の日中国交正常化も戦後賠償を曖昧(あいまい)にするものであったことなど、多くの歴史的要因が影響している。日中戦争で大きな被害を受けた中国の民衆意識と加害に関する認識が微弱な日本の民衆意識との間には、いまだに大きな溝がある。日中間の民衆意識をすりあわせ、日中戦争に関しても共有できる歴史認識を形成していくための学術研究やメディアの報道が、今後、ますます大切になると思われる。
10月声明は、安倍首相を含む一部の政治家やマスメディアの間で、朝日新聞の記事取り消しによって日本軍「慰安婦」に対する暴力の事実全般が否定されたかのような言動が相次いだことに憂慮を表明するとともに、歴史研究者の立場から以下の5点にわたって問題を指摘した。長くなるが、それを改めて示しておきたい。
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