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メディアは新年の門出を祝っている場合ではない

2015年の憤怒を引きずらなければならない

武田砂鉄 フリーライター

 2006年から07年にかけて大ブレークを果たしたお笑い芸人に、ムーディ勝山がいる。スーツ姿に蝶ネクタイ、直立不動で顔をしかめながらムード歌謡を歌うのだが、その歌詞には特に意味がない(ことで笑いを作ろうとする)。頻繁に披露されていたネタは、「右から来たものを左へ受け流す」である。歌詞はこうだ。

 「右から~右から~何かが来てる~ 僕はそれを左へ受け流す~ いきなり~やって来た~ 右からやって来た~ ふいにやって来た~ 右からやって来た~ 僕はそれを左へ受け流す~」

 受け手の反応は素直なもので、右からやって来たものをそのまんま左へ受け流しちゃったら意味ないじゃん、と笑っていた。これが10年ほど前のこと。

 15年にブレークしたネタと言えば、とにかく明るい安村の「安心してください、はいてますよ」である。ブリーフ一丁の芸人が、あたかもはいていないかのような際どいポーズをとり、仁王立ちして「はいてますよ」とブリーフを指さし、笑わせるのだ。昨年、作家・重松清氏と15年を振り返る対談をさせてもらった際、重松氏が唐突に、この安村の言葉には批評性がある、と話し始めた。

 「いままでは『安心できないぞ』『だまされているかもしれないんだぞ』というのが陰謀論的なアプローチだったんだけど、〝なんてこたなかった、はいていた、安心してください〟っていう裏返しの批評性がある」(『現代用語の基礎知識2016』自由国民社)

 瞬時に消えていく時々の流行語は、無意識に世相を反映する、のかもしれない。思えば、ムーディ勝山が活躍したのは第1次安倍内閣下、とにかく明るい安村が活躍しているのは第3次安倍内閣下である。「右から来たものを左へ受け流す」という歌詞をバカにできたのは、まだまだ受け取る側が何かしら思考することを常態化していたから、であろうか。あれは、「いやいや、受け流しちゃダメでしょ」という突っ込みが共有できてこそ笑えるネタだった。

 一方、安村のネタは、受け取る側が何かと忖そん度たくしてしまう状態について、「いやいや、皆さん、なに心配しちゃってんの」と知らせてくれる。かつては「受け流しちゃダメでしょ」と小馬鹿にしていたのが、今では「なに心配しちゃってんの」と小馬鹿にされている。この差異は興味深い。

議論をはぐらかしレッテルを貼りつける

 15年は、安全保障法制をめぐる議論を中心に、安倍政権の自由気ままな暴走が目立ったが、それは単に数の論理に任せた暴走だったわけでもなく、それなりに世相を読み取りながらの暴走ではあった。その作法は、決してテクニカルなものではない。肝心要の場面で閣僚たちの答弁は浮つき、火傷を恐れるあまり、決まりきったフレーズにすがり、気が抜けた時にこぼれた本音は、軒並み失言として問題視された。

 しかしながら彼らは、失言を急いで鎮火するのではなく、「失言を拾っているだけの揚げ足取りのメディアは日本が直面している危機を直視できていない」という風土を作り上げることで、逃げ切る道を作り上げた。

紙面1 朝日新聞2015年7月16日付朝刊拡大紙面1 朝日新聞2015年7月16日付朝刊
 衆議院や参議院での答弁は、議論が深まらないようにはぐらかすことが第一義にあった。安倍晋三首相は、野党議員が話している間に「早く質問しろよ!」とヤジを飛ばし、自分は人の意見など聞き入れる必要のない立場なのだと自分で自分を励ますように「私は総理大臣なんですから」と外からの意見を拒絶した。野党議員が「戦争法案」という言葉を使えば、その言葉がいかに不適当かを具体的に議論するのではなく、議事録から取り消すように働きかけた。議論を深めずに、相手の言葉を根っこから刈り取ろうとしたのだ(紙面1)。

 明らかに憲法違反である集団的自衛権の行使容認を推し進めた安倍首相とその周辺は、議論に持ち込もうとするための言葉を投じるたびに、「そんなのはレッテル貼りだ」と反復した。野党が放つ「戦争に巻き込まれる」をレッテルとするならば、与党が放つ「戦争に巻き込まれない」もレッテルとなるのだが、レッテル貼りの応戦状態を作り上げれば、期限が設けられている以上、数の多いほうが押し切ることができる。

 礒崎陽輔首相補佐官(当時)による「(安保改正は)我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない」という発言のような、議論するまでもない痴しれ言はさておき、安保法制の議論の渦中に漏れ伝わってきた「とにかく通しちゃえば後はどうにかなるだろ」という働きかけには、国民の葛藤を舐めているとしか言い様のないものが多かった。

