メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

規約破ってもBPOはもの言う責任

「表現の自由」守る砦、役割に期待

香山リカ 精神科医、立教大学現代心理学部教授

安倍首相や自民党が報道に神経をとがらせていることを伝える朝日新聞(2014年11月29日朝刊)安倍首相や自民党が報道に神経をとがらせていることを伝える朝日新聞(2014年11月29日朝刊)
 私は、6年間務めた「放送倫理・番組向上機構」(BPO)の放送倫理検証委員をこの3月退任した。BPOの委員は1期が3年間となっており、一般の委員は最長2期で交代するのが原則だ(BPO運営規則には「再任を妨げない」となっているが、私が知る限り3期以上務めているのは委員長など役付きの委員のみで、それも例外的事態と聞いている)。

 説明するまでもないが、BPOとはNHKと日本民間放送連盟によって設置された第三者機関であり、その設立の趣旨は「放送における言論・表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理の問題に対応する」となっている。

 従来あった「放送番組向上協議会」や「放送と人権等権利に関する委員会機構」が統合される形で2003年に発足し、現在の「放送と人権に関する委員会」「放送と青少年に関する委員会」「放送倫理検証委員会」の3委員会体制が確立したのは07年のことだから、さほど古い話ではない。

 中でも私が属していた「放送倫理検証委員会」は、放送倫理上、問題があると指摘された番組について調査し、その結果を意見書として公表するのがその役割だ。この場合、「放送倫理上の問題」とは端的に言うと「虚偽」や「捏造(一般的な言葉を使うといわゆる〝やらせ〟)」などを指している。これは手続き的な問題になるが、「放送倫理上問題がある」と指摘された番組は「審議」案件と呼ばれ、さらに「内容の一部に虚偽がある」と指摘された番組は「審理」案件と呼ばれる。放送局にとっては、問題となった番組が審議の対象とされる、いわゆる「審議入り」となるかどうかがまず大きな関心事となる。

 ひとたび「審議入り」となれば、番組の責任者や製作者ならびに当該局のCSR担当などが、資料の提出や委員による聞き取り調査に応じなければならなくなるからだ。「審理」となれば「虚偽放送の可能性」というさらに重大な嫌疑がかけられるわけだから、事態がより深刻さを増すことは言うまでもない。

「委員会決定」は局の関心事 意見書の表現には苦労

 そして、「審議」や「審理」の結果、意見書では「委員会決定」として「放送倫理違反のある、なし」が〝判定〟されることになる。これは単なる有罪、無罪とは異なるのだが、放送局にとってはこの結果がたいへん重要な関心事となるのは致し方ないだろう。

 私も委員として聞き取り調査や意見書の作成にかかわり、「この番組の問題の箇所をただちに放送倫理違反とすることはできないが、ここに至る番組制作プロセスには非常に大きな問題がある」というケースも、逆に「今回は放送倫理違反と言わざるをえないが、番組そのものの姿勢にはたいへん評価すべきものがある」といったケースもあった。しかし、そのあたりを意見書でうまく表現するのはなかなかむずかしく、委員会決定の放送倫理違反の有無の部分だけを伝える報道などを見ては、委員としては忸怩(じくじ)たる思いを味わったこともたびたびであった。

 そもそも私がこのBPOの委員の依頼を引き受けたのは、精神科医として人が「やらせ」など虚偽の放送に踏みきる心理に少なからず興味があったからだ。私自身、かなりのテレビ好きでもあり、臨床の場でも患者さんたちがテレビ番組やテレビニュースに影響を受けて価値観が形成されたり感情を刺激されたりするさまを見てきた。中にはテレビ報道から妄想が生まれるケースやテレビ番組の内容にショックを受けてトラウマ後遺症に似た症状を呈するケースもあった。

