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匿名は障害者への偏見か、差別回避のためか

消してはならない報道機関の責任の議論

臺 宏士 メディア総合研究所・放送レポート編集委員

事件から1カ月たった津久井やまゆり園。規制線はなくなったが、現在も警察車両が出入りし捜査が続いている=8月26日午前、相模原市緑区、北村玲奈撮影事件から1カ月たった津久井やまゆり園。規制線はなくなったが、現在も警察車両が出入りし捜査が続いている=8月26日午前、相模原市緑区、北村玲奈撮影
 今年7月26日未明に神奈川県相模原市の山あいにある障害者支援施設「神奈川県立津久井やまゆり園」(運営・社会福祉法人かながわ共同会)で起きた殺傷事件は、重度の障害者19人が犠牲となる犯罪史に残る残忍な事件だった。しかし、2カ月たった今もなお犠牲者が誰なのかを、私たちは知らない。元職員の植松聖さとし容疑者(26)の刃によって命を落とした19人の名前を神奈川県警が伏せたままだからだ。「知的障害者支援施設であり、遺族のプライバシー保護の必要性が極めて高い。遺族から報道対応する際、特段の配慮をしてほしいとの強い要望があった」。県警が匿名発表とする理由である。このため、犠牲者は「19人」とひとくくりに報じられ、その素顔は浮かんでこない。

 「障害者は不幸を作ることしかできません」「障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができる」。障害者施設職員だったと思えない植松容疑者のゆがんだ人間観に背筋の寒くなる思いだが、理不尽な理由で幕を閉じざるを得なかった19人一人ひとりの人生に思いを寄せ、無念の声に耳を傾けようとしてもそれはできない。多くの読者・視聴者は強い違和感を抱いているのではないだろうか。

 障害者の人生を知り、悲しみを共有することができないような匿名社会であって果たしてよいのだろうか。ジャーナリズムは「匿名発表」とどのように向き合うべきなのか。

顔を見知った入所者の安否 知ることができない近隣住民

 8月の最後の日曜日(28日)。台風10号の進路を気にしながら、やまゆり園のある山あいの千木良地区を訪ねた。「事件から1カ月」にあたる26日には恐らく多くの人がやまゆり園の正門わきに設けられた献花台に花を手向け、報道関係者も大勢集まっていただろうが、この日は事件前と変わりないと思えるほど、周辺は静けさを取り戻していた。入所者の家族を乗せたタクシーが時折、園内に滑り込むほかは、正門近くに止めた県警の輸送車両の前で警察官が1人で警備する程度。山の稜線の向こうからは観覧車が頭をのぞかせ、レジャー施設の案内放送が遠くからでもよく聞こえてくる。

 「この辺でも事件が話題に上ることはめっきり少なくなりました」。同園前の県道515号が散歩のコースだという近所に住む中年男性は、献花台の近くにいる私の前で足を止めるとそう話しかけた。職員と入所者らが一緒になって園近くの畑で農作業をしている姿をよく見かけたという。「その人たちは無事だったのですか」と尋ねると、「分かりません」と言い残して再び歩き出した。

 彼のこの言葉から思い出したことがある。ある報道関係者が明かしたのだが、読者から「実名が公表されていないということだが、本当に19人も犠牲者が出たのか」という問い合わせがあったという。報道機関は19人の死亡を独自に裏付けして報じたわけではない。あくまで県警が「19人が死亡した」と発表したから、報道したのである。これは、職員3人を含む27人の重軽傷者についても同じだ。もし実名であれば「そんな人物はいない」とすぐに発覚してしまうだろう。先の男性もたとえ名前が分からなくても、もし犠牲者の顔写真が新聞に掲載されていれば、見覚えのある顔がいないかどうか目を皿のようにして探しただろう。

 やまゆり園が開設されたのは、1964年。長期の入所者は今年4月現在で、19歳から75歳までの約150人。コンサートや盆踊りなどを通じて地域住民との交流を深めてきた。しかし、そうした地域の住民であっても顔を見知った人たちの安否さえ分からないというわけだ。

 なぜ、こんなことになってしまっているのだろうか。

実名で報じられる意義を県警は遺族にどう説明したのか

 朝日新聞横浜総局によると、神奈川県警が19人の犠牲者に関する情報を発表したのは、7月26日の夜だった。

 ところが、県警が明らかにしたのは、19人の性別(男9人・女10人)と年齢(19~70歳)のみ。具体的には、「A子さん19歳」「B子さん40歳」「S男さん43歳」―などとアルファベットと年齢の表記だった。

 神奈川県警ではこれまで県警の記者クラブに対する広報文で、事件事故に遭った被害者については、実名を示したうえで被害者側がそれを望まない場合には「強い匿名希望あり」と付記し、実名で記載するかどうかの判断を報道機関側に任せていた。筆者が調べたところでは、こうした慣行は少なくとも30年は続いているようだった。個人的には、この方法は、被害者のプライバシーと表現・報道の自由という憲法が保障する二つの人権のバランスを図る仕組みとして評価していた。

 それを踏まえれば、今回の神奈川県警の匿名発表がいかに異例なものであるかが分かるだろう。

 当然、県警の匿名発表に対して報道機関は強く反発した。

 例えば、産経新聞はいち早く7月29日朝刊で社説(主張)を掲載。「報道側が求めているのは実名報道ではなく、実名の開示である。実名は取材の起点として不可欠なもので、実名を報道するか否かは取材の結果で決める。まず取材がなければ、真実へは一歩も近づくことができない」と訴えた。

 毎日新聞は8月6日朝刊の社説で「19人の命が奪われたのに、いったい誰が犠牲になったのか、どんな人生を被害者は歩んできたのか、ほとんどの国民は知らない」とし、「『匿名』が壁になり、被害の痛ましさをメディアが十分に伝えられないことに、もどかしさを感じている人は多いはずだ」と指摘した。

