死活的に重要な領域に飛び込んでみては
2017年10月25日
あなたの専門は何かと問われれば、科学史・科学技術社会論(STS)と答えることにしている。あるいは、「科学論」と短く省略することもあるが、これは科学の営みを、人間社会の諸活動の一つとして対象化し、歴史的、社会的、あるいは政治的な角度から検討する研究分野である。要するに、理系の仕事について、文系的なセンスで見つめ直す、ちょっと変わった世界だ。
たぶん本特集では「科学論を知るための10冊」といった稿が期待されるところかもしれない。しかし、そのような包括的なものを書くのは、不勉強な私には荷が重い。そこで今回は、私個人がこんな分野にたどり着くまでの、道しるべとなったいくつかの本について、子供の頃からのごく私的なエピソードを交えながら、紹介してみようと思う。そこから「科学論的なるもの」の肌触りを、そこはかとなく感じ取っていただけたら幸いである。
また小学3年の時、母が『レモンと実験』(福音館書店)という本を買ってきてくれた。これは、レモンを使ってできるさまざまな実験を集めた子供向けの絵本だ。そこには、ベーキングパウダー(重曹)とレモンを混ぜると泡が出るとか、レモンで十円玉を磨くと輝きを取り戻せること、さらにはレモンと硬貨2枚で電池を作ることができる、といったことが、子供にも分かるように、そして実際に実験ができるように、ていねいに書かれていた。絵本なので絵が主役だが、子供にこびない独特の画風が、逆に魅力的だった。
この本の最初に書かれていた次の言葉は、私の心の一番奥に、今もインストールされている。
化学者(かがくしゃ)は実験(じっけん)したり考えたりします。わたしたちも化学者(かがくしゃ)とおなじように、実験(じっけん)したり考えたりしながら、レモンを使って化学(かがく)を学んでいきましょう。いちばんだいじなのは、つぎのような疑問(ぎもん)をもつことです。
どんなことがおこるか?
それはどんなふうにおこるか?
なぜそうなるんだろう?
科学者(かがくしゃ)は、実験(じっけん)をするとき、いつでもこういう疑問(ぎもん)をもって仕事をします。(同書、5ページ)
私はこの本によって、初めて科学的態度というものに触れることができたのだと思う。これは現代においても十分に通用する、素晴らしい本である。このような絵本に、これからも多くの子供たちが出会って欲しいと思う。
また図鑑『電気』の延長として私は電子工作をやるようになり、トランジスタ・ラジオからはじまって、さまざまなものを作った。そのことを知った電機会社のエンジニアであった伯父が、ある日、私に一冊の本をくれた。それは『入門の入門コンピュータ』(日本経営出版会)という小さな本だ。今考えれば「ビジネス本」のジャンルに入るもので、小学生が読むようなものではないが、私にとってこの本は「未来そのもの」だった。天才数学者バベッジの悲劇、軍事研究を背景にコンピューターが発明されたこと、また内部では0と1だけから成る「2進法」で計算をしていることなどが、バランスよく書かれていた。当時、人気だった真鍋博のイラストが随所に挿入され―ちゃんと理解できていたわけではないと思うが―、とにかくこの本を私は隅から隅まで何度も読んだ。
また小学校5年の頃だと思うが、私は当時の秋葉原にあったNECのショールーム「BIT-INN」で、衝撃的な出会いをした。後に一世を風靡(ふうび)することになるNECパソコンの先祖ともいえる、「ワンボード・マイコン」である。私はこれを契機に、元祖・パソコン少年の道を爆走していく。マシン語という、数字と記号の羅列にしか見えないようなむき出しのコンピューター言語を操って、電子オルガンや妙なゲーム、住所録まで作った。このマイコンのメモリーは、なんと1キロバイト(!)しかなかったのだが。
こうして、高校生くらいまでの私は、電子工作、コンピューター、数学や化学が好きな、典型的な理系少年であった。将来の夢は当然、科学者かエンジニアになることだ。しかし同時に私は、科学技術の持つ、ほの暗い側面にも関心を持っていた。その理由は色々あると思うが、私の幼少期が、日本中で公害が大問題となっていた時代と重なっていることは、大きいだろう。小学校の図書館にも公害問題の本が並んでいて、その時代の子供たちはごく普通に読んでいた。
