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支持率が如実に示す「1強」の姿

参院選を巧みに避ける安倍カラー法案

逢坂巌 駒澤大学法学部准教授

 6月16日に、第1次政権と合算して2千日の首相在任期間となる安倍晋三氏。その2千日の間、彼とその政権に対しては実に様々な言葉が投げかけられてきた。学園祭内閣、KY総理、ピンずれ内閣、自民1強、安倍1強……。

 鮮やかなのは、第1次政権から2期目の政権への変容である。弱いリーダーから強いリーダーへ、安倍氏(以下、敬称略)は、そのイメージを一変させた。「アベ政治を許さない」との激しい批判を一部から浴びつつも、政権は高い支持率を維持し「1強」といわれている。

 なぜ政権は強いのか、もしくは強くなったのか。すでに、様々な論者が多くの分析や議論を積み重ねてきている。全体としては、第1次政権後の挫折期を挟んだ安倍(と周辺)の統治術の「学習」や「成長」にその原因を求めるもの、小選挙区制度の導入や官邸主導体制の構築にむけた前世紀末以来の一連の政治改革が1強を制度的に支えているとの議論、加えて、安倍政権に対抗する野党が―特に直前まで政権についていた民進党(民主党)が有権者からの信頼をなくして―弱すぎるとの議論、関連して政権をチェックすべきジャーナリズム(特に朝日新聞やTBSなどのリベラル系の新聞やテレビ、そしてNHK)が力を失ってしまっているといった指摘などがある。最後の指摘は、もちろんメディアコントロール術の習得という意味で最初の「学習」説と響き合う。

 ところで、以上の1強についての議論は安倍政権が現在において強いことを、いわば空間的に捉えたものである。しかし、実は安倍政権の1強ぶりはそれを時間軸で捉えた時、いっそうの興味をそそる。安倍政権は、現在の政治空間において、自民党や野党、そして霞が関に対して強いというのみならず、戦後政治の長い歴史のなかで、特に近年最も重要視される統治技術においても1強になっているのである。

表1 歴代内閣支持率ランキング表1 歴代内閣支持率ランキング

 安倍政権の歴史的な1強ぶりとはなにか、それを物語るのが次の三つの図表である。表1は、1960年以降の歴代政権を各種支持率でランキングしたものである。各内閣の内閣支持率(注1)=平均値・中央値・標準偏差・発足時支持率・退陣時支持率・発足時と退陣時の支持率の差=と政党支持率=自民党支持率と無党派率(注2)=並びに在職期間を、内閣別にランキングしている。

 データは1960年6月から内閣と政党の支持率を毎月計測している時事通信社のものを使用し(注3)、平均値は各月の支持率を調査月数で除した数字である。なお、支持率は岸政権の末期から計測されているが、ランキングでは在職期間中のすべての月別データがそろう池田内閣以下の26内閣を比較している。

グラフ1 歴代内閣支持率月別推移グラフ1 歴代内閣支持率月別推移
グラフ2 政党支持率月別推移グラフ2 政党支持率月別推移

 続くグラフ1は同データの各内閣の月別支持率を、グラフ2は政党支持率をあらわしている。

 これらによって政権復帰後の安倍政権(以下、第2期安倍政権と呼ぶ)の歴史的な1強ぶりを確認することができる。

平均支持率トップは細川内閣 安定度抜群の第2期安倍政権

 まずは、ランキングから確認しよう。内閣支持率の平均値をみてほしい。この数値、歴代1位は59%の細川政権で、第2期安倍政権は49・4%で2位となっている。細川政権は中央値(データを小さい順に並べたときの中央の値。極端なデータの影響を避けた傾向がわかる)も58・8%と抜群の数値を誇り、安倍政権とは10ポイントもの差をつけている。発足時(62・9%、歴代3位)や退陣時(46・2%、1位)の数値も高い。

 しかし、グラフをみると印象は変わってくる。細川政権は、1993年8月の発足後に小選挙区制の導入を柱とする政治改革法案を成立させて国民の期待に応えたが、その直後に国民福祉税の導入を唐突に発表して支持を減らしはじめる。その後も、政権内部の争いや自身のスキャンダルが報じられて支持率は下げ止まらず、在職期間、わずか263日(24位)で突然に辞任した。グラフ1には、その短期間での直線的な下落が刻まれている。

 その点、1564日の長期政権(5位)で、5割近くの支持率を維持し続けている第2期安倍政権とは性質を異にする。在職期間を考慮にいれると、第2期安倍政権が実質的な1位といえるだろう。

 安倍に続く平均値の歴代3位が小泉政権である。同政権のそれは47・2%と第2期安倍政権との差は2ポイント強に過ぎない。在職期間も1980日(2位)で、第2期安倍政権よりも長い。

