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リベラルな国際秩序に準拠した9条へ

ナショナリズムに基づく平和主義からの転換を図れ

細谷雄一 慶應義塾大学法学部教授

青春の挫折

 1世紀前のパリ講和会議へと舞台を移そう。

 不平等条約を突きつけられて、アジアの後進国として国際社会に参加した日本にとっては、このパリ講和会議は主要戦勝国の一角として参加することになり、それは名誉ある地位であった。それはまた、多くの若手外交官たちにとっての檜舞台でもあった。まさにパリ講和会議での経験は、日本外交にとっての青春の日々であったといえる。ただし、青春の多くがそうであるように、日本外交にとってもパリ講和会議の経験は苦い挫折となった。それでは、日本外交は何に挫折したのか。

 それは、国際社会の潮流を十分に理解することができずに、自らが語る正義が独善となって次第に国際社会から孤立していったことである。彼ら全権代表団も、東京の政府も、そしてメディアも、戦後の平和を創出する上で何が重要な条件であって、日本に何が求められているのか、理解できなかった。

 国際社会は、それまでの弱肉強食の権力政治から、少しずつ国際協調と国際組織化へと向かって動きはじめていた。そのためには日本を含めた主要国が、重要な義務と責任を負わねばならなかった。だが、日本人の精神には、まだ国際主義(インターナショナリズム)の思想は深く根を張っていなかったのだ。平和とは、何もしないで自然発生的に生まれるものではない。

 しかし、みながそのように国際関係の新しい動きに無関心であったわけではない。例外もいた。例えばそれは、首相の原敬であり、政治学者で東京帝国大学教授の吉野作造であった。

 二人は、この頃の日本国内の、自己の利益に汲々として国際公益を無視しようとする風潮に、強い懸念を抱いていた。吉野はこの頃、「帝国主義より国際民主主義へ」と題する論文を発表し、そのような変化の重要性を強調した。すなわち「従来の国際関係は詰り帝国主義、強い者勝ち、弱い者は強い者の餌食になる」ようなものであったが、それがこの大戦を期に、「相和し相信じて極く新しい国際関係を立てねばならぬと云ふことに、是からの世界は段々と改造されて行く」のである。

 これは、国際政治におけるリベラル国際主義の思想である。この新しい潮流を理解しなければ、日本は取り残されるであろう。そのような懸念から首相の原敬もまた、「文明国人民の国際関係に対する思想が一変した」重要性を指摘する。そして、権力政治のみの観点で、また国家主義の観点のみで国際関係を考える当時の風潮を、次のように批判した。すなわち「外交なるものは(中略)徒に強硬を装ふて出来得るものではない」。そして、国際潮流の変化を理解しなければ「日本は将来孤立の位置に立つであろう」。

 同時に原首相が懸念していたのは、「日本は自国の都合のみに打着して他国を念頭に置かず、利己に偏して世界共通の利益を藐視(びょうし)する」という見方が、国際社会で広がっていたことである。それは日本の国際的評価を、貶めることになるであろう。だからこそ日本国民が「国際間の義務を重んじ友邦の信義を尊重する」ことが重要なのだ。

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筆者

細谷雄一

細谷雄一(ほそや・ゆういち) 慶應義塾大学法学部教授

1971年、千葉県生まれ。立教大学法学部卒。英国バーミンガム大学大学院国際関係学修士号取得。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。博士(法学)。北海道大学専任講師などをへて現職。『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社)でサントリー学芸賞、『外交による平和』(有斐閣)で政治研究櫻田會奨励賞、『倫理的な戦争』(慶應義塾大学出版会)で読売・吉野作造賞を受賞。