 一方、30代の頃から出演者としてテレビにかかわる機会もときどきあり、その現場があまりに忙しく、作り手が自分たちがいかに影響力の大きい媒体にかかわっているかを意識する間もないことが気になっていた。テレビカメラの向こうには何千万人もの視聴者がいても、スタジオには数十人ほどの人しかいない。私自身、ワイドショーなどでコメントするときにそのつどその何千万人を意識していては何ひとつ言えなくなるので、あえて司会者やその場にいる他の出演者に向けてだけ言葉を発することもあった。しかし、そうすることは緊張感の緩和にもつながると同時に、周囲の出演者への過剰なサービスや「このくらいなら許されるだろう」といった倫理感のゆるみにもつながりかねないことは、身をもって知っていたつもりだ。

現場は視聴率に一喜一憂 サービス過剰の危険も

BPOが「クローズアップ現代」について意見書を発表したことを伝える朝日新聞(2015年11月7日朝刊)BPOが「クローズアップ現代」について意見書を発表したことを伝える朝日新聞(2015年11月7日朝刊)
 また、現場の制作者は常に視聴率という魔物との闘いを強いられる。朝の生放送のワイドショーのコメンテーターを務めていたときには、一部のスタッフが番組がまだ終わらない時間に発表される「昨日の視聴率」のデータをチェックし、その結果がスタジオにも伝えられることがあった。「昨日は8時台はライバル番組に勝っていた」となると雰囲気が明るくなり、「昨日は二つの番組に負けた」などというときには重い空気が漂う。関東地区の視聴率はわずか600世帯の視聴動向から算定されていることはよく知られており、私など無責任に「その人たちの偏りもあるかもしれないから細かい数字に一喜一憂しても仕方ない」などと思いがちなのだが、作り手としてはそれしかよりどころがないのだから、毎日、発表される結果に戦々恐々としても仕方ないのかもしれない。
とにかくそのように、テレビとはその影響力の甚大さに比して、よく言えば臨機応変、悪く言えば綱わたりの〝やっつけ仕事〟で作られているな、とずっと思っていた。そういう中で、誰がいつどのように、「もっと視聴率を稼ぐために」と〝やらせ〟の領域にまで足を踏み入れてしまうのか。その問題に非常に関心があったのだ。

 BPO委員に就任してしばらくは、それほど大きな案件もなく、「人気ビジネスの利用者として取材を受けた人が実はその企業の関係者だった」などルール違反といえば違反にあたるが、「ついうっかり」というレベルの事案を担当したりしていた。「あれほど多忙なテレビの現場なのに、問題となるほどの〝やらせ〟はさすがにほとんどないのだな」というのがあまりに素朴ながら1期目に抱いた感想だった。

 2期目になると、対決シーンの映像が編集で改ざんされた人気バラエティー番組「ほこ×たて」の事案、全聾(ろう)でありながら交響曲などを作曲した作曲家として多くの番組で紹介されながらその後、作品は別の人が作曲していたことがわかった佐村河内守氏をめぐる一連の事案など世間を騒がせるような審議・審理案件が続いたが、いずれも短期間ながらも放送倫理検証委員会の中でしっかり確立されつつあった〝お作法〟にのっとって、弁護士、憲法学者、ジャーナリストに映画監督、と多岐にわたる専門家で構成される委員会で作業を分担しながら、順調に調査や意見書作成が進められていった。

 よく放送局の関係者からはBPOは警察や裁判所になぞらえられる〝取り締まり機関〟だと思われることがあるが、それは違う。設立趣旨にも「放送界の自浄機能を確立し、視聴者に信頼される放送を維持すると共に、表現の自由を守ることを目的とします」とあるように、BPOはあくまで放送における「表現の自由」のために存在しているのだ。「それなら小さなミスや〝出来心〟にいちいち目くじらを立てるな」と話す関係者にも会ったことがあるが、BPOがそうしなければ必ず公権力が取ってかわり

・・・ログインして読む
(残り:約3995文字/本文:約7007文字)