 今回の事件ではないが、今年7月に起きたバングラデシュのテロ事件でも政府は当初、犠牲となった日本人の氏名や年齢を非公表とした。朝日新聞は7月9日朝刊で同事件をめぐる犠牲者公表の在り方について特集記事を掲載。その中で、ゼネラルエディターによる「人格の象徴である氏名や人となりなどを知ることで、志半ばで理不尽なテロによって命を落とした7人の無念さを社会が共有し、再発防止策、安全対策を探ることができる」とのコメントを掲載した。

 捜査機関に対して報道機関が犠牲者名の発表を求める理由は、おおむね産経、毎日、朝日のこれらの指摘に尽きると考えられる。

 朝日によれば、県警は記者クラブの求めに対して匿名発表から1週間もたった8月3日、冒頭に紹介した理由に加え、次のように説明したという。

× × ×

記者 特段の配慮とは匿名にしてほしいということか。
県警 事件当日の午後、被害者支援本部の担当官が園内の遺族控室で、19人の遺族のうち18人に確認したところ、いずれも「実名の公表は希望しない」とのことだった。居合わせなかった1人についても弁護士から匿名希望を確認している。
記者 遺族を取り巻く環境も変わり、実名を公表して報道を通じて何かを伝えたいという方も出てくる可能性もある。
県警 私個人の意見になるが、もしそういうご意向があればお伝えする。ただ、随時に意向を確認するつもりはない。
記者 遺族の気持ちが変わる可能性を考慮して継続的に接触し、報道(機関側)につないでもらえるのか。
県警 たらればという形の質問にはお答えできない。
記者 知的障害者支援施設だからプライバシー保護の必要性が高いということの論理を詳細に。
県警 親族にも秘密にしておきたいというような意向があったからとか具体的なことは言えない。
記者 入所者が知的障害者と判断できるから、という理由からか。
県警 一般論で言えば、知られたくないということはある。

× × ×

 このようなやりとりが記者クラブと県警との間であったようだが、もう一つ質問を落としていたように感じた。それは、県警や施設側が遺族にどのように説明したのか。理不尽な被害にあったことを実名で報じられる意義をきちんと説明したのかという点だ。

 各都道府県警が犯罪の被害者の氏名を実名で発表するか、匿名で発表するかを判断できる法制上の根拠は2005年12月に閣議決定された「犯罪被害者等基本計画」に盛り込まれた。04年12月に成立した「犯罪被害者等基本法」を受けたものだ。具体的には、

 「警察による被害者の実名発表、匿名発表については、犯罪被害者等の匿名発表を望む意見と、マスコミによる報道の自由、国民の知る権利を理由とする実名発表に対する要望を踏まえ、プライバシーの保護、発表することの公益性等の事情を総合的に勘案しつつ、個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく」―こととされた。計画は5年を期間とし、今年4月に第3次計画がスタートしているが、この項目は見直されることなく踏襲されている。神奈川県くらし安全交通課が15年11月に作成した「神奈川県の犯罪被害者等支援施策の実施状況に係る意見及び県の考え方について」の中でも、神奈川県警の発表の在り方について、政府の基本計画に盛り込まれたこの項目と全く同じ考え方が示されている。

 基本計画をまとめた政府の検討会は「匿名発表とする場合はその都度、マスコミに理由を説明し、議論に応じる」と注文をつけた。実名発表を求める日本新聞協会は当時、この項目の削除を政府に求めている。

 繰り返しになるが、報道側は今回、神奈川県警が犠牲者の実名を発表することの公益性をどのように考えているのかをただし、その点について遺族側にどのように説明したのかは押さえておく必要があったように思う。「やまゆり園」という障害者施設は、県警の説明にあったような「一般論で言えば、知られたくないということはある」施設なのであろうか。これは、評価が分かれる点であり、県警側の評価に予断(偏見)はなかったのだろうか。東京(中日)新聞は8月27日の社説で「その価値判断そのものに、障害者への偏見や差別意識が潜んでいないか。犯罪史に残る事件の風化に手を貸すようなものだ。そんな批判が絶えないのもうなずける」と指摘した。検討会は同時に「この施策は警察で現に行っていることで、新たな権限を警察に付与するものではない」と明言している。

 特に今回の事件では、匿名発表後まもなく、記者の取材に応じる遺族も現れている(例えば、朝日8月2日朝刊では匿名で掲載)。さらに命を取り留めた入所者の複数の家族が匿名ではなく実名での報道にも応じ、写真まで提供しているのである。こうした被害者家族・遺族の変化を見ると、県警が報道機関側の考えも説明し、「適切な発表内容となる配慮」がされたのかは疑わしい。「議論に応じ」てほしい論点だった。

10年以上経っても理解されない「報道が判断する」という考え方

 報道側の考えとは、日本新聞協会が05年10月、政府の検討会に提出した意見書の中で示している。

 「発表された被害者の実名をそのまま報道するかどうか、これはまたまったく別の問題である。被害者の安全にかかわる場合はもちろん、プライバシー侵害や何らかの二次被害のおそれがある場合は、当然、匿名で報道する。被害者から要望があれば被害者と誠実に話し合い、警察が被害者の声を仲介する場合は警察と真摯(しんし)に協議する」

 こうした報道機関の立場が10年以上たっても読者・視聴者はもちろん、犯罪被害者や警察に理解されていないように感じるが、この間、報道機関側にも十分な説明を怠っていたということはないだろうか。

 それでは、県警と直接向き合う県警記者クラブは今回、どのような対応をしたのだろうか。

 朝日によると、事件発生から2週間ほどたった8月8日に捜査本部に対して口頭による申し入れを行った。その要点は、

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