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ジャーナリズムの生きる道は

韓国メディアの権力との闘い

朴晟済 韓国MBC報道局長

 大学生時代に第二外国語として日本語を勉強していて、時おり驚くことがあった。「韓国人と日本人は本当に考えが似ているな」と感じたからだ。たとえば、「猿も木から落ちる」という日本のことわざは、韓国のことわざと意味はもちろん、単語も一致する。「花より団子」が「金剛山も食後の見物」という韓国のことわざと似たような意味だと知ったときは、思わず膝を叩いたほどだった。単語は少し異なるが、どちらも表現しようとするところがとても生き生きと伝わってくる。

 日本のネチズン(NetworkとCitizenの合成語で「ネット市民」)たちが自国のメディアを〝マスゴミ〟と冷やかして呼ぶということを聞いたときは「やはり」と、感嘆詞とともに苦笑いをするしかなかった。韓国ではこの場合、「メディア」とは言わずに「言論」と言うが、そこには道具としての媒体(メディア)であるだけでなく、社会正義をただす使命を帯びたニュアンスが含まれている。そうした「言論」をごみに例えるとは……。同じように記者をごみにたとえて〝キレギ〟(キジャ=記者、スレギ=ごみの合成語)と呼ぶ韓国人の視線と全く同じではないか。その言葉に含まれている蔑視がまさに「生き生き」と感じられる。偶然にも韓日両国のメディアは、ともに軽蔑と怒りの対象に転落してしまったのだろうか。日本の事情はぼんやりと推測するだけである。しかし、メジャー放送局で25年のキャリアを持つジャーナリストである筆者が韓国メディアの実像を説明するのはそれほど難しくない。

主要紙の活路は保守代弁

光州事件11周年の91年5月、警官隊の発射した催涙ガスに逃げ惑う学生や市民ら=韓国・ソウル市光州事件11周年の91年5月、警官隊の発射した催涙ガスに逃げ惑う学生や市民ら=韓国・ソウル市
 韓国でいつから記者たちがキレギと呼ばれ出したのだろう。その始まりを探し出すのは難しいが、この恥辱的な別名が特定の報道機関に所属する記者だけを指す言葉ではないことは明らかだ。ここで約30年前の過去に戻って考えてみよう。

 1987年、ソウル市庁前を埋め尽くした集会で民主化を叫んだ市民たちを思い出してみる(注1)。彼らが憤っていた対象は、独裁権力だけではなかった。人々は権力にひざまずいたテレビニュースや新聞に失望して怒っていた。毎晩メインニュースがはじまるたびに、大統領の動静がトップニュースを飾り、新聞各紙は光州抗争(光州事件)のような民主化運動を「暴徒によるデモ」と罵倒していた時代だった。当時、大学生だった筆者が記者になる決心をした理由も、こうした憤怒と無関係でなかったと思う。権力に屈従するテレビや新聞を改革するには、「虎の穴に飛び込まなければならない」という心情ではなかっただろうか。

 80年代末にはじまった言論改革運動は、まさにこのような憤怒に端を発したものだ。権力と資本から独立した言論が必要だという自覚が韓国知識人の間で広まっていった。その結果、市民が株主となる「ハンギョレ」のような新たな新聞が誕生した。多くの人々がこつこつと貯(た)めたお金を持って、新聞社の「所有者」になるために駆けつけた。人権派弁護士出身の故・盧武鉉(ノムヒョン)大統領と文在寅(ムンジェイン)現大統領がその当時、ハンギョレの株主として参加したという逸話は有名である。のちの98年、財閥グループの所有だった「京郷(キョンヒャン)新聞」が社員株主の形で独立し、「ハンギョレ」とともに、いわゆるリベラル派新聞の二頭立て馬車のような役割を一手に引き受けるようになる。一方、インターネット時代がはじまると、それまでになかったタイプのオンラインニュースメディアが続々と誕生した。市民記者が自発的に送ってくる記事を発信する「オーマイニュース」、元新聞記者たちが作った「プレシアン」などがそれである。