特に鮮烈な記憶として残っているのは、神通川のカドミウム汚染「イタイイタイ病」を扱った子供向けの本だ。今回、本稿を書く上であれこれ調べてみたのだが、残念ながらその本を見つけることはできなかった。しかし、この病と終生向き合った萩野昇医師が患者を診ている、粗い画像の白黒写真のことは、今もはっきりと思い出せる。
もう一つ、子供の頃に強い影響を受けたものとして、宇宙物理学者カール・セーガンの『COSMOS(上・下)』(朝日新聞社)がある。これは、1980年にアメリカで作られた科学と文明を主題とする13章からなるドキュメンタリーであり、テレビ番組と書籍が同時にリリースされた。内容は、宇宙のはじまりから生命の誕生・進化、また人類の宇宙観の歴史的・文化的な変遷など、あらゆる角度からこの宇宙全体を捉えようとする、一大叙事詩と言うべきものだった。日本やアメリカはもちろんのこと、世界中で大きな反響を呼んだ作品である。
中学1年の私を特に興奮させたのは、宇宙に知的な生命が存在する確率について推定する「ドレイクの方程式」であった。そこから導き出される結論は、宇宙に知的生命体が存在する可能性があったとしても、互いに「同じ時間」を共有できなければ決して出会えないということ、そしてその確率は、文明をもつに至った生命が、自滅することなく持続できる平均的な時間の長さにかかっている、という重い事実であった。
時代は冷戦期、核戦争のリスクはまだリアルなものとして感じられていた。セーガンは、自らを絶滅させかねない兵器を持つに至った全人類に対して、科学者の良心に基づく呼びかけをしたといえる。彼は同書の最後に、こう語っている。「私たちは、宇宙の片すみで形をなし、意識を持つまでになった。(中略)私たちは生き残らなければならない。その生存の義務は、私たち自身のためだけのものではない」(下巻、328ページ)
冷戦が終わって四半世紀以上が過ぎた今、再び核の脅威が現実化しつつあるなか、彼の言葉は改めて読み返されるべきではないだろうか。
そしてやはり中学生の時に出会った重たい本が、森村誠一『悪魔の飽食』(光文社)である。周知の通りこの本は、旧日本軍が「防疫給水部」という看板を隠れみのにして、中国人・ロシア人などの捕虜を対象に、ありとあらゆる人体実験を繰り返したことを伝えるルポである。当初は毀誉褒貶(きよほうへん)が激しかったものの、その後、裏付けとなる研究が蓄積され、基本的にそれは現実の蛮行であったことが明らかになっている。
この本を読んだ当時、しばらくトラウマ(心的外傷)になったのを覚えている。そうなったのは、同書の人体実験に関する表現があまりにもリアルだったことも影響していると思うが、それだけではない。本当に怖かったのは、研究の自由が極限まで約束された、731部隊のような異常な環境に自分も放り込まれたならば、もしかすると同じことをやったかもしれない、と思ったからである。根っからの理系少年だった私は、731の科学者たちの気分をすでに想像できたのかもしれない。しかしそのことが、猛烈な不快感を私にもたらした。今でも私は、731部隊の話を聞くと、ちょっと心がざわざわする。そのおぞましい感覚と引き換えに私は、科学者の倫理に関する、根底的な問題意識を得たのだと思っている。
こうして、科学や技術に強い魅力を感じながらも、同時にその暗部や副作用についても意識するようになった私は、ふと「このまま自分は理系に進んで良いのだろうか」というナイーブな疑問を抱いた。高校2年の時である。その頃の話を始めると長くなるので割愛するが、とりあえず結論を先送りにして高校を卒業、私は晴れて浪人生になった。
私はその頃、NHKの「市民大学」という教育番組を時々見ていたが、ある日、「大衆社会のゆくえ」というテーマで話す西部邁の講座をたまたま見かけた。笑いをかみ殺すような、ちょっと不思議な表情で語る彼の話は、最初は単なるエリート主義なのかなと思ったが、徐々に、彼の使う「エリート」や「大衆」という言葉は、普通とは違う意味で使われていることが分かってきた。そして彼は繰り返し「オルテガ」という思想家に言及した。20世紀の前半にヨーロッパで活躍した人らしい。私は、なぜかその人物に興味を持った。
私は予備校の帰りに都内の大きな書店を訪れ、オルテガの『大衆の反逆』(白水社)を探した。浪人生には
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