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フクシマの事故には機敏に対応

削減か存続かで揺れる原発大国

山口昌子 在フランス・ジャーナリスト。

拡大ドイツ国境近くにあるフランス最古のフェッサンエイム原発
 日本を襲った未曽有の大震災「3・11」から7年目の春が来た。ふだんパリに暮らしている私だが、この季節になると遥か遠くの祖国に思いをはせる。心中によぎるのは、「もう7年も経つのか」という感慨と、「まだ7年なのか」という複雑な気持ちだ。いや、最近では、複雑な気持ちのほうが強くなりつつあるかもしれない。

 フランスでは「フクシマ」という単語が、「ツナミ」「カミカゼ」「カロウシ」など、いずれもマイナスのイメージが強い日本語と並んで、フランス語として人々の間に定着してきた。忘れ去るどころか、しっかりとフランス人の脳裏に刻まれているようにみえる。

 複雑な気持ちを増長させている理由のひとつが、フランスの友人たちからの強い問いかけだ。「フクシマの子供たちは、なぜ、日本では虐められているのか」。そして「同じ皮膚の色、そして多分、同じ宗教なのに、どうして。むしろ同情して然るべきではないか」と彼らはさかんにいぶかしがる。幾度となく問いかけられたそうした素朴な疑問が、日本人としての私の心を刺した。

7年たっても問題は山積

 「フクシマ」の原発事故は、フランスをはじめ外国で暮らす日本人にとって、それぞれの国の外国人と同様、「フクシマの事故」ではなく、「日本の事故」だ。震度マグニチュード9という日本周辺では観測史上最大の地震、それに伴う津波と合わせて、まさに祖国・日本の「国難」である。決して日本の一地方の「福島の事故」ではない。

 だからこそ、フランスでは、在仏日本人による「フクシマ」をはじめとする被災者救済のためのチャリティー・コンサートや様々な行事、募金が大々的に実施された。1年後の2012年3月11日にはパリ・トロカデロ広場で地震発生のパリ時間午前6時46分(日本時間午後2時46分)に挙行された「追悼式」には、パリ在住の日本人約1500人が結集した。まだ日が昇る前の暗闇の厳寒のなか、赤ん坊を抱きしめて出席した日本人とフランス人のカップルの姿もあった。

 複雑な思いが募るのは、「フクシマの子供への虐め」の背景に、7年を経てもなお、放射能汚染や地域の復興といった問題の解決策が遅々として進まないという事情があるからだ。

 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」は、地理学上、地震や津波、水害などの過酷な災害を生き延びてきた日本人の知恵であろう。しかし、3・11の東日本大震災のうち、地震と津波は天災だが、「福島の東京電力第一原子力発電所事故」は、人災にほかならない。人知を超えた自然災害への「諦念」を、人が引き起こした惨事に安易に持ち込み、忘れる。あまつさえ、〝放置〟してはならないはずだ。

 「ツナミ」は、3・11より以前、2004年暮れに発生した「インド洋大津波(スマトラ島沖地震)」以来、フランス語として定着している。当時、フランスでは、中東やアフリカに比較してテロの危険が少なく費用も安いタイやスリランカの海岸が、太陽を求める人たちの人気を集めており、地震の発生時も約5000人のフランス人が、冬のバカンスを過ごすために滞在していた。総数22万人の死者のうちフランス人の死者は95人だったが、主としてツナミの犠牲者だった。

 フランスでは南部のごく一部に地震帯があり、仏南部ニースの小学校などでは、稀に発生する地震に備えて、「机の下に身を隠す」という日本式の避難訓練も行われていたが、「ツナミ」は意識していなかった。「ツナミ」の存在、恐ろしさを実際に知ったのは、この「インド洋大津波」による。そして、「フクシマ」は「ツナミ」の脅威を再認識させた。

対岸の火事ではない「フクシマ」

 フランス人にとって「フクシマの原発事故」は、決して対岸の火事ではない。フランスは、米国の104基に次ぐ58基の原発を擁する「原発大国」だからだ(日本は事故当時、54基で3位)。しかも、「抑止力」としての核兵器を国防の要にしている核保有国でもある。それだけに、「フクシマの原発事故」の発生直後から、「原発」は内政の最優先事項となり、メディアはいっせいにトップ・ニュースとして報道した。

 事務処理能力に関して、かなり疑わしい面があるフランス人だが、「フクシマの原発事故」に関して取ったフランス政府の「危機管理」の徹底ぶりには、ふだんの〝お役所仕事ぶり〟との落差が大きい分だけ、驚かされた。さすが、有為転変の激しい欧州大陸のド真ん中で、曲がりなりにも約1千年間、「大国の地位」を維持してきたフランスの延命術というか、国家としての底力を見せつけられた感じだった。

 3月11日は金曜日、つまり週末だったが、エリゼ宮(仏大統領府)、首相府といった政治の中核はもとより、国防省、外務省、原子力庁などの関連各省、そして原子力安全院(ASN)、放射線防護原子力安全研究所(IRSN)の2大原発関連機関、仏電力公社(EDF)、アレバなどの関連企業とそのトップらが、週末返上で対応した。