 市民が株主として参加したり、直接記事を書いたりもするメディアは、改革と変化を追求する進歩(リベラル)陣営の理念を代弁しはじめた。他方、権威主義の独裁政権に協力した「朝鮮日報」「中央日報」「東亜日報」(略して「朝中東」と言う)などの新聞は、おのずと保守陣営の理念の代弁者になるしかなかった。活路を見いだすためには避けられない選択だったと思うが、結局こうした過程を経て、韓国の新聞やインターネットメディアは徐々に保守―進歩という理念上の対立構図に再編されてきた。このような構図は、2018年現在もおおむね有効だと見ることができる。

政治に翻弄される放送局

 一方、テレビニュースを伝える放送局を、保守―進歩の理念構図に沿って分けることはそれほど容易ではない。韓国の地上波放送局の大部分は所有構造が公的なものであり、新聞のように社主が論調を牛耳ることが根本的に不可能だからだ。韓国の地上波放送局のうち、ニュースを報じるのは3社である。日本のNHKと似ている第1公営放送KBSと第2公営放送MBC、民放SBSである。このうちKBSとMBCは、政府と国会で推薦する人たちが理事会を構成するように法律で定められている。当然、半数以上の理事たちが青瓦台(大統領府)と与党の推薦を受けて任命される。このように構成された理事会が社長と経営陣を選出する。このあたりで早晩気づく読者もいるだろう。

 「なるほど、韓国の公営放送局の社長は、大統領が好き勝手に任命するんだな」

 おおむね合っているが、必ずしもそうではない。金泳三(キムヨンサム)、李明博(イミョンバク)、朴槿恵(パククネ)など権威主義的な保守政党の大統領在任中は、青瓦台が意図した人物がKBSとMBCの社長に任命されるのが当然の慣行だった。韓国ではこのように政府与党が決めて送り込まれる社長を「落下傘」と呼ぶ。落下傘社長になったり、そうなりたいジャーナリストが大統領やその側近によく見られようと努力した(する)ことは言うまでもない。だから、保守政権時代のテレビニュースは、政権に親和的であると同時に、「朝中東」の論調と大きく変わらない保守的な色合いを帯びたものであった。

 反対に、金大中(キムデジュン)、盧武鉉と現在の文在寅など1980年代の野党出身の〝相対的に〟進歩志向の大統領在任中には、放送局は権力の影響から比較的自由な社長を得ることができた。3人とも生涯を民主化と人権のために生きてきた政治家だったので、言論の自由に対する認識と理解も格別だった。したがって、この時期の放送局理事会は、青瓦台や政府与党の顔色をそれほど窺うことなく社長を選出してきた。そうして選出された社長は、記者やプロデューサーにも取材と報道の自由を十分に保障してもくれた。韓国テレビニュースの理念を保守―進歩の構図に単純に分けることができない理由がここにある。韓国メディアが国民の信頼を失うことになった理由を知ろうとするなら、新聞の理念対立の構図とともに、このような放送局の社長選出システムをまず理解しなければならない。

李明博政権、露骨な介入

ドキュメンタリー映画「共犯者たち」(KCIJ Newstapa)から。韓国MBCを解雇された崔承浩監督(右から2人目、現在はMBC社長)は李明博元大統領に詰め寄り、批判した。筆者も出演したドキュメンタリー映画「共犯者たち」(KCIJ Newstapa)から。韓国MBCを解雇された崔承浩監督(右から2人目、現在はMBC社長)は李明博元大統領に詰め寄り、批判した。筆者も出演した
 2007年12月、保守政党ハンナラ党(現・自由韓国党)の李明博候補が大統領に当選し、韓国の放送界は激変を経験することになる。李明博大統領とハンナラ党は、ずいぶん前から二大公営放送であるKBSとMBCの報道の論調に対し、深刻な不満を持っていた。とくにMBCのニュースと時事番組には、露骨な敵意を表しながら「実権を握ったら黙っていない」というような発言を公然と言ってはばからなかった。08年春、BSE(牛海綿状脳症)に感染した危険がある、一部の米国産牛肉の輸入を許可した政府を批判するMBC時事番組「PD手帳」が放映され、全国で李明博政権を糾弾する大規模なろうそく集会がはじまった。1987年に100万人が殺到したソウル市庁前広場で、同じくらいの数の市民が集まり、李明博大統領は政権初期に支持率が10%台に急落するという切迫した危機にさらされる。

