継続的な報道が減災に寄与
2018年11月20日
「晴れの国『岡山』」の放送局が直面した豪雨災害。これまで災害応援に行くことはあっても、災害応援を受けるのは初めてのこと。災害の少ない岡山県にいて、どこか災害に鈍感になっていたのではないだろうか。「台風は岡山を避ける」「大雨といっても岡山では雨雲が弱まる」。そんな都市伝説にも似たものが岡山県にはある。「もっと危険を強く伝えることができなかったか、災害が発生してからずっと考え続けている……」。災害発生後に天気予報で最初に私が反省も込めて話した言葉だ。
6日夕方までに入っていた大雨の被害は、散歩中の男性が増水した川に流される、住宅の裏山が崩れるなど、表現は荒っぽいがこれまでの台風や大雨で「経験したことのある」被害だった。夜になってさらに雨が強まり、同じところに長時間にわたってかかり続ける真っ赤な雨雲レーダーの画面を見て、「こんな雨は経験がない」という思いがそのとき初めて心の底から湧いた。「これはあちこちで崩れる」、そんな危機感はあったが、これほどの大規模な洪水までは想像が及ばなかった。
大雨特別警報が出てからは、自治体からの避難勧告や避難指示が相次ぐ。もちろん河川の氾濫警戒情報なども入ってきた。しだいに短いニュースの時間内には伝えきれないほどの情報量になってくる。1分程度のローカル枠での定時ニュースでは「大雨特別警報」が出ていることを伝えることで精いっぱい。テレビの画面横には「大雨特別警報」のスーパーが出続けていたが、それがどれほど危険の高まっていることを視聴者に伝えていただろうか。
一連の取材をする中で、国交省が河川の氾濫のおそれが高まった時に、住民のスマホなどに警報音とともに知らせる緊急速報メールを、「小田川の氾濫のおそれが高まった」ときに配信していなかった事実をつかんだ。あちこちの河川で氾濫の危険が高まったための混乱が原因だったようだ。このことを勇んで報じたものの、発信されるはずのその緊急速報メールには「テレビ等で自治体の情報を確認し」という記述があった。このメールが届けられたとして、テレビを見ている人が避難を判断するに十分な情報を果たして流していただろうかと考えさせられた。
避難勧告や避難指示、河川の管理などを検証することはもちろんだが、住民に伝える手段の一部を担っている私たちも、その努力を十分にしていただろうか。災害発生後の取材については、弊社の所属するJNN系列では、キー局のTBSの調整のもとで全国の系列局から切れ目ない応援クルーが入る態勢が整ってきたが、災害が起こるまでの報道は各局の判断と体力で大きく左右される。警戒を呼びかけても何も起こらなければ「空振り」になるが、「空振りを恐れず避難勧告を」と言われている今、災害が起こりつつある段階で、犠牲者を少しでも減らす「減災報道」にこそ力を入れる必要があると感じた。
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