10年前なら不可能な報道、技術の進歩で成功
2016年08月22日
国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)の事務局長、ジェラード・ライルさんが、ICIJのメンバーでもある朝日新聞記者の電話インタビューに答え、タックスヘイブン(租税回避地)をテーマに調査報道に取り組んできた経緯を語った。パナマ文書についてライルさんは「このような秘密の情報を得たときには、ジャーナリストとして、公益上の特別な義務を負う」と述べた。ライルさんの発言を抜粋して以下、紹介する。
その詐欺事件について最終的に私は本を書きました。そうしたところ、匿名の人物がその本を読んで、それに触発されて、私に260ギガバイトの電子ファイルを送ってきました。その詐欺事件について取材を始めて4年後の2011年初めのことでした。実際、その電子ファイルの中に、その詐欺事件に関する情報が含まれていました。詐欺事件の背後でどのようにタックスヘイブンを使っているのかが、その情報で分かりました。
-- ライルさんは2009年に著書『ファイアパワー オーストラリアの歴史で最も壮大な詐欺』を出版した。その本を読んだとみられる人物によって、タックスヘイブンに関する秘密ファイルがライルさんに送られてきた。ライルさんはそのファイルをどのように生かしていくべきかを考えた。
そのころ、ミシガン大学にいたときの指導教官から国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)事務局長の仕事の紹介があり、面接を受けるようにと勧められた。いったんは「あまりに遠い」と難色を示したものの、心を揺り動かされるものがあった。オーストラリアの大手紙グループでのキャリアを捨てるのは、客観的に見れば無謀な転職であることが明らかだったが、ICIJには大きな可能性があるとも思った。ICIJは数人のスタッフしかいない小さな組織だったが、「ちゃんとやれば、本当に大きくできる」とも考えた。
思案の結果、オーストラリアから米ワシントンDCに引っ越しし、2011年9月、ICIJの事務局長になった。
ライル 私はオーストラリアでの仕事を辞め、ICIJに来ました。私には野心がありました。
ICIJはグローバルな調査報道チームであり、タックスヘイブンのようなグローバルな問題を見る必要があります。
ICIJは小さな組織ですが、大きなスケールでこれをやれるかもしれません。
この種の記事はグローバルに取材しないとモノにできないと私は思っています。タックスヘイブンは世界中の異なる国々とつながりがあります。日本、ブラジル、ヨーロッパなど、あらゆる場所につながりがあります。
私がICIJに移った時点ではこの仕事(ICIJ事務局長の職)は現実の名声(プレスティッジ)を伴いませんでした。資金の提供もありませんでした。実際、私の給与はここ(ICIJ)に来て大きく減りました。当時、それは確かに大きなリスクを取ったことになります。
しかし、ここには時間がありました。あなたが調査報道記者であるとき、最も価値あることというのは、だれもあなたに「早く終わらせろ」と言わないということです。記事を仕上げるのに必要なだけの時間がありました。私はオーストラリアで取材に充てる十分な時間がないことにフラストレーションがあったのだと思います。
260ギガバイトの電子ファイルに基づき、最終的に、私たちはタックスヘイブンに関する大きな記事を2013年に出しました。
ライル はい。予想していました。これを世界的な規模でやれば、そうした可能性があると思っていましたから。
ウィキリークスが前例としてありました。小さな組織ですが、世界のジャーナリズムを動かしました。世界は変わってきています。以前は不可能だったことが技術によって可能になっています。10年前だったらICIJは決して成功しなかっただろうと思います。技術によって、私たちは簡単に意思を疎通できますし、ビッグデータを読み解くことができます。
正直言って、私はこれを夢見ていました。これまでの過程で幸運が多くありました。良いタイミングで内部告発者が現れ、私たちは彼らに多くを頼っています。また、私たちは多くのメディア・パートナーに頼ってきました。
-- ウィキリークスは、米軍のヘリコプターがイラクでロイター通信カメラマンら歩行者を掃射して殺害した様子をヘリのカメラから撮影したビデオを独自に入手し、取材の上で、2010年4月、ウェブサイト上で公開し、注目を浴びた。その後、同年夏に、アフガニスタン戦争に関する米国の秘密情報を米ニューヨーク・タイムズ紙や英ガーディアン紙などに提供して一部を公開し、続けて同年秋に、そのほかの米国の秘密公電を同様にガーディアン紙などに提供して一部を公開した。ウィキリークスは、入手した秘密情報を大手マスメディアに提供し、その取材を経て、公益性に配慮しながら情報の一部をみずからのウェブサイトで公開するという手法を当初は採った。ライルさんはそれを先例として参考にしたというのだ。
パナマ文書の報道が成功した今、ライルさんにとってICIJへの転職は正しい決断だったと言えるように見える。その点の確認を求めると、ライルさんは次のように答えた。
ライル ジャーナリストとしては、イエスです。しかし、人間としては……。私の妻は、ここ(ワシントン)に住むのが好きではありません。彼女はシドニーに戻りたがっています。彼女は、ここに住むことに仕事が見合っているわけではないと考えています。私は見合っていると考えていますが、彼女は違います。
私としては、やりたかった多くのことを何とかやりとげることができ、多くを学びました。私がもっとも重要だと考えるのは、ほかの記者たちから学んでいる、ということです。
多くの記者は一つの国だけで働いています。そして、調査報道について多くのことを知っていると自分では思っています。しかし、
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