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ペダルを踏んで、見て会って考えた

『奥の細道』を巡る旅から

ドリアン助川 作家、詩人、歌手

カバーをかけて「除染済み」

 栃木北部の那須では、途方に暮れていた農園のご夫婦と出会った。このご夫婦は和牛の繁殖業を中心に、堆肥(たいひ)を使った循環農業で野菜や米を作っていた。だが、原発事故でそれがすべてだめになった。

 栃木北部にも高濃度の放射性物質が降った。しかしその事実は当初、那須のみなさんにはまったく知らされなかったのだという。ご夫婦は福島からの避難の車列を見ながら、ここは大丈夫なのだろうかと不安な日々を過ごしたらしい。

 線量計の針が振り切れたと教えてくれたのは通いの獣医さんだった。そのときはもう遅かった。汚染された藁や牧草を牛たちが食べてしまった。牛は高濃度に汚染され、出荷できなくなった。ご夫婦は和牛の繁殖業をやめることにした。10万ベクレル以上に汚染された土や堆肥は防護服を着た作業員たちによって1カ所に集められた。だが、汚染土をよそに持っていくことはできない。猛毒の土はカバーをかけられただけで、農園の片隅に置かれていた。これでも行政的には「除染済み」となるのだ。

 補償への道は遠いとご主人は言った。那須の農家はみな弱り果てているとも。

 「このままでは首を吊る農家が出てきますよ」

 牛小屋では子牛が生まれたばかりだという。繁殖業を廃業しても、生まれてしまったのだから育てるしかない。

 「ああ、3月11日以前に戻ってくれないかなあ」

 ご主人は何度もこの言葉を繰り返した。

汚染の数値公表は正義か?

拡大事故後の福島では、子供たちを外で遊ばせないようになったという。いくつかの小学校を担当されている校医さんが、「近視の子供たちが爆発的に増えている」とおっしゃった=2012年8月18日、福島県西郷村

 那須からすぐ、県境を越えた福島の西郷(にしごう)村では、キリスト教団体の福祉施設を訪れた。知的障碍に加え、幼児虐待やネグレクトで家を失った子供たちが暮らしている。園庭はすでに除染されていたが、通路脇のモニタリングポストは0.59μSv(マイクロシーベルト)毎時という線量を示していた。

 ここでは園長先生から話を伺った。

 「放射能汚染による人体への影響以前の問題として、まず基本的人権の蹂躙があります」

 誕生日は祝うのだということを、園に来てから初めて知った子供たちが多いという。なんとか普通の生活をさせてあげたいという先生がたの思いがあるなか、今回の原発事故が起きた。

 西郷村一帯も福島の他の地域と同じく高濃度に汚染された。子供たちは夏場でも長袖を着て、窓を閉め切った部屋で暮らさなければならなくなった。外では遊べない。行きたいところに行けない。食べたいものも食べられない。まさに人権を失している状態だ。

 この福祉施設でも、剥ぎ取られた園庭の土は隅に盛られブルーシートをかけられていた。園の外に出すことが許されないからだ。すぐ横には飛行機形の遊具があった。試しにそこで線量計を出してみると、1.62μSv毎時という高い数値が出た。子供たちが手に触れる可能性がある場所で、強制避難地域なみの線量だ。

 園長さんは語気を強めておっしゃった。

 「たしかにひどい数値です。ならば出ていけばいいというが、子供たちを抱えてどこに出ていけるというのか。私たちはここで暮らすしかないのです」

 もっともな言葉だ。汚染地域だとはいえ、大半の人は移住などできない。

 私の胸には迷いが生じ始めた。線量を測って歩き、苦しみの声に耳を傾けることはある種のフェアな行為だと信じていた。だが、そこで暮らし続けるしかない人々の苦しみを知った上で線量の数値を公表することが果たして正義と言えるのかどうか。この葛藤は旅について回る重しとなった。

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筆者

ドリアン助川

ドリアン助川(どりあん・すけがわ) 作家、詩人、歌手

1962年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒、放送作家などを経て90年にバンド「叫ぶ詩人の会」を結成し、94年デビュー。著書に同名映画の原作小説『あん』(ポプラ社)、『新宿の猫』(同)、『ピンザの島』(同)、『線量計と奥の細道』(幻戯書房)、『バカボンのパパと読む「老子」』(角川SSC新書)ほか。日本ペンクラブ理事。