 高村正彦自民党副総裁は「国民の理解が十分に得られていなくても、やらなければならない」と言い、麻生太郎財務大臣は、学生グループSEALDsの存在について「自分中心、極端な利己的考え」とツイートした武藤貴也衆院議員に対して「自分の気持ちがいいたいなら法案が通ってからにしてくれ」と言った。

 国民をだましますと、国民の前で公言しているのである。安保法制が成立したのは9月の大型連休・シルバーウィーク前だったが、連休前の成立を死守したのは、大型連休を挟めば国民が忘れてくれるという算段があったから。これだけ騒いでいるけれど、連休過ぎればどこへやらでしょう、という腹心が露呈していた。その後で、安心してください、と連呼しておけば、右から左へ受け流してくれるんでしょうと、国民は小馬鹿にされていたわけである。

舐められた国民とメディア

 昨年春に、『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)という本を上梓し、世相にはびこる決まりきったフレーズから現代社会を考察した。

 その趣旨に少なからず賛同してくれたのか、いくつかの媒体から、安倍首相の言葉を分析してくれとの依頼をいただいた。その軽薄さはいくらでも書き連ねることができたのだが、むしろ問うべきは、軽薄な言葉を連射すれば最終的に許容してくれるに違いないだろう、と舐められている国民とメディアではないかとも思うようになった。即物的なスローガンを連投したところで嫌悪感を表明するのは〝サヨク〟と〝マスゴミ〟にすぎないのだから、ならばそのまま連射を続けてしまおうと、決心を強固にされてしまった。

 安倍首相は、答弁ではなく、主導権を握れるときには途端に饒舌になる。昨年4月、アメリカ連邦議会の上下両院合同会議に招かれ、集団的自衛権の行使を約束した上で「私たちの同盟を、『希望の同盟』と呼びましょう。(略)一緒でなら、きっとできます」と演説した。翌月、安全保障法制の閣議決定の際には、「自信を持って前に進もうではありませんか」と、とにかく肌触りの良い言葉を連呼してみせた。

 あたかも売れ線のJ-POPの歌詞のような言葉遣いだが、この程度で通じてしまった事実は残念ながら揺らがない。言葉の役割を軽く見積もりすぎているのではないか、と頭を抱えるが、国民がパブリックな言葉とどのように接しているかを読み解いた上で投じられた言葉なのだから、安請け合いしてしまったこちらにも責任があるだろう。

国民の忘却体質こそが政権暴走のガソリン

 安保法制が可決したわずか5日後に、文字通り「大型連休を挟んだら忘れてしまった国民たち」に向けて、安倍首相は「1億総活躍社会」「新・3本の矢」という夢いっぱいのフレーズとプランを投じた。その記者会見の場で、安倍首相は「この3年で、日本を覆っていた、あの、暗く、重い、沈滞した空気は、一掃することができました。日本は、ようやく、新しい朝を迎えることができました」と述べた。

 たった1週間前まで拮抗していた熱量を少しでも保持していれば椅子から転げ落ちるような発言だったが、ほとんどのメディアは、椅子から転げ落ちることもせず、提出された「新・3本の矢」について、その善しあしを語り始めてしまった。この忘却体質こそ政権暴走のガソリンになっているとの確信を持った。

 視聴者や読者のニーズを嗅ぎ取りすぎてニュースの鮮度ばかりを追いかけていると、ニュース素材を投じる側にその鮮度を管轄されてしまうのではないか。立ちこめた違和感をうやむやにされそうならば、満足がいくまでそれを検証して引っ張り続けるべきだろう。

 新聞記事にしろ、ニュース報道にしろ、安保法制の議論から引き下がるスピードはあまりにも早かった。何度か取材に協力させていただいたが、神奈川新聞が根気強く続けている連載シリーズ「時代の正体」のように、怒りを持続させる働きかけに乏しい。

 メディアの役割とは、権力を監視すること、そして思考の多様性を担保することだと考えているが、権力を監視するためには、提出された案件に異議を唱えるだけではなく、提出してくる案件のタイミングや引き際の強引さを精査しなければならない。ああ、もうそれについては結論出しましたんで次はこちらを、という流れに対して、いいやまだこれを、と差し戻さなければいけない。

 「議題を提示する→メディアの反対を受ける→クリアする→忘れてもらう」という循環を繰り返していけば、あらゆることが提示者の思い通りになる。安倍政権がその反復力を強めていることはメディアも熟知しているはずだが、目先の案件を突っつくことに終始してしまう。半年前のことではない、たった1週間前のことであっても、目先に終始するのだ。

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筆者

武田砂鉄(フリーライター)

武田砂鉄(フリーライター)(たけだ・さてつ) フリーライター

1982年、東京都生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て、2014年9月からフリー。「cakes」「CINRA.NET」「Yahoo!ニュース個人」「SPA!」などで連載を持っている。著書『紋切型社会』(朝日出版社、2015年4月刊)で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。