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「整理、分析、啓蒙」を重視した報道で

ネット時代の権力監視機能を高めよ

西田亮介 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授

 2015年以降、メディアと政治の対立が顕在化し、新たな局面を迎えようとしているように見える。なかでも政治の側が、従来の法解釈のあり方や、放送行政のあり方の変更可能性に言及するなど、積極的な介入の姿勢を見せている。これまで比較的穏当な関係を築き、互いにもちつもたれつの関係にあった日本のメディアと政治の関係が変化しつつある。

写真 高市早苗総務相の発言に抗議する田原総一朗氏(右から2人目)ら=2月29日、東京都千代田区拡大写真 高市早苗総務相の発言に抗議する田原総一朗氏(右から2人目)ら=2月29日、東京都千代田区
 とくに今年2月、高市早苗総務相が電波法第76条の規定にもとづき、放送事業者に対する電波停止の可能性に繰り返し言及したことは、象徴的な出来事といえる。これに対し、田原総一朗氏ら著名なジャーナリストが記者会見を通じて反対意見を表明し、放送事業者の従業員らで構成される民放労連が公開質問状を送付するなど、反発の姿勢を強めている(写真)。

日本の言論機関は萎縮しているのか

 日本のメディアの権力監視機能は、変化しているのだろうか。たとえば、今年2月4日の衆議院予算委員会で民主党の階猛氏が、自民党憲法改正草案における表現の自由の制限に関連して、安倍政権に批判的なテレビキャスターやコメンテーターが次々と番組を降板しているのは民主主義の健全な発展にとってマイナスなのではないか、という趣旨の質問を行っている。

 これに対し、安倍晋三首相は、言論機関が萎縮しているかのような発言があったが実際は全く萎縮していないという趣旨の反論を行った。このとき代表的な事例として、安倍政権を批判し続けている「日刊ゲンダイ」の報道姿勢を紹介した。

 この安倍首相の発言に代表されるように、メディアと政治の関係について「変化していない」「萎縮していない」という意見も根強く流布している。

 そこで、この点を確認するところから議論をはじめる必要がある。放送法をはじめとする政府の法解釈をめぐる発言を、その字面だけで追うと、確かに従来と大きな変化がないともいえる。法解釈の範囲にとどまるなら「政治がメディアを脅かしているか否か」「メディアが萎縮しているか否か」という問いは、主観に依存した水掛け論になりかねない。

 ちなみに先の「日刊ゲンダイ」編集部は、安倍首相の発言に対して、当社の自由な報道をもって、報道の自由全体が確保されているという主張はご都合主義的ではないか、という趣旨のコメントを公表している。

年々低下し続ける日本の報道自由度

 ここでは、日本の報道と、報道をめぐる環境が、国外からどのように評価されているのか、その変化に注目したい。

 言論と報道の自由の擁護を目的に1985年にパリで設立された、国際的なNGO「国境なき記者団」が、2002年から毎年、「世界報道自由度ランキング」を公表している。

 それによると、15年に日本は61位という過去最低の順位を記録した。11年の東日本大震災と福島第一原発事故をきっかけに、12年に22位、13年に53位、14年に59位と順位を下げ続けてきたが、15年にはとうとう過去最低の数字を刻んだ。

 比較のために15年の他国の順位も挙げると、1位フィンランド、2位ノルウェー、3位デンマークと最上位には北欧諸国が並んでいる。そのほかカナダ8位、ドイツ12位、イギリス34位、フランス38位、アメリカ49位、韓国60位と続く。いずれにせよ、日本の報道をめぐる状況は、OECD加盟34カ国のなかでは、もっとも低い水準にあると評価されていることになる。

 もちろん「世界報道自由度ランキング」の評価方法についても、これ特有の評価の傾向があるから、このランキングを偏っていると見なすこともできなくはない。だが、この基準それ自体は、この間、大きく変化していない。それを踏まえれば、日本は民主党政権の時代から、第2次、第3次安倍内閣にかけて一貫して順位を下げてきたことになる。

 したがって、この間に生じたメディアイベント、なかでもメディアと政治に関係したメディアイベントが、日本の報道の自由度を引き下げるものであった、と対外的に評価されてきたといっていいだろう。

メディアと生活者で異なる政治への関心度

 今年に入って、比較的リベラルとされてきた報道番組の再編やキャスター交代の発表が相次いだこともあり、新聞や雑誌で特集が組まれるなど、メディア関係者やジャーナリストの間では、メディアと政治の関係への関心が高まっている。

 しかし、このような状況にありながら、国内の生活者の反応は鈍い。この問題が生活者から積極的に関心を持たれているという印象はない。

 両者のギャップは、なぜ生じているのだろうか。見方によっては、生活者の関心が乏しいからこそ、政治が「攻勢」を強めているようにもみえる。しかしそれを指摘したところで、「生活者はメディアと政治に関心をもつべきだ」という紋切り型の解にたどり着くだけである。

 本稿では角度を変えて、現代日本のメディアにおける権力監視機能と、その変容について、主に生活者を取り巻くメディア環境の変化と、とくに伝統的なメディア企業の対応の遅れに注目しながら検討してみたい。

 前述のように「世界報道自由度ランキング」などを基準にすると、近年日本のメディアが弱体化していると捉えられそうだが、それはなぜだろうか。

 以下において、まずはメディアの力学の変化を基軸にしつつ、日本で実質的にジャーナリズムを担ってきた伝統的なメディア企業における報道、伝達形式とガバナンスの課題を指摘する。それに伴って、生活者視点でみたときの政治やメディア状況の複雑化、不透明化の進行が生じていることを指摘してみたい。

 まずメディアの力学の変化だが、 ・・・ログインして読む
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筆者

西田亮介(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授)

西田亮介(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授)(にしだ・りょうすけ) 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授

1983年、京都府生まれ。慶応義塾大学卒。同大学院政策・メディア研究科後期博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。立命館大学特別招聘准教授などを経て、現職。専門は情報社会論と公共政策。著書に『ネット選挙』(東洋経済新報社)、『ネット選挙とデジタル・デモクラシー』(NHK出版)、『メディアと自民党』(角川新書)など。