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中東の「暴君リスク」に備えよ

鍵はサウジの世代交代

池内恵 東京大学先端科学技術研究センター教授

「まだら状」の秩序

 「アラブの春」の動揺を経た中東の各国の国内体制、そして国際秩序はまだ再編の途上である。いったん解き放たれた非国家主体はそう簡単にもとの国家の枠内に収まらない。しかし中東にむやみに主権国家を増やしたり既存の国家の分裂を許したりする動きは、国際社会の中に強くない。

 当面は有力な非国家主体のうちいくつかは事実上の国際社会の主体として認められるが、その地位は国際情勢の変化次第で失われる風前の灯火のようなものである。イラク北部のクルド人とシリア北西部のクルド人とトルコ南東部のクルド人に対して、それぞれの自治や独立への希求は、国際社会で同等のものとして扱われない。それらの勢力は、米国やロシアやイランなど超大国や地域大国にとっての有用性によって国際社会における主体としての権利を付与されたりされなかったりする。

 「イスラーム国」を国際社会の主体として認めないという判断は、米国やロシア、イランやサウジアラビアといった立場を異にする多様な主体に共通しているが、その根拠にしてもそれほど確かではない。「イスラーム国」の行動の非人道性は顕著であるが、それを例えばアサド政権のような既存の国家の政権の行動の非人道性と比較考量して質的・絶対的に異なるとは言い切れない。

 ただし「イスラーム国」の場合はイスラーム教の神の啓示とされるシャリーア(イスラーム法)が近代の西洋に由来する基本的人権や国際法に優越する規範であると露骨に表明し、実際に人権や国際法を踏みにじってみせるという点では、既存の法秩序を維持することに利益を抱く多くの国にとって許容しにくいものであるということは確かであり、そこから「イスラーム国」については陣営や立場を超えて多くの国により事実上の包囲網が形成されたと言えよう。

 「イスラーム国」のシリアとイラクでの事実上の領域支配はほぼ排除されたものの、脅威が去ったわけではない。「イスラーム国」の理念は広く伝播しており、各国の状況次第で、自発的に理念に共鳴し呼応して各地に小集団が現れ、場合によっては小さな領域を支配したり、一定の行動の自由を得たりする。中央政府の支配が及ばない地域や、中央政府との関係が非常に悪化した地域が生じれば、そこを「イスラーム国」を名乗る勢力が一時的に勢力範囲とし、インターネットでその存在を誇示し、他の地域から共鳴者を集めていく。

 このような「イスラーム国」の脱中心的な組織原理・行動様式は、近代国家に代表される領域一円的な支配ではなく、まだら状の勢力分布として現れる。インターネットという共通のインフラを利用していることから、程度こそ異なれども、部族や民族による動員と結集においても、同様の性質が見られつつある。中東の社会はしばらくの間、異なる帰属意識を持つ勢力が「まだら状」に分布する不可測性を持ったものとして存在するだろう。

地域大国の役割

 こうしたまだら状の無秩序を抱え込む場合には、主権国家の再構築が求められるが、言うは易く、行うは難しである。当面は、イラン、トルコやイスラエル、あるいはサウジアラビアやエジプトのような地域大国・強国が周辺の崩壊しかけた諸国家の混乱が波及するのを食い止め、可能であれば周辺諸国の再建を支援することが期待される。これらの国々はそもそも自国の領土がこのようなまだら状の秩序に落ち込むことがなさそうであるという意味で、相対的に優位性を持つ。

 しかし役割が増している地域大国の間にも質的な相違がある。トルコやイランのように、前近代の帝国に由来し、国家・中央政府が強く、国土・国境の歴史的な根拠や持続性があり、国民統合の進展度合いが高い国に比して、あるいはイスラエルのような傑出した技術力や軍事力を持つ国に比して、アラブ世界の地域大国の二つの有力候補、つまりサウジアラビアやエジプトはそれぞれに一長一短とも言え、十全な地域大国としての要件を満たしていない。

 アラブ諸国はサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)やカタールのような産油国・産ガス国、エジプトのような人口・軍事力を備えた従来型の大国などを総計すればかなりのパワーとなるはずだが分裂している。サウジアラビア・UAEとカタールのように、性質の似たGCC(湾岸協力会議)諸国の中でさえ激しく対立しており、力を結集できていない。アラブ世界に地域大国の軸がなく、イランやトルコのような帝国の歴史と制度、そして地理・人口などの条件も含めた確固とした根拠を持つ地域大国やロシアのような隣接地域から関与を深める大国から脅かされ、翻弄され、時に自暴自棄とも言える行動に出ている。トルコのイスタンブールの総領事館で自国民を殺害しトルコ・エルドアン大統領に「弱み」を握られた形のサウジの行動はその典型である。

 イランやトルコの台頭に対抗しうる地域大国がアラブ諸国の中にない、という点が、再編過程の中東地域の国際秩序において重大な不安定性の淵源となっている。

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筆者

池内恵

池内恵(いけうち・さとし) 東京大学先端科学技術研究センター教授

1973年、東京都生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。日本貿易振興会アジア経済研究所研究員などを経て、2018年10月から現職。専攻はイスラーム政治思想史、中東地域研究。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社)、『シーア派とスンニ派』(新潮選書)ほか。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです