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中東の「暴君リスク」に備えよ

鍵はサウジの世代交代

池内恵 東京大学先端科学技術研究センター教授

アラブの春と非国家主体の台頭

 まず文脈を見ておこう。2011年初頭の「アラブの春」はアラブ諸国の抑圧的な政権に軒並み動揺を誘った。その中で、特に政権の退陣、体制の崩壊や内戦・国家の分裂といった大きな変動を被ったのは、かつて革命などを経験して共和制になっていた国だった。

 アラブ諸国の共和制の諸国で、大統領の任期が実質上終身のものとなり、さらに世襲化することで、次世代にまで現政権の支配を持続させようとしたところで、大規模な反乱が起きた。これに軍・治安機構の離反や分裂が加わった国では、政権が退陣を迫られるか、武装蜂起を前に崩壊した。チュニジア、エジプト、リビア、イエメンがそれらの事例である。シリアのアサド政権は政権の崩壊をロシアやイランの軍事力を借りた大規模な弾圧、反政府勢力の殲滅によって乗り切ろうとし、国民社会の分裂を招いている。

 現在までのところ「アラブの春」による政権の退陣や崩壊の後に来たものは、多くの国では民主主義ではない。選挙による複数回の政権交代が生じたチュニジアを除けば、民主化の試みは挫折した。エジプトでは相次ぐ議会選挙、そして2012年の大統領選挙でイスラーム主義のムスリム同胞団が勝利し、統治の権力を掌握する初めての機会を得た。その統治は賛否を分け、わずか1年で軍主導のクーデターを民衆が歓呼して迎えるという形で終結した。リビアでは、2012年の国民総会選挙で選ばれた議会が新体制の憲法を制定に道筋をつけ、2014年の代議員議会選挙によって新体制の政府を創設するはずだったが、立憲プロセスは滞り、新体制が定まらないうちに行われた2回の選挙で二つの異なる政府が並び立ち、分断を深め固定化する結果に終わった。

 「アラブの春」後の中東情勢は、「二極化」を基調とする。一方に、中央政府が弱まり非国家主体が台頭する諸国がある。他方で、いくつかの地域大国が台頭し、各地の内戦や地域紛争に介入し沈静化させ、調停する役割を担おうとする。

 強権的政権が揺らいだ後に、中央政府が国土の隅々まで実効支配することが困難になり、国境が揺らぎ国家機構が機能不全に陥っている事例は、リビア、イエメン、シリアなどであり、シリア内戦はイラクに波及し、「イスラーム国」(IS)の台頭や北部クルド自治区での独立傾向の強化をもたらした。

 中央政府が十分に国民を統合できず、国民の帰属意識の対象となり得なくなった諸国では、国民国家とは別の、宗派・部族・地域主義などさまざまな対象への帰属意識が強化されている。それらの帰属意識の対象は歴史上長く存在していたものであるが、現在の中東の諸国家が形成されていく近代化の過程で、後景に退いていたものであった。それらが国民に代わる帰属意識の核となり、それによって動員された集団が軍事力までも保有するようになることで、非国家主体が場合によっては国家と同等の政治的アクターとなる事象がアラブ諸国で相次いでいる。

 2014年にイラクとシリアで大規模に領域支配を行って耳目を集めた「イスラーム国」もまた、この状況下で台頭した非国家主体の「多くの中の一つ」とも言えるだろう。「イスラーム国」の場合は、イスラーム教のスンニ派の政治思想に基づくイスラーム共同体への帰属意識と、その正統な体制としてのカリフ制の再興に加わるという「大義」に感化された者がイラクやシリアとその周辺諸国、そして世界各地から集まった。

 イラク北部やシリア東北部で事実上の支配領域を得て、自治や独立を志向するクルド人の場合は、近代の中東諸国家の中でマイノリティーとして存在し、国家を持てなかった民族が、「アラブの春」後の諸国家・中央政府の弱体化を機会として台頭している。

 イエメンやリビアのように、部族的な紐帯や地域主義が再活性化され、統一国家の再建を困難にするところまで来ている場合もある。

 ただし中東でとめどなく国家・国民が崩壊・融解していく、といった破局的な印象を持つ必要はない。中東はそれでも一定の安定度を保っており、それはいくつかの地域大国がその国家と国民の統合を維持し、周辺の崩壊しかけた諸国家に対して優位に立ち、介入や調停により影響力を行使して事態の沈静化を図っているからである。

 イラクやシリアやレバノンでシーア派が優位の政権への影響力を強めるイラン、シリア北西部の反体制派の安全地帯を確保しつつイラク北部やカタールなどにも影響力を持つトルコが双璧である。

 黒海沿岸・コーカサス地域から中東に越境して影響力の拡張を進め、米国の隙をついてシリアなどでの影響力を強めるロシアや、過去にアラブ諸国からのボイコットを受けながらも中東にしっかりと根を張り、いまや中東地域の最先進国としての地位を確立したイスラエルなどが、地域大国あるいは強国となった。域外の超大国である米国が中東への関与の意思を弱める中、これらの地域大国・強国間の均衡によって中東地域の国際政治は形作られつつある。

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筆者

池内恵

池内恵(いけうち・さとし) 東京大学先端科学技術研究センター教授

1973年、東京都生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。日本貿易振興会アジア経済研究所研究員などを経て、2018年10月から現職。専攻はイスラーム政治思想史、中東地域研究。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社)、『シーア派とスンニ派』(新潮選書)ほか。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです