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福島をバイアスから解き放ち 中間集団の再構築を

開沼博 立命館大学衣笠総合研究機構准教授、福島大学客員研究員、東日本国際大学客員教授

 福島の今がいかなるものか。外から見ていても容易には理解できない。かといって内側から見たら全てを理解できるというわけでもない。

 「福島」でも「廃炉」でも「復興・再生」でも良いが、ある概念を前に皆が同じものを思い浮かべて、そのために共に取り組む状況があるならば良いが、現実はそうなっていない。それぞれが違う前提のもとで個別の小さな課題をもぐらたたきゲームの如く潰す作業に労力を費やし、同種のことをしている人同士の連携や違う立場からの共創に向かう糸口はなかなか見つからない。

 先日も、廃炉関連の中央省庁関係者から「避難者」の話を聞きたいと言われた。その人はこれまでもそれなりに被災自治体をまわり、話を聞いてきたはずだったので、「いや、避難者の話は散々聞いてきたんではないですか、あの人もこの人も避難生活を続けながらの生活ですよね」と言うとハッとした顔をする。彼は避難者というと、テレビで見たことがある仮設住宅にいるお年寄りだとか父親が単身赴任をして避難先に残る母子世帯のような人々を無意識に想像していたという。その印象と、普段接している役場職員や事業者とが結びつかなかったようなのだ。被災自治体で暮らす人の中には、震災前の家や職場と震災後に避難した先で確保した家との二拠点居住生活をしていたり、子どもの学校や高齢者の利便性の関係で遠方に家を移してそこから通勤していたりする人も少なくない。「ステレオタイプ化された避難者像」の範疇からこぼれ落ちるような、そういった人が目の前にいることに気づかないまま、数年前から福島に関わるようになったその人は、ある意味で仕事を「こなして」いたのである。「避難者」という概念自体、複雑化・不可視化しているし、その概念を同じように使いながらも、それぞれに見ているものにズレができてきてしまっている。そんな現実が8年たった福島に生まれている。

選別と解釈のフィルター

双葉北小学校の教室にはランドセルが残され、床や本にカビが生えていた=2018年12月、福島県双葉町

 ステレオタイプを作り出すのにメディアやジャーナリズムが担った役割は少なくない。ステレオタイプ化自体は良いものでも悪いものでもない。ステレオタイプ化することで複雑なものが理解しやすくなったり共感が集まったりする効果もある。ただ、いま認識すべきなのは、ステレオタイプ化されたもの・ことの中で、それがかつては現実と乖離していなかったとしても、8年たち現実とズレ始めているようなことについてはその都度アップデートしていく作業が必要だということだ。それなくして、より広い、持続可能な形での福島が抱える課題の解決に向けた取り組みや連携・共創は生まれない。

 そもそも、現実を認識すること自体、あるいは現実を描こうとすること自体、簡単ではないのも事実だ。

 例えば、私は2015年より、福島第一原発の内部を継続的に取材し、カメラやそこに実際にいた時に聞こえる音を立体的に録音できるバイノーラルマイクを持ち込みその変化を追っている。その中で改めて気付かされるのは、私たちがいかに過剰な選別と解釈のフィルターを通して現実を認識させられているのか、ということだ。

 福島第一原発は、敷地面積で350万平方メートル、東京ドーム75個分に相当する広さを持つ。しかし、例えばそれを報じる時に世に出回る写真を並べてみると、どれも似通った対象への似通った角度のものばかりであることに違和感をおぼえることになるだろう(試しにインターネットで画像検索してみれば良い)。

 なぜそうなるのか。それは、核セキュリティ上、福島第一原発の構内にはそこかしこに撮影して記録に残すことが禁じられているものが配置されているからだ。テロリストが原発構内に侵入して核物質を持ち出す可能性を考えれば、その計画に必要な手がかり(取材で原発構内を撮影する機会を持てば詳細な説明を受けることになる)の入手を防ぐため、撮影できる構図は極めて限定されたものになる。その制約の中で、ひと目で福島第一原発の情報を伝えうる被写体・画角を選んでいくと、それは似たものにしかならない。私たちにはこの8年間、おそらく数え切れないほど福島第一原発の姿を見てきたような感覚があるだろうし、それが福島第一原発の現実そのものだと感じているかもしれないが、実際には、それは過剰な選別と解釈のフィルターを何重にも通った像でしかない。

 ただ、そのフィルターが破られていくのを感じることもある。例えば映像を撮っていた際に残された音に耳を傾ける時がそれだ。鳥の鳴き声、浜風の音、雑談する人々のリラックスした声。ここ1年ほどメディア露出が多い三号機のオペレーティングフロアに登るエレベーターの中ではファミコン音楽風にアレンジされた『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌が流れはじめる。構内の各所に自動音声案内の機械が置かれていて、階段では転ばないように手すりをつかめ、食事の前には手を洗えなどと、労働災害や感染症を防ごうと作業員に呼びかけ続けている。実際の音を聞いた個人に委ねられるだろう解釈の可能性と選別の余地に開かれた「福島の今」こそ、本来、もっと多くの人に届けられるべき現実かもしれない。それこそが、バイアスに慣れると同時に無意識のうちに見て見ぬふりをする対象となった福島について改めて考え、認識を刷新するきっかけになるだろうからだ。

