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平成期のインターネット

市民ジャーナリズムの夢と失墜

濱野智史 批評家

 希望から失望へ。それを反復し続けた30年。

 残念ながらそうひとことで要約せざるを得ないだろう。今回筆者が編集部から依頼されたテーマは「平成を情報環境の変化から読み解く」というものだが、ことジャーナリズム領域に限ったとしても、このテーマを論じるにはあまりにも紙幅が足りない。そのため読者の皆様には、本論がかなり大雑把な論の運びとなってしまうことを、あらかじめお断りしておく。

 本論は平成期を主に三つの時代に区切る。

 まず、①1990年代後半~2000年代初頭、インターネット一般利用の黎明期である。具体的にはまだインターネット(Web)といっても、主に「ホームページ」と「(匿名)掲示板」に限られていた。そもそも利用者自体も少なく、双方向的(インタラクティブ)なコミュニケーションの要素も薄かった時代だ。いわゆる「Web 1.0」の時代である。

 次に、②2000年代前半(具体的には02~03年ごろ)~同年代終盤までの「ブログ&SNS」黎明期。SNS・ソーシャルメディア(mixiやTwitter)が登場し、それまでに比べ格段に情報発信のハードルは下がり、双方向性も向上した。いわゆる「Web 2.0」時代の到来であると当時もてはやされていた時期でもある。

 そして最後に、③2010年代。日本ではi-modeに代表される携帯電話で利用できるインターネットがすでに普及していたとはいえ、それが次第にスマートフォンへと移行していった。筆者が指摘するまでもなく、もはや電車内でスマートフォン以外のメディアを利用している人はいない。かつての「電車内で新聞や雑誌を開く」といった光景を見るのは皆無に等しくなり、それらは読まれているとしてもスマートフォンの中である。そしてコンテンツはSNS上のコミュニケーションの「ネタ」として消費され、拡散される時代が到来した。しかし、この時代は「Web 3.0」と呼ばれるような新たな変化は特に起きていない。基本的には第二期に出揃ったツールが、スマートフォンの普及とともに「アプリ」として普及していく時期に相当する。

 本論の構成はこの時代区分に沿っていく。ただし一点、前述の区分を見て「平成元年=1989年~90年代前半が省かれているのはなぜか」という疑問を感じる読者もいるかもしれない。もちろん筆者も、この時代にパソコン通信が存在し、プロトコルこそインターネットとは違えど、掲示板的コミュニケーションが花開いていたことは知っている。ただし私自身が世代的にリアルタイムで利用しておらず(もちろんパソコン通信に関する研究書や論文は知悉しているつもりだが)、かつインターネットの現状の展開に比べれば社会的影響力は小さかった。よってこの時期については割愛する。

 さて、それでは早速論考を始めよう。各セクションごとに、子細に事実を追うのは不可能なため、「ジャーナリズム」というテーマに強く関連すると筆者が考えるトピックに絞って論を進めていくこととしたい。

「公共圏」夢見たWeb 1.0期

 「Web1.0」期の特徴は「理想だけが先行していた」と要約できる。

 その理想とは何か。インターネットは世界中のネットワークをつなぐものであり、「自律・分散・協調」の自由なアーキテクチャーで、誰もそこを独占的に支配する者はいない。その技術的特徴から、「マスメディアと国境に縛られることのない、草の根の世界的な市民間コミュニケーションが広がるのではないか」といった夢が抱かれたのは、ある種必然だった。例えば古瀬幸広+広瀬克哉『インターネットが変える世界』(岩波新書、1996年)などには、そうしたインターネットにかける希望と熱意が込められていた。「これから世界は変わるのだ」と、インターネットに関わる者は誰もが大なり小なり感じていた牧歌的時代でもある。

 これには理論的背景もあった。キーワードは「公共圏」だ。これはドイツの哲学者・社会思想家であるユルゲン・ハーバーマスが『公共性の構造転換』(原著は1962年)の中で展開したことで知られるが、この難解な書物のうちの一つの概念が、インターネットに夢を抱く人々に、ある種の理念的な目標を付け加えた。

