実態映したデータを出発点に
2018年05月29日
安倍晋三首相はこの第196回通常国会(1月22日~)を働き方改革国会と位置づけていた。しかし法案の閣議決定と国会提出に至る前に、働き方改革関連法案のイメージはすっかり変質した。日本経済新聞社とテレビ東京による3月23~25日の世論調査では、働き方改革関連法案について、「今国会での成立は見送るべきだ」が67%に上り、「今国会で成立させるべきだ」は19%にとどまった(日本経済新聞3月26日)。
データ問題の紛糾がこの世論に影響していることは、間違いないだろう。ではデータ問題は、なぜ異例の答弁撤回(2月14日)、さらには法案からの裁量労働制の拡大の削除(3月1日)をもたらすほどのインパクトをもったのか。
筆者はこのデータ問題の「第一発見者」である。安倍首相の答弁撤回後、メディア取材対応や「『働き方改革虚偽データ疑惑』野党合同ヒアリング」への参加、衆議院予算委員会中央公聴会における公述人意見陳述(2月21日)等、あわただしい毎日であったため、必ずしも状況の推移を俯瞰(ふかん)することができていないが、当事者として考えているデータ問題のインパクトと、今後の課題を述べてみたい。
端的に言えば、データ問題がもたらしたインパクトとは、働き方改革の「毒」を露呈させ、さらに法制定プロセスのゆがみを露呈させたことであり、今後の課題とは、緻密(ちみつ)な実態調査に基づいて現実の課題を直視すること、その上でその課題に即した法整備を行うことである。
データ問題は、安倍首相の1月29日の衆議院予算委員会における長妻昭議員に対する答弁に端を発する。
「厚生労働省の調査によれば、裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均な、平均的な方で比べれば、一般労働者よりも短いというデータもあるということは、ご紹介させていただきたいと思います」
同様の答弁を加藤勝信厚生労働大臣も1月31日に森本真治議員に対して行い、さらに次のように調査名と時間数に言及した。
「私どもの平成25年度労働時間等総合実態調査、これ、厚生労働省が調べたものでありますけれども、平均的な一般労働者の時間が9時間…これは1日の実労働時間ですが、9時間37分に対して、企画業務型裁量労働制は9時間16分と、こういう数字もあるということを、先ほど申し上げたところでございます」
調査名から検索してみたところ、ネットで調査報告の全文が出ていた。第104回労働政策審議会労働条件分科会(2013年10月30日)の配布資料であることもわかった。
調査報告や分科会の議事録をもとに、この答弁の不適切さを2月3日にWEB記事「なぜ首相は裁量労働制の労働者の方が一般の労働者より労働時間が短い『かのような』データに言及したのか」(ヤフーニュース個人、18年2月3日)に記し、公開。5日には玉木雄一郎議員が質疑を行い、野党の追及が始まる。7日には長妻昭事務所にて長妻議員・山井和則議員らが厚生労働省担当者に比較データの根拠を問うヒアリングが実施され、筆者はそこに同席して疑問点を列挙した。さらに筆者は12日までに計5本のWEB記事を公開し論点を整理。週明けの国会質疑に備えた。
13日にはNHKの中継も入る中で長妻議員らが問題を追及。9時間37分は1日の法定時間外労働の平均の1時間37分に8時間を足したものだというが、同じ調査で1週間の法定時間外労働の平均は2時間47分となっており、5で割ると1日33分でしかない。誰が見てもおかしいと思えるそのような疑問に対し、加藤大臣は「精査させていただきたい」との答弁に終始した。
その翌日の14日に、安倍首相が答弁を撤回。異例の答弁撤回により、働き方改革関連法案における裁量労働制の拡大にメディアの関心が集中。そもそも裁量労働制とは何かを含めて報じられるようになり、裁量労働制という働き方とその拡大に、大きく光が当たることとなった。
裁量労働制は「みなし労働時間」に対して賃金を支払うものであるため、残業代不払いを合法化できる(注1)。効率よく仕事をこなせば早く帰れるかのようなイメージもふりまかれたが、仕事量のコントロール権限はないため、多くの仕事量や高い成果を求められれば長時間労働に歯止めがかからなくなる。経営者は人件費を抑えながらより多くの仕事をこなすことを求めることができる。日本労働弁護団が「定額働かせ放題」と呼ぶゆえんだ。
そのように経営側に都合のよいものであるために、政府としては、争点化は避けたかった。そのため、極力、長時間労働の是正などの規制強化を前面に出して法改正を進めようとした。その中で野党対策として、上記の「比較データ」が答弁に使われたのだろう。しかしその「比較データ」に疑義が生じたことによって、隠したかった裁量労働制の拡大方針に、逆に光が当たってしまった。「毒まんじゅう」の「毒」が露呈してしまったのだ。
2月14日の異例の答弁撤回は、混乱の収拾を図るねらいがあったように思える。しかし安倍首相は、精査を必要とするデータに基づく答弁は撤回するとしつつも、データの撤回は否定した。なぜなら、データも撤回するとなれば、法案の制定プロセスも問われることになるからだ。
その法案とは15年の労働基準法改正案、いわゆる残業代ゼロ法案である。野党の反対が強く、審議が行われないまま継続審議扱いになっていたこの法案を成立させるために、「毒まんじゅう」の「皮」を作るプロセスが、働き方改革実現会議で進められたとも考えられる。さらに、働き方改革実行計画が策定されたのちの労働政策審議会労働条件分科会でも、時間外労働の上限規制だけが議論され、いずれ盛り込まれる「毒」は、ないものであるかのように扱われた。その上で建議が行われたのちに法案要綱を諮問する段階で、継続審議扱いになっていた労基法改正案と一体化した形での諮問が行われ、「毒」と「皮」が一体化した法案要綱が、労働者代表委員の反対を押し切って、「おおむね妥当」として17年9月に答申されたのである。
では15年の労基法改正案はといえば、これも労働者代表委員の強い反対を押し切って裁量労働制の拡大と高プロを盛り込んだものであった。そしてその審議の過程で実態調査と位置づけられていたのが、答弁で言及された平成25年度労働時間等総合実態調査であったのだ。
そのため、そのデータを撤回するとなれば、労働政策審議会が間違ったデータに基づいて議論することを強いられてきたということになる。そのため野党は、答弁の撤回だけでなくデータの撤回を求め、労働政策審議会に議論を差し戻せと要求し、政府は、データについては「精査」するとして、それに抵抗したのだ。
安倍首相が答弁を撤回した2月14日以降、野党6党による「『働き方改革虚偽データ疑惑』野党合同ヒアリング」が開始される。筆者も極力このヒアリングに参加した。調査票のフォーマットの開示を求めるも黒塗りでしか開示しない、調査要領も開示しないなど、不可解な対応を厚生労働省は続け、国会でも追及が続く中で、2月19日になってようやく、「精査」の結果の一部を報告した。一般労働者の1日の法定時間外労働の平均の1時間37分とは、「最長」の1日のデータであったことが明らかになった。他方の裁量労働制の労働者のデータは「最長」の1日のデータではない。明らかに、比較すべきでないものが比較されていた。
そのため、比較に基づく答弁は内容的にも撤回に至る。それでもなお安倍首相は、
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