 李明博政権が危機突破のために選んだカードは何だったか。まさに過去の独裁政権が行ったように放送を掌握することだった。まず検察を動員して「PD手帳」製作陣を逮捕し、名誉毀損罪を適用して裁判所に引き渡した。そして、まだ任期が残っていたKBSとMBCの社長を解任してしまい、大統領と親密な関係にあったジャーナリストらを落下傘社長として送り込んだ。KBS社長になったキム・インギュは、李大統領が候補だったときに直属諮問機関に引っ張られてきた人物である。そしてMBC社長になったキム・ジェチョルは、李大統領が初当選した議員時代から20年以上親しくしてきた記者だった。

 社長交代により、とりあえず公営放送掌握の土台を作った李明博政権は、再び「放送友軍」を増やす第2の作戦を試みる。それこそが「朝中東」に代表される保守新聞に放送局をプレゼントすることだった。「朝中東」はケーブルテレビにおいて地上波放送のようなコンテンツを打ち出すことができる「総合編成チャンネル(総編)」を運営することが念願だったが、09年夏、ハンナラ党は野党の反対を押し切って国会で強行採決し、総編を許可する法案を通過させてしまった。

 KBS、MBCに落下傘社長が再び任命され、保守新聞を所有者とする四つの総編が発足し、韓国放送界は急激に保守化しはじめた。テレビが保守的な視点でニュースを報道するのは、ある意味、大きな問題ではないかもしれない。重要なのは、大統領とその側近たちが犯したさまざまな不正と不法行為について放送局のメインニュースが口を閉ざしてしまった点だった。言論の最も重要な機能、権力批判と監視という機能が麻痺しはじめたのである。李明博大統領がBBKという投資会社を設立し株価操作をしたという疑惑、DASという会社を通じて不法な利益を蓄積したという疑惑など最高権力者の個人の不正に対する報道は、テレビからすっかり消えた。青瓦台勢力や大統領側近たちの収賄疑惑に対する調査報道も見ることができなくなった。国民はひたすら「ハン・キョン・オ」(「ハンギョレ」「京郷新聞」「オーマイニュース」)など、いくつかの新聞とインターネットメディアを介してのみ、こうしたニュースに限定的に接することができるだけだった。李明博元大統領は結局、今になってようやく本格的な検察の捜査を受け、刑務所に収監されている。

ネット記事に軽蔑の目

 KBS、MBCは、金大中、盧武鉉大統領時代までは言論に対する国民の信頼度調査で「ハンギョレ」とともにいつも上位を争っていた報道機関だったという点に注目しなければならない。ところが、その信頼性は李明博政権発足からわずか2、3年で無惨にも崩れ落ちた。ニュースを報じるのは記者なのに、落下傘社長一人来たからといって、なぜこのようなことになってしまったのだろうか? 社長が人事権を用いて記者とプロデューサーを統制したからだ。落下傘社長に立ち向かった二大放送局のジャーナリストたちは、熾烈な闘いのすえ敗北し、結局、抵抗する力さえ失ってしまった。筆者の勤務先であるMBCの場合、権力に批判的な声をあげたジャーナリストはほとんどニュースや時事番組を直接作ることができない部署に追いやられた。その代わりに、社長と経営陣の指示を忠実に履行する者たちが幹部に任命され、政治部、社会部、経済部など主要な問題を取材する部署は、従順な羊のような記者たちで満たされていった(注2)。

 MBCのキム・ジェチョル社長はさらに、

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