 エリゼ宮では、時の大統領ニコラ・サルコジが閣僚や関係者と会合を開き、フランスの原発事情を確認すると同時に日本への救援物資の手配などを決めた。首相府でもフランソワ・フィヨンが同様の会合を開催。ASNとIRSNはメディアの対応に備えて、事故直後、即刻声明を発表するとともに記者会見を開き、専門家たちが懇切丁寧にフランスの原発の安全性とともに、フクシマの事故の状況を説明した。

 IRSNは11日午前、「福島第一原子力発電所の事故の状況を追跡する」という最初の声明を発表している。そこで、「入手した断片的な現在の情報によると、福島第一原発の1号機の状況は制御された可能性がある。もし(炉心部を冷却するための海水による注水という)プロセスが効果的に確認されれば」と述べ、日本からの情報不足を指摘するとともに、冷却の成功の有無が事故の行方を左右することを強調。2、3号機に関しては早くも「懸念状況」との見方を示し、「1号機の中心部分の圧力低下の際、環境に放射性物質の漏出があった」とも述べて、事故の重大性に懸念を示した。

 IRSNのジャック・ルピュサール所長は後に筆者に対し、エリゼ宮での会議の席上、「事故」を「チェルノブイリ級」と報告したのは、「事故から3日後」と明かした。そして、東京電力が発表していないので、影響の重大性を恐れて公表はしなかったと明言した。実際、東京電力が「1~3号機の原子炉内の燃料棒」の「一部溶融」を認めたのは事故から1カ月以上も経た4月20日だった。

 IRSNは最初の声明で、「フランスの原発の監視を恒久的に行っている、全国に展開するIRSN網による監視を強化する」と強調し、フランス国民を安心させることも忘れなかった。3月14日からはフランス国内の原発に関する監視結果を、インターネットで公表するとも公約し、フランス国民の自国の原発事故への懸念に配慮を示した。

 また、IRSNは12日午後8時からパリ郊外の本部で最初の会見を開き、事故を起こした原子炉の図を使って、原発に関してはシロウトが多い各国特派員や、フランスの記者に対し、詳細かつ明解な説明を行った。以後、ASNとともに連日、記者会見を行っている。

 IRSNによると、駐日フランス大使館の科学アタッシェが事故原子炉の図のコピーを要請したが、日本の外務省からも東京電力からも回答が得られなかったので、事故原子炉のメーカーである米ジェネラル・エレクトリック(GE)から直接、入手したという。日本の当局は事故当時、すぐに公表できる事故炉の図面さえ、保管していなかったのだろうか。

トップニュースで伝えた1週間

 仏メディアも原発事故について、発生からいっせいに連日トップ・ニュースで報道した(電子版も含めて)。

 たとえば大衆紙の「パリジャン」は12日午後1時50分のサイトで、「福島第一原発で水素爆発が発生し、事故が刻一刻と深刻度を増している状況」と報じ、その後も、「本日、地震と津波の翌12日、日本は最大の原発事故の脅威にさらされている。東京から約250キロ、日本の北東に位置する福島第一原発で原子炉1号機を収納した建屋の一部から12日午後3時36分(日本時間)に白い雲が原発施設上空に昇った。数人の従業員が負傷。大地震の後、日本当局は11日以来、政令で原発施設周辺10キロ圏からの避難を指令したが、爆発の後、避難圏を20キロにした。通常の1千倍の放射線量が同日朝、原子炉のコントロール室から検出された」と詳細なニュースを流している。

 パリジャンは通常、いわゆる3面記事の軟派モノを得意とするが、フクシマの事故の記事は硬派で詳細を極めた。同紙はさらに、「セシウムが周辺で検出されており、ASNは地震で被害を受けた原子炉1号機の炉心溶融(メルトダウン)現象を危惧したが、東京電力はこのような現象は発生していないと抗議、原子炉を冷却するために水位を上昇させようとしている」と報じた。

 また、主要紙の「ルモンド」のフィリップ・ポンス記者は12日発行の紙面で、「午後5時30分ごろ、福島地方の住人に外出を控えるようにとの禁足令(屋内退避命令)が出された。その数分後に原発施設で爆発が発生した。爆発した東京電力株式会社(TEPCO)設置の福島第一原子力発電所の建屋の屋根と壁が崩壊した。火炎の発生が宣言されたが、どの施設の火災かは不明」と書き、事態の重大さに比較して曖昧な発表の中身へのいら立ちを示した。

 1970年代から東京特派員をつとめるポンスはさらに、「東京から8台の消防車が出動した。NHKテレビは原子炉付近の放射線量が1時間当たり1千15シーベルトを超えたと発表」と続け、「日本は1979年3月28日の米スリーマイル島事故に匹敵する重大な原発事故の脅威にさらされたのだろうか?」と、事故の重大性について懸念を示した。

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筆者

山口昌子

山口昌子(やまぐち・しょうこ) 在フランス・ジャーナリスト。

産経新聞パリ支局長を1990年から2011年までつとめる。著書に『ドゴールのいるフランス』(河出書房新社)、『フランス人の不思議な頭の中』(KADOKAWA)、『原発大国フランスからの警告』(ワニブックスPLUS新書)、『フランス流テロとの戦い方』(ワニブックスPLUS新書)、『ココ・シャネルの真実』(講談社+α新書)、『パリの福澤諭吉』(中央公論新社)など。ボーン・上田記念国際記者賞、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章。