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社会を切り取り、解釈する前に

自分の「正しさ」、疑う胆力を

初沢亜利 写真家

「抑圧者」自覚した学生時代

 ジャーナリストが対象に選びそうな地域に、確信を持ち飛び込むようになったのは、35歳をすぎてからだった。しかし、そのきっかけは恐らく学生時代に遡(さかのぼ)る。時間を巻き戻して記したい。

 小学校の6年間、児童合唱団にいた名残で、大学生活前半はグリークラブ(男声合唱団)に所属していた。しかし、歌手を目指すわけでもなく趣味で歌っていても未来につながるとは思えず、紆余(うよ)曲折を経てサークルの写真部に入ることになった。お勉強の方では文学部社会学科でジェンダーのゼミに入った。

 当時はアラーキー(荒木経惟氏)全盛の時代であり、真似(まね)事のようにヌード写真の撮影にも憧れた。一方、男性による構造的、意識的女性差別について様々な本を読み小さな論文を書いたりした。欲望と理性が分裂し、並走することは不可能だった。フェミニズムを真面目に学ぶ男子学生として女性の指導教授に進学をそこそこ期待されたが、卒業式後の懇親会で「何の落とし前も付けずにやめるのね」と刺さる言葉をいただき、写真家の道へと歩み始めた。

 なぜジェンダーのゼミを取ったのか? 差別問題の入り口は被抑圧者の告発に始まるが、最終的には抑圧する側が意識を変えなければ解決に至らない。差別の問題を考えるならば、自分が抑圧者の側に身を置くテーマを選ぼう、と直感してのことだった。

デビュー、偶然のバグダッド

 写真家になるには、作品が評価されなければならない。大学卒業時に応募した、ドキュメンタリー系の「太陽賞」の最終選考に残った。雑誌「太陽」の誌面には審査員の一人だったアラーキーが「感性あり、感情あり、写真才あり、これかな?」と賞に推したことが分かるコメントが書かれていた。憧れの天才からいただく称賛は時に人生を大きく狂わせる(笑)。この道でいこう、と自信過剰になった。その後新宿3丁目の酒場で知り合った東京新聞記者から都内版での連載のページをもらうことができた。幸先のいいデビューだった。1年半写真と原稿の連載を150回続ける中、貸しスタジオでアシスタントとして働いた。サークルの写真部ではライティングを学ぶことはできない。重たい機材を抱え地下1階から3階まで駆け上がる肉体労働の日々だった。写真家を続けるには商業カメラマンとして生計を立てる必要があった。どんな注文がきても不安なく撮影をこなす技術を身につけたかった。

 20代後半に独立し依頼仕事をこなす日々はそれなりに充実していた。働くほどお金が入ってくる感覚は悪くなかった。いつしか作品制作からは離れていった。依頼された条件下で最大限結果を残すことと、自発的にテーマを決め撮影し発表することの両立は極めて難しい。使う脳が違うのだ。ライターと作家の違いに例えると分かりやすいかも知れない。

 20代最後の年、通い慣れた新宿ゴールデン街の店で焼酎の牛乳割りを飲んでいると、時折挨拶(あいさつ)する新右翼団体「一水会」の木村三浩代表が入ってきた。2002年12月のことだ。「来年2月に30人を連れてイラクのバグダッドに反戦運動に行く。カメラマンも一人連れて行きたいが、よかったら行くか?」と唐突に誘われた。滞在中に戦争が始まってしまうかも知れない。そんな危険な場所での撮影を考えたこともなかった。いったんは躊躇(ちゅうちょ)したが、依頼仕事に追われる日々から抜け出したかったこともあり、参加を決めた。

 滞在時期から3週間後にイラク戦争は勃発し、その3週間後にフセイン像が倒され大規模な戦闘は終わった。10日ほどの滞在で関わったイラク人がどうしているのか気になり、戦闘終結から2カ月後に今度は一人で行くことになった。

 帰国後、ある出版社の社長から写真集にしよう、と提案をいただき、その年の冬に『Baghdad2003』を出版した。反戦カメラマンという扱いでメディアの取材を受けることになった。人生初の写真集を出すことができ、多少は浮かれてみたが、徐々に気持ちが落ち込んでいった。自分の行いがあまりに安易に思えたからだ。対象との関わりも単なる偶然で、滞在期間も短く、何より動機が不明確だった。自分自身の軽率さと軽薄さに耐えられなくなった。

午前5時、東京で人を撮る

写真展 東京午前5時、200人のポートレイトのポスター拡大写真展 東京午前5時、200人のポートレイトのポスター
 そんな時期にある月刊誌から巻頭グラビアの撮影依頼がきた。東京がテーマであれば何でもいいという。しばらく考えて午前5時のポートレイトを撮りたい、と提案し承諾を得た。新宿で明け方まで飲んだ後、帰宅途中に出くわす人間模様に以前から興味を抱いていたから
だ。

 ひと月ほど撮影を重ね、写真8点を納品したが、撮影は骨の折れるものだった。仕事が終わり家路につく者、急ぎ足で仕事に向かう者、変わらずしゃがみ込んでいる路上生活者。「写真を撮らせてください」と頼み込んでもほとんどは断られた。ティッシュ配りが無視をされるのと同じ扱いを受けた。昼間はスタジオでカッコよくアイドルを撮っている自分との落差から自尊心が傷ついた。

 しかし、人の写真を撮る、とは本来こういうことではないか?という気付きも得た。バグダッド写真集の挫折から立ち直るためにも、必要な苦労だと感じた。「東京午前5時、200人のポートレイト」を2007年に個展で発表するまでに、断られた数は千人を超えた。それでも3年間、自分が住む街で被写体一人一人と向き合ったことで、次の段階に進んでもいいような気がした。

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筆者

初沢亜利

初沢亜利(はつざわ・あり) 写真家

1973年、フランス・パリ生まれ。上智大学文学部卒業、写真ワークショップ・コルプスを修了し、イイノ・広尾スタジオを経て写真家として活動。2013年東川賞新人作家賞、16年日本写真協会新人賞受賞。写真集に『Baghdad2003』『True Feelings 爪痕の真情。2011.3.12~2012.3.11』『隣人。38度線の北』『沖縄のことを教えてください』『隣人、それから。38度線の北』。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです