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不可視の監視と情報統制は始まっている

スノーデン証言から考える共謀罪時代

小笠原みどり ジャーナリスト

  奇々怪々の狂おしい夏だった。2017年7月、半年ぶりに目の当たりにした日本の政治は、私欲と保身があられもなくサルサを踊っているような猥雑さに満ちていた。独裁化を強めてきた長期政権の揺らぎに、だれもが少し興奮し、変調をきたしているようだった。かく言う私も、カナダと日本を往復して4年になるが、九州に上陸して時差ぼけから醒めた1週間後には、疑獄事件の様相を深める政治スキャンダルに感染し、地上から1センチ足が浮いているような状態で、人前で話したり原稿を書いたりしていた。

 森友学園問題に加計学園問題。いずれも安倍晋三首相その人が、友人や支援者に職権を乱用して巨大な利益を与えたかが追及されている。これは紛れもなく首相自身の疑惑だが、その追及過程に本人が登場することはむしろ少なく、閉会中審査でも次々登場したのは彼をかばい、記憶をなくし、または核心を避け、逃げ延びて、まだまだパワー・ダンスを一緒に踊りたい男たちの顔、顔、顔…だった。

 普段はのっぺらぼうの官僚機構としてしか想像されない側近たちが、実はどれだけ情熱的に「総理のご意向」のために奔走しているか。おそらく氷山の一角にすぎない彼らの献身的な政権擁護活動を知って、私はそのあまりの毒気の強さに当てられてしまった。

 これはドラマである、とある人が言う。見ていて面白い、だから政治に無関心だった人たちもやっと安倍政権の本質に気づいて、疑問を持ち始めた、と。

 これは権力の私物化である、と別の人が言う。安倍氏は「美しい国、日本」を掲げながら、実は自分とお友だちだけが利益を独占するべく謀っている、と。

 どちらもそのとおりだと思う。けれども、私物化された権力ドラマの背景に、もっと深い構造変化が起きていることを、私たちは見落としてはいないだろうか。

 思えば1989年、宇野宗佑首相は「愛人問題」を報じられて参院選で大敗、在任期間2カ月あまりで職を辞した。前の竹下登首相もリクルート疑惑で支持率が低迷し内閣総辞職だった。安倍氏の疑惑は明らかに宇野氏以上に深刻で、全容の究明が進めば竹下氏に匹敵する規模かもしれない。が、本人は内閣改造で切り抜け、勝ちを見込んだ総選挙で一気に改憲へと打って出ようとしている。これこそが真夏の奇怪の真髄だろう。

 権力の乱用が露呈した政権がなぜそれでも勢いを増すのか。安倍氏は自分を支える権力構造を短期間につくりあげた。メディアにすごむ政治家たち、官邸で重用される数々の警察・公安出身者たち―自らの周辺に敷いた監視体制は奏効し、実は国全体へも広がろうとしている。この監視体制が産み出す情報操作に、メディアとジャーナリズムが深く関わっていることをこれから論じる。

 民意の上に成り立つのではなく、民意を操作することに全身全霊で取り組む男たちの上に成り立つ権力の登場。監視と恐怖で情報を操る権力は、将来ではなく、現在急成長している。スキャンダルに沸き、めまぐるしく情報が入れ替わる社会で、実は私たちの視界は大幅に遮断されている。監視を駆使する政権構造にいま気づかなければ、私たちは私欲と保身が絡みあうサルサを永遠に見物させられるだろう。なぜなら、たとえ現政権が倒れて夏の怪奇が終わったとしても、監視の権力は残って、次のよく似た踊り手たちに奉仕するだろうから。

スノーデンがくれた「監視法制」という視点

筆者のインタビューにインターネット画面で答えるスノーデン氏、2016年5月、筆者撮影

 安倍政権は2012年12月の発足以来、監視法制の構築に早足でいそしんできた。13年の特定秘密保護法、16年の盗聴法大幅拡大、そして17年の共謀罪、である。

 これらを監視法制、と呼んでもピンと来る人はあまりいないかもしれない。監視法制を提案する側は決して「これから国民を監視します」とは言わない。共謀罪審議で金田勝年法相が「一般人は関係ない」と繰り返したように、強権的な法律はいつでも「あなたには実害はありません」と宣伝される。が、「一般人」などという法的な枠組みは共謀罪に存在しないし、そもそも人々に関係のない法律などない。なぜ共謀罪を含む3法を一連の流れとして監視法制と位置づけるのか。それは立法事実として語られなかった背景に気づいたからだ。

 私は新聞記者だった1999年に盗聴法と改正住民基本台帳法(住民基本台帳ネットワーク)の強行採決に遭遇し、2000年代から公共空間に現れた監視カメラや、顔認証システムなど生体認証技術の取材をしてきた。01年に米国が「対テロ戦争」のゴングを鳴らすと、デジタル技術を用いた新たな監視装置が一気に拡大し、インターネットを行き交う私的な個人情報も監視の渦に飲み込まれていることがわかってきた。現在在籍しているカナダの大学院で監視研究を足場にしながら、16年5月、米国家安全保障局(NSA)の元契約職員、エドワード・スノーデン氏にネット回線でインタビューした。

 スノーデン氏は13年6月、NSAが世界中に張り巡らせた電子監視網を内部告発した人物だ。国防長官直属の諜報組織であるNSAの機密文書によって、大量無差別監視の様々な手法を暴露した。国際通信ケーブルの上陸点に盗聴拠点を設けて通過する全データをコピーする、マイクロソフト、ヤフー、グーグル、フェイスブック、スカイプ、アップル、ユーチューブなど米大手インターネット9社から1日数百万件にのぼる顧客情報を提供させる、IT機器に「バックドア」と呼ばれる情報収集の細工を施して出荷する、など。NSAは対テロ戦争の下、特定の容疑がある人物を監視する従来の方針から、地球上の全人口を対象とする方針へと大転換を図っていた。