 それはこういうことだ。ハーバーマス曰く、かつて17~18世紀の市民革命前夜、市民の間で「公共圏」が生み出されていた。それは具体的には、喫茶店のような場所で新聞を読み、市民たちが政治について議論するというものだった。その開かれた議論の場こそが、民主主義の基礎となる世論を形成してきた(いわゆる「熟議民主主義」を唱える政治学者たちの発想も、こうした発想をベースとしている)。

 しかし、当然ながらこうした「市民的公共性」は続かない。これはむしろハーバーマスの研究に触発されて様々な論者が指摘したことだが、要はマスメディアが、市民間の双方向的な議論がまとまっていくのを遮断してしまったからだ。公共性は誰もがカフェのように入れる「公共圏」ではなくなり、いわばテレビや新聞を通じて市民に一方的に見せつける「公共ショー」のようなものになりはててしまったのだ。

 実際にはハーバーマスおよび公共性をめぐる議論はここまで単純なものではないが(このあたりは吉田純『インターネット空間の社会学―情報ネットワーク社会と公共圏』=世界思想社、2000年=などに詳しい)、本論ではこの点だけを押さえておけば十分だ。つまり、インターネットに夢見る人々はこう考えたのだ。――インターネットであれば「公共圏」、つまり市民間の双方向な自由な言論空間は再興し、いわゆる「熟議民主主義」も可能になるのではないか、と。このいわば「電子公共圏の夢」は、その後もリベラル――最近、この言葉も定義が曖昧になってしまったが、ここでは端的に「言論の自由」を愛するという意味で用いる――志向を持つ人々の心をみ続けた。それが、失望を生み続けたのだが……。

〝マスゴミ〟vs〝便所の落書き〟

 結論を急ぎすぎた。話を戻すが、しかし前述のような理念を実現するには、当時のWebの仕組みはまだ貧弱すぎたのだった。また通信環境の問題も大きい。1990年代はまだモデムを通じて電話回線でダイヤルアップし、プロバイダーにつなぐという時代である。しかも日中は電話と同じ利用時間に基づく課金がなされた。そこで日本のインターネットユーザーが飛びついたのが「テレホーダイ」だった。95年よりNTT東西が開始したこのサービスは、23時から翌8時までは月額定額というもので、事実上、この時期のインターネットのいわば「ゴールデンタイム」はこの時間帯に限られた。

 筆者は類似のサービスが他国にもあったのか寡聞にして知らないが、この「テレホーダイ」は日本のその後のWeb空間とその文化に大きな影響を与えたと考えている。考えてもみてほしい。この時代、インターネットのヘビーユーザーになろうとすれば、それは23時以降、それこそ深夜に時間を割り当てられるような社会階層の人間に偏ることを意味するからだ。

 実際90年代後半のこの時期、インターネット上には公共圏が花開くどころか、「アングラ文化」を謳歌するための場として機能していた側面が強い。その一つが匿名掲示板である。ユーザー名が表示され、モデレーターが仕切るパソコン通信的な「不自由な空間」への反動として登場した匿名掲示板が当時数多く存在したが、その後日本では99年に西村博之が設立した「2ちゃんねる」が最も知名度・ユーザーを獲得していくことになる。

 その2ちゃんねるが広めた、ある種の「草の根のジャーナリズム」的運動の一つが、同掲示板設立と同年に起きた「東芝クレーマー事件」である。簡単にいえば、あるユーザーが東芝側に不具合を問いただしたところ、「お宅さんみたいのはね、お客さんじゃないんですよ、もう。ね、クレーマーっちゅうのお宅さんはね。クレーマーっちゅうの、もう。」といった暴言が返された。この一部始終は録音され、ネットで公開された。まだナローバンドの時代に、同音源を公開したサイトは1千万アクセスを超えたとも言われるほど、当時はネット界隈では話題となった事件だった。が、しかしマスメディアはほぼこの事件を報じなかった。