 小泉政権の高支持率には多くの読者が納得するだろう。「自民党をぶっ壊す」と言って登場してきた2001年の春や05年秋の郵政解散での熱狂ぶりを記憶する読者も多いだろう。発足時(72・8%)や退陣時(43・4%)の数字も高く、特に発足時は歴代2位である。しかし、支持率全般としてみると小泉政権は安倍政権に劣ると筆者は考える。それが表れるのが、中央値と標準偏差、そして支持率グラフである。

 小泉政権の支持率の中央値は43・7%(5位)で、第2期安倍政権とは4・3ポイント開いている。

 また、データのばらつきの大きさを表す数値で、大きいほど数値がばらついていることを示す「標準偏差」では、第2期安倍政権の5・9(9位)に対して小泉政権は10・3(23位)と、4ポイント以上の大きな差がある。小泉政権は支持率が大きく変動した不安定な政権だということになる。

「サプライズ」多用の小泉政権 政党支持率で民主が追い上げ

 グラフ1で確認しよう。01年5月に登場した小泉政権に、長年の自民党政治に倦うんでいた国民は7割を超える高い支持を与えた。しかし、総裁選を共に戦った田中真紀子外相の更迭をうけて支持率は40ポイント(!)も激減し3割台となる。それに対して、小泉は北朝鮮への電撃訪問と拉致被害者の帰国で支持率を5割台に戻すが、04年の中頃には内閣支持率は再び3割台となってしまう。ところが、その翌年の郵政解散で派手な選挙戦を演出して選挙に大勝、支持率も5割台に戻る。我々の印象は、二つの大きな「サプライズ」に幻惑されていたわけだ。

 政党支持率でも「サプライズ」に幻惑されているかもしれない。小泉の時代は自民党が強かった印象もあるが、グラフ2で確認できるように実はこの時期には民主党が着々と支持を伸ばしていた。2004年7月には自民党(21・9%)と民主党(18・6%)の差はわずか3・3ポイントとなり、同年の参院選では議席数と得票総数で自民党は民主党に敗北している(ちなみに幹事長は安倍)。

 以上を考慮すると、自民党の支持率を2割5分で安定(標準偏差1・8、小泉期は3・5)させ、国政選挙にも3連勝している第2期安倍政権のほうが、安定的に高支持率を長期間にわたり維持している点で優れているといえるだろう。

 内閣支持率の平均値の第4位は鳩山政権(43・6%)である。中央値も46・8と第2期安倍政権と大差はない。しかし、同政権の特徴は、発足時に74・3%と歴代1位であった「支持」が、退陣時には19・1%まで激減したことだ。「発足時と退陣時の差」もマイナス55・2%と歴代最低となっている。この揺れ幅の大きさは標準偏差の17に反映されており、これも歴代最低を記録している。加えて、在職期間も266日(23位)の短期政権であり、第2期安倍の長期の高位安定とは全く異質のものといえよう。

 一方、このランキングで3年以上の長期政権は、第2期安倍と小泉を除くと、池田(1575日、4位)、佐藤(2798日、1位)、中曽根(1806日、3位)の各政権となる(注4)。しかし、それぞれの支持率の平均値は池田41%(6位)、佐藤35・1%(11位)、中曽根40・7%(8位)で、第2期安倍政権より10ポイント近くも低い。標準偏差も3・9(4位)、6・7(12位)、6・9(13位)と池田を除いて第2期安倍政権が勝る。

 ここで三つの長期政権と支持率との関係について概観してみよう。

 先にも述べたように、時事通信社の調査は1960年6月に開始されたが、その最初は60年安保をうけて退陣しようとしていた岸政権の支持率だった。安倍の祖父で、憲法改正にも意欲をみせていた岸信介は、60年安保に対して「いま騒いでいるのは『声ある声』である」などと強気なところをみせていたが、60年6月の内閣支持率は16・8%と2割を割り込んでいた。

 このような状況に危機感を抱いて登場したのが池田内閣である。池田勇人は新聞記者出身の秘書官などに助けられながら、様々な世論対策を実施した。彼らの狙いは、国民の関心を「安保から経済へ」と「チェンジ・オブ・ペース」することにあり、「所得倍増計画」を打ち出して積極的な宣伝につとめた。その結果、支持率は急上昇し、デモから半年後の総選挙に勝利して、岸が招いた自民党の危機を一掃した。その後も、高度経済成長に支えられながら、40%前後の支持率を維持した。

長期政権の佐藤、中曽根内閣 首相の志向と業績に齟齬

 東京オリンピック後に池田の引退をひきついだのが安倍の大叔父の佐藤栄作である。佐藤も新聞記者出身の楠田實を秘書官に任命し、様々なメディア対策をおこなった。しかし、66年末には政界汚職(「黒い霧事件」)の発覚で大きく支持率を減らし、その後もベトナム戦争の悪化などを背景に支持が安定することはなかった。69年末の沖縄返還合意とそれに続く衆院選では支持率を上昇させるが、総裁4選後には大きく減らし、自民党の支持率も30%を割り込ませる。

 佐藤は世論を気にしていたが、マスメディアとの折り合いは悪かった。佐藤や楠田の日記には、

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