 スノーデン氏の告発は世界を驚愕に陥れ、日本でも速報された。だがこれを読者や視聴者に直結する問題として追及した報道機関はほとんどなかった。パソコンや携帯電話が暮らしの隅々まで浸透しているのに、デジタル技術への批判的視点が立ち後れている。15年夏、NSAが日本の官庁などの電話計35回線を長期間盗聴してきたことを内部告発メディア「ウィキリークス」が公表したとき、安倍首相は米政府に控えめな抗議をしただけで、調査もしなかった。メディアも「では市民への監視はどこまで進んでいるのか」という問いを出さなかった。

 そこで私のスノーデン氏へのインタビューは「日本にとってのNSA問題」に焦点を定めた。2時間半のインタビューの前半で、私を驚かせたのが「特定秘密保護法は実はアメリカがデザインしたものです」という彼の発言だった。

 スノーデン氏は09年から2年間、米空軍横田基地(東京都)のNSA日本代表部に勤務している。日本の法律を米国が下書きしたと述べる根拠は、彼が現場で目撃した日米の不平等関係と、監視領域を合法的に押し広げる任務を負ったNSA内の法律家集団の存在にある。詳細は拙著『スノーデン、監視社会の恐怖を語る 独占インタビュー全記録』(毎日新聞出版)や他所で書いたが、氏のこの一言で、私には秘密保護法のまったく新しい背景が見えてきたのだ。

 要約すると、NSAは「すべて収集する」大量無差別監視を日本でも実行しており、日本で暮らす人々のメールや通話、チャット、ネットの閲覧履歴なども落手している。しかしこの監視活動は明らかに違法なので、米国は自らを守り、さらに監視領域を押し広げるために、日本に秘密保護法の制定を持ちかけた。政府が秘密指定すれば、違法監視を公衆の目から隠し、秘密を漏らす者を罰することができる。日本政府にももっと機密レベルの高い情報を提供できる、と日本の鼻先にニンジンをぶらさげた、というのだ。

 つまり米国は自らの違法監視を合法的に守るために、秘密保護法の制定を後押しした。これは日本政府にとっても好都合だった。なぜなら、後述するような米国への監視協力や独自の監視行動をも隠せるから。その視点から見ると、盗聴法大幅拡大も共謀罪も単発の出来事ではなく、違法な監視を合法化するという目的に合致することが浮かび上がってきた。

秘密と盗聴と共謀罪で違法な監視を合法化

 監視は秘密を求め、秘密は言論の自由を脅かす。特定秘密保護法の成立で、政府が指定した秘密に触れた内部告発者や、それを報道したジャーナリストは最高懲役10年に問われることになった。「世界報道の自由度ランキング」を作成する国境なき記者団(本部・パリ)は、日本が180カ国中72位にまで落ち込んだ16年、「メディアが自己規制し、独立性を欠いている」理由として同法を挙げた(同位だった17年は「安倍晋三という脅威」の表題で「日本のメディアの自由は、安倍晋三が12年に首相に返り咲いて以来、減少し続けている」と、さらに率直だ)。つまり同法で逮捕された報道関係者がまだいなくとも、言論への抑止効果は十分効いている、ということだ。

 政府が秘密保護法によって違法な監視活動の実態を合法的に隠すことに成功した後、これまで違法だった監視の手段を大幅に合法化したのが、16年5月の盗聴法改定である。1999年に成立した盗聴法は、組織犯罪型の4類型(薬物、銃器、集団密航、組織的殺人)に対象を絞っていたが、改定で窃盗、詐欺、恐喝、傷害など「数人の共謀」する一般罪についても、警察が人々の会話を盗聴できるようになった。同時に、それまで必要だった通信会社からの立会人を廃止し、警察のみで盗聴が可能になった。

 盗聴法に詳しい小池振一郎弁護士によれば、警察はこれまで東京の通信会社に出張して短時間のスポット盗聴をしていたが、地元の署内から長時間の盗み聞きができるようになった。さらに、警察が違法盗聴で収集した情報は裁判で証拠として使えなかったが、盗聴捜査の拡大によって裁判の証拠のみならず、容疑者を自白へ追い込む脅しの材料として使われる可能性も高まるという。事件取材に当たるメディアもまた、盗聴の網にかかる可能性を想定する必要がある。

 そして今年6月、参議院法務委員会の採決省略という前代未聞の手法で強行採決された共謀罪は、ついにこれまで違法だった監視の理由を合法化した、と私は考える。これまでの刑法では実行行為がなければ犯罪が成立しなかったが、共謀罪は会話のなかで犯罪の合意があったとみなされれば犯罪が成立する。合意があったかどうかは会話を聞かなければわからない。だから共謀罪捜査は盗聴を前提とする。それも、すべての会話が潜在的に盗聴対象になる。犯罪と関係のない会話のなかから、犯罪に関係する会話を洗い出すのが盗聴作業だから。277もの犯罪を対象とする共謀罪によって、権力は人々の日常会話に合法的に介入する理由を得た。前年に拡大した盗聴法を、さらに緩い条件で使えるようにしたことは言うまでもない。

「闇の奥」をのぞきこむ 米国の戦争に日本が協力

 こうして3法を監視という視点から見れば、3段階で互いが互いを補いあい、一つの強力な「監視の権力」が構築されつつあることが明確になる。

 そしてそこに、監視法制という視点を示唆してくれたスノーデン氏の告発内容を重ね合わせれば、米国の違法監視も日本の協力もまさに全面的に合法化され、今後の監視の拡張と強化をも可能にしたことがよくわかる。スマートフォンであろうとパソコンであろうと、

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