平和と人権を奪われた側に立つ記者たち
2016年05月23日
この春、「琉球新報」記者の新垣毅(あらかき・つよし)(45)は文化部編集委員から東京支社報道部に異動した。異動に先立ち、部屋探しのために上京したのは3月上旬のことである。支社への通勤に便利なマンションを見つけ、会社と提携している不動産業者に入居を申し込んだ。
その翌日──不動産業者から電話がかかってきた。
「大家が入居を拒んでいます」
理由を尋ねる新垣に、不動産業者は恐縮しきった声でこう告げた。
「琉球新報の人間には貸したくないと言ってるんです」
どうも大家は「右寄りの人」だという。
その場では苦笑で応えつつ、しかし、新垣の胸のなかでザワザワと騒ぐものがあった。
大家の対応は「琉球新報」への悪感情というよりも、沖縄そのものへの嫌悪のようにも思えた。20世紀初頭、沖縄からの出稼ぎ者が多かった関西では、「琉球人、朝鮮人お断り」の貼り紙を掲げるアパートが珍しくなかった。
新垣には、こうした時代の風景が二重写しとなる。
「沖縄嫌悪ともいうべき社会の空気感が、確かにある。異質なもの、気に入らないものを排除し、蔑視する動きの中に沖縄も組み込まれているようにも思えます」
ここ数年、差別主義者たちの動向を追いかけてきた私は、新垣の話を聞いているうちに、ひとつの風景がよみがえった。
2013年1月27日。沖縄の首長や県議たちが東京・日比谷野外音楽堂に集まり、オスプレイ配備反対の集会とデモをおこなったときのことである。
デモの隊列が銀座に差しかかったとき、沿道に陣取った者たちからデモ隊に向けて飛ばされたのは聞くに堪えない罵声と怒声、そして嘲笑だった。
「非国民」「売国奴」「中国のスパイ」「日本から出ていけ」─。
日章旗を手にした在特会(在日特権を許さない市民の会)などの集団が、「反沖縄感情」を露骨にぶちまけた。
デモ隊の先頭に立っていたのは当時那覇市長だった翁長雄志(現沖縄県知事)である。一方的な基地負担を押し付けられながら「売国奴」と罵られ、それ以上に醜悪なカウンター行動を容認するかのように通り過ぎる都民の姿を目にして、翁長のなかにある種の「決意」が芽生えたであろうことは想像に難くない。
ヘイトスピーチの問題を取材してきた私は、デモ隊を小馬鹿にしたように打ち振られる日章旗を見ながら、沖縄もまた排他と差別の気分に満ちた醜悪な攻撃にさらされている現実に愕然(がくぜん)とした。
ヘイトスピーチと沖縄バッシングは地下茎で結ばれている。不均衡で不平等な本土との力関係のなかで「弾除(たまよけ)」の役割だけを強いられてきたのが沖縄だった。それなのに一部の日本人からは「売国奴」扱いされるばかりか、「同胞」とさえ思われていない。路上に、ネットに、メディアの中に、沖縄への差別と偏見は満ちあふれている。
「沖縄の新聞はつぶさないといけない」─。
昨年6月、自民党の勉強会で飛び出した人気作家・百田尚樹の発言は記憶に新しい。
発言に対する反響は大きかった。沖縄紙のみならず、多くの新聞が、これを批判的に報じた。だが、発言の主が人気作家でなかったらどうだったか。あるいはこの勉強会でマスコミ全体をも締め上げるような発言(政府に批判的なメディアへの広告費を見直すべきだといった意見も出席議員の間から飛び出ていた)がなかったら、どうだったか。
「単なる沖縄紙批判だけであればニュースになっていないのではないか」と、私が取材した沖縄の地元紙の記者たちは口をそろえる。
沖縄紙へのバッシングは特に珍しいことではないのだ。
「沖縄のメディアが言ってることが県民すべてを代表しているわけではない」
13年3月、自民党国防部会でこう発言したのは自民党衆院議員の小池百合子だった。小池は沖縄及び北方対策担当相時代の06年にも「沖縄とアラブのマスコミは似ている。超理想主義で明確な反米と反イスラエルだ。それ以外は出てこない」などと講演で述べた過去もある。
1995年、衆院安保土地特別委員会で、政府側参考人として呼ばれた田久保忠衛・杏林大教授(当時)は次のように述べている。
「この二つの新聞(※琉球新報と沖縄タイムスのこと)は、はっきりいって普通の新聞ではない。これをきちっと批判すべきだ」
2000年には自民党幹事長(当時)の森喜朗がやはり「沖縄の新聞は共産党に支配されている」などと地元石川県の講演で発言した。
14年11月9日には、安倍内閣の応援団を自称するジャーナリストの櫻井よしこが、沖縄県豊見城(とみぐすく)市で「沖縄のメディアは真実を伝えてきたか?」と銘打った講演をおこなった。
以下はその際の発言である。
「『朝日新聞』は悪い新聞です。慰安婦のことで大嘘をついて、福島第一原発の吉田所長のことでも大嘘をついていました。それと同じくらい悪いのが『琉球新報』と『沖縄タイムス』です」
櫻井はそのうえで沖縄2紙の「不買運動」も呼びかけたのであった。
「『琉球新報』や『沖縄タイムス』に代わる新聞がなかなかない。できたら、本土の比較的まともな『産経新聞』とか『読売新聞』みたいな新聞が、ここでも定着していくといい」
憎悪を煽るのは、いつだって政治家とメディアに影響力を持つ著名人だ。こうしたことは幾度も繰り返されてきた。それらが様々な言論の場で引用、援用され、偏向批判に名を借りた沖縄差別が拡大されてきた。昔から存在した沖縄差別がリニューアルを重ね、新たな偏見が生み出されていったといってもよいだろう。
確かに沖縄の新聞は政府に厳しい。特に米軍基地問題、なかでも辺野古新基地建設に関しては、政府の方針に真っ向から「NO」を突き付けている。
前出の新垣は、高校生のころまで沖縄への差別など存在しないと信じてきた。米国の大学で人種差別の問題を学んでいた兄と、沖縄差別の有無をめぐって激論したこともある。沖縄が抱える抑圧された歴史を説く兄に、敵意すら覚えることもあったという。
新垣が沖縄の「立ち位置」を知ったのは1995年、研究者を目指して大学院に進んだばかりのときだった。この年9月に米兵による少女暴行事件が起きた。
「言い表すことのできないショックを受けた。初めて不条理というものを感じた」という。
「暴行」のむごたらしさだけではない。日米地位協定のため、実行犯の身柄が当初日本側に引き渡されないという事態が起こり、日本側にまともな主権がないことが浮き彫りとなった。沖縄がまだ「戦後」を終えていないことを知り、まるで植民地でもあるかのような不平等を強いられていることを実感した。同時に「その存在に慣れ切っていた」米軍基地や沖縄戦の問題にも目が向くようになった。
そして差別を意識するようになる。
結果としてこの事件をきっかけに、新垣は研究者の道を断念する。
「学問よりももっと実践的なアプローチで沖縄を知りたいと思うようになったんです」
新垣を新聞記者の道に進ませたのは、まさに沖縄の不条理だった。
「ですから偏向だと指摘されても、少しもピンとこない。そんな物言いをする人には、
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