 ここから、2ちゃんねると、それを無視するマスメディアという構図が次第に生み出されていく。それを決定的にしたのが2000年に起きた「西鉄バスジャック事件」であろう。この事件は、犯行に及んだ当時17歳の少年が、「ネオむぎ茶」というハンドルネームで2ちゃんねるに犯行予告を書き込んでいたことで、2ちゃんねるのイメージを極めて悪いものにした。マスメディアは当然この事件自体は報じたが、2ちゃんねるは「某巨大掲示板」と名を伏せて紹介され、匿名で書き込める「便所の落書き」的な場である、といったラベリングが行われた。

 しかしこれにより、当時の2ちゃんねるユーザーたちにはこうした自意識が生まれたのは間違いない――「そう、俺たちは便所に住まう、自由に動き回るゴキブリのような存在だ」というアイロニカルな意識である。これはまた、日本のオタク文化的なものとも共振した。そこはまじめで大人なコミュニケーションの場にはなりえなかった。全てを叩き、シニカルにあざ笑い、誹謗中傷をぶつける、児戯的なネタ的コミュニケーションの空間と文化が育まれたのである。

 そして、その「ネタ」の対象の一つがマスメディアだった。のちに「マスゴミ」などといった蔑称が生まれたように、明確に「アンチ・マスメディア」の敵対意識が定着した。

 少し長くなったが、日本のインターネット史を考える時、この草創期に芽生えた「文化」は重要である。ここでいう文化とは、サブカルチャー的な意味ではなくむしろ文化人類学的な意味で用いている。なぜなら、ある社会集団にとって忘れられないトラウマを抱えた文化は、極めて強く刻印され、継承されていくものだからだ。

 とはいえ、イメージとしては単純な構図である。要は朝~昼にかけて新聞を読む人間と、深夜に夜な夜な匿名掲示板で語り合う人間。どちらが公共的に見えるのか? 少なくともどちらが公共性を作り出しているように見えるのか? 答えるまでもない。ただし、こうした「文化的階層格差」は、その後の日本の社会空間を分断し続けていくこととなる。

 ちなみに他国であれば、マスメディアに敵対意識を持つのではなく、「市民による監視」が民主主義には必要だ、と普通に学校で教えるだろう。パブリック・ジャーナリズム運動(市民ジャーナリズム)やメディア・リテラシー教育といったものである。マスメディアは「第四の権力」であり、市民が「下からの監視」を行うのは当然だという考えが浸透しているからだ。

 しかし日本では、こうした活動や教育もないまま、先のような構図がインターネット黎明期から歪な形でセットされてしまった。あくまで本来は民主主義社会を健全に維持するための、フラットな関係性における市民活動のはずが、「マスゴミvs〝便所の落書き〟こと2ちゃんねる」というある種のプロレス的な対決の構図が生まれたのだ。

 そしてこれが日本のインターネットをめぐる通奏低音となっていく。

基盤揃い夢再び Web 2.0期

 「Web2.0」の時代はひとことでいえば、いまでいうソーシャルメディア(ブログやSNS、つまりTwitterやFacebook)といった基盤が出揃っていく黎明期にあたる。掲示板くらいしか「公共圏」の礎となる双方向コミュニケーションのための場がなかったところに、様々なサービスが登場し、次々と各種サービスはユーザーを増やしていった。

 ただ日本では、特にインターネットに「電子公共圏の夢」を抱いていた者たちにとって、 ・・・ログインして読む
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筆者

濱野智史

濱野智史(はまの・さとし) 批評家

1980年生まれ。rakumo株式会社シニア・リサーチャー。慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。専門は情報社会論・メディア論。著書に『アーキテクチャの生態系』(ちくま文庫)、『前田敦子はキリストを超えた』(ちくま新書)など。