三浦まり(みうら・まり) 上智大学法学部教授
1967年生まれ。慶應義塾大学、カリフォルニア大学バークレー校大学院修了。政治学博士。専門はジェンダーと政治、福祉国家論。一般社団法人パリテ・アカデミー共同代表。著書に『私たちの声を議会へ:代表制民主主義の再生』(岩波書店)、『日本の女性議員:どうすれば増えるのか』(朝日選書)など。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
候補者男女均等法への歩みとこの先
日本で「女性」が生きづらさを感じる根本的な理由は、男性優位の文化が温存され、固定的な性別役割が個々人の自由な生き方を束縛し、女性を抑圧していることにある。議会に女性がもっと増えたならば、こうした文化を下支えする法制度は変革を余儀なくされていくだろう。したがって、女性の生きづらさを解消するためには女性議員の増加は不可欠である。
しかしながら、現状では衆議院の女性比率は10.1%で193カ国中158位(列国議会同盟、2018年6月現在)でしかない。参議院では20.7%、地方議会では全体で13%程度である。男性がほぼ独占する状態で意思決定がなされているのが現状だ。
これを変えるべく、「政治分野における男女共同参画推進法」が5月16日に参議院本会議にて全会一致で可決・成立し、23日に公布・施行された。この法律を「候補者男女均等法」とも呼ぶことができるのは、2条の基本原則に、政党は「男女の候補者の数ができる限り均等」となるよう目指すことが盛り込まれたからである(表)。各政党はこの基本原則の下に、男女の候補者数を定めるクオータ(性別割当制)等の措置を講じることが求められている(法律の解説は拙稿「『政治分野における男女共同参画推進法』成立の意味―議会の男女均等に向けて新たなステージへ」『世界』2018年7月号を参照)。
ここではなぜ法律が制定に至ったのかに関して、女性団体、議員連盟、学界、メディアの役割に着目し、これらの連携が法成立の鍵を握っていたことを見ていきたい。そして、この考察を通じて女性の生きづらさを解消していく方策を探っていきたい。
法律の制定は、立法の必要性(立法事実)が存在し、その認識が広く共有されることが出発点となる。政治過程論では「アジェンダ設定」と呼ばれるが、まずは事案がアジェンダ(議題)とならなければならない。問題を察知した当事者や支援団体、専門家が声をあげ、行政やメディアの目にとまり、時には世論が湧き起こり、政治家が立法に向けて動きだす過程がアジェンダ設定過程である。
女性議員を増やすための手法にクオータがあり、今日では130カ国で何らかのクオータが実施されている。クオータが日本に導入されるには、日本の女性議員が極めて少ないという事実が広く知られ、その状況を改善するための手法としてクオータが着目され、法的なクオータ制が必要だという認識が深まるというプロセスを経る必要がある。
女性議員が少なすぎるという認識が日本社会でいつごろから広がったのかを確定することは難しいが、朝日新聞の記事データベースで検索すると、比較的古い記事としては、1992年1月16日の日本の「国会議員の女性比率、先進国で最低の110位」がある。この国際順位は列国議会同盟が毎月公表するもので、毎年、市川房枝記念会(当時)が『婦人展望』(現在『女性展望』)にて公表しており、それに基づいてこの記事が書かれている。ちなみに当時の女性比率はわずか2.3%だった。
その後は総選挙や国際会議などのタイミングで列国議会同盟の日本の順位が紹介され、1990年代に11本、2000年代に10本掲載された。日本の女性議員の少なさを打開する手段としてクオータに言及する記事はそのうち9本である。フェミニスト議員連盟や北京JAC、女性国会議員などがクオータを求めていることも記事化されている。
1紙だけの動向であるものの、メディアの女性議員比率への関心は総じて低かった。日本の女性議員が増加傾向にあったこともあり、メディアは世界との大きな落差には関心を寄せていなかった。市川房枝記念会は先駆的に国際順位を公表し、女性団体などのクオータ要求が時折メディアで取り上げられたが、クオータを求める運動が本格化するのは2010年代に入ってからである。
女性議員を増やすために何らかの法的取り組みが必要だという認識は、政府内では2010年から広がった。第3次男女共同参画基本計画策定の過程で仙谷由人国家戦略担当大臣が「エッジが効いていない」と発言し、それを受け男女共同参画会議議員の鹿嶋敬が「それならクオータ制を」と提言し、基本計画に「クオータ制(割り当て制)」という文言が初めて登場した(注1)。それ以来、男女共同参画担当大臣は各党にクオータ制の検討を要請するようになっている。
市民社会の動きとして重要だったのは、「クオータ制を推進する会(Qの会)」の誕生である。赤松良子元文部大臣が代表を務め、同じく赤松が代表を務める「WIN WIN」(注2)の呼びかけで九つの団体によって2012年に結成された(注3)。2013年5月時点で33団体が参加し、2018年には63団体にまで増えている。WIN WINも2013年に『クオータ制の実現をめざす』を刊行し、クオータ制への理解・普及活動に乗り出した。
同時期に私自身もクオータへの関心を深めており、2011年3月8日には上智大学で「世界118位の現実:クオータは突破口となるか」のシンポジウムを開催した。辻村みよ子、申琪榮、橋本ヒロ子、小宮山洋子、福島みずほ、円より子ら、第一線でクオータについて発言していた論客を集めたこのシンポジウムには、100人以上の参加者が詰めかけ、ネットで中継したところ400人以上が視聴した。この反響に手応えを感じた私はシンポジウム記録を冊子化するとともに、本格的な国際比較研究に着手し、衛藤幹子と編著で『ジェンダー・クオータ:世界の女性議員はなぜ増えたのか』(明石書店)を2014年3月に刊行した。
市民社会と学界ではこのようにクオータに関する議論が起きていたが、それが永田町に飛び火するのは2014年3月7日にQの会が開催した院内集会からである。出席していた中川正春衆議院議員が超党派の「クオータ制を推進する議員連盟」の設立を提案したのである。野田聖子議員をはじめ、出席していた国会議員は全員賛同し、ここから議連結成へと繫(つな)がっていった。実際に「政治分野における女性の参画と活躍を推進する議員連盟」が発足したのは、解散総選挙を挟み翌年2月となるが、その生みの親はQの会であり、アジェンダ化のリーダーシップを発揮したのが中川正春であった。中川は各党にクオータ制の検討要請を対面で行った最初の男女共同参画担当大臣だったが、今度は国会議員として議員立法を目指したのである。