心配なのは放射線よりメディア

 ステレオタイプ化された認識を刷新することは簡単ではない。それはメディアやジャーナリズムと無関係なわけではないだろう。

 例えば、2018年11月18日に福井新聞が論説として配信した記事「福島第1原発 収束程遠い状況が今なお」は、福島第一原発の廃炉において溶け落ちた燃料であるデブリの取り出しの見通しが立たず、汚染水を多核種除去設備などで処理した水の入ったタンクが「墓標のように映る」とする。

 そして、「一方でそうした状況を打開しようと、奮闘するのは立地自治体である浪江町の伊沢史朗町長だ。町の96%が帰還困難区域で、産業拠点などの再生計画を推し進めている。その過程で自らの町に広大な中間貯蔵施設を整備し除染土壌などを受け入れることを決断した。『殺されるかもしれんと思った』の一言がずしんと響いた」と述べる。

 しかし、本当にデブリは取り出しの見通しが立たないのだろうか。当初、放射線量が高くアプローチが困難な事故を起こした原子炉内部の状況は、推測しようにも手がかりのない状況が続いていたが、様々な角度からデータを取る中でデブリの位置や状態が徐々に分かってきた。今年は、デブリが実際にどの程度の硬さか調べ、取り出し作業をどう進めるかを検討するため、ロボットで物理的にデブリに接触することも予定されている。

 処理済み水が入ったタンクがそこに立ち続けているのはなぜか。それを処分しようとする議論に対して、地元住民に慎重な声が多いのは事実だ。しかし、その背景を丁寧に聞き取ってみると、ジャーナリズムがその事実を他人事のように報じることに違和感を抱かずにはいられない。例えばこの先、タンクの中の水の処分が具体的なプロセスに入った時に、あたかも福島の大地・大気・水がこれまでにない危険にさらされているかのようにほのめかす情報がメディアを通じて大量に流通したとすれば、風評や差別が再燃する。多くの慎重論は、放射線の問題よりも、メディアの動きを懸念している。そういった背景を丁寧に説明することなしに、表面的な話だけ切り取れば、それこそ風評加害になる可能性につながる。

 デブリにしてもタンクにしても、どうにか状況を改善しようと、そこに暮らす、少なからぬ人が被災を経験した上で懸命に努力を続けている。何も進んでいないかのような単純な物言いをするのではなく、何が進み何が進んでいないのか丁寧に解説したり、困っている人がいるならその困惑の背景を丁寧に解き明かしたり、自分たちに何ができるか考えるきっかけをつくる記事を書いたりすることはできる。それこそがメディアやジャーナリズムの役割ではないだろうか。

 もちろん、このデブリ・タンクの話は「そう解釈もできる」という水準では誤りではない。東電や政治・行政への責任追及であり叱咤であり必要なことだというのであればそれもそうだろうし、そうやって無関心になりがちな問題に目を向けてもらいたい思いから書かれた記事だと言われれば理解できる。

記事の誤りが象徴するもの

2年前の春に一部で避難指示が解除された浪江町では、JR常磐線が再開した。震災前は座れないほど混んだ帰宅時間帯も乗客はまばらだ=2018年12月、福島県浪江町

 ただ、先にあげた記事には明確な事実誤認も含まれている。それは「立地自治体である浪江町の伊沢史朗町長」という部分だ。立地自治体は双葉町であり、伊沢町長はその町長だ。私は、この記事がインターネット上で出て朝の時点で誤りに気づいていたが、夜になってもそのままだったので新聞社に電話をして指摘した。電話口に出た記者は「担当者は明日来るからまた連絡する」と言ったが、翌日以降も連絡はなく、紙面で4行ほどの訂正記事こそ出たものの、インターネット上の記事は断りなく書き換えられていた。無論、単純な確認不足のミスだったのかもしれないが、自治体や首長の名前を取り違えるのはありえないレベルの間違いだし、そのレベルの取材や事後確認の精度で、「墓標」とか「殺される」とか必要以上に過激な言葉とともに、あたかも全てが死と結びついているかのように、福島やそこに生きる人、その努力をメディアが物語化するのはあってはならないことだ。その安直な選別と解釈のフィルターを8年経っても捨てられていないのだとすれば、今になっても福島を殺し、墓標に縛り付けようとしている主体は誰なのか。少なくともメディアやジャーナリズムが客観・中立の幻想のもとで他人事のように語り続けることが、絶対的に正しい状況にはないことだけは確かだろう。

 誤ること自体は一定程度仕方ない。ただ、重要なのは誤ってしまった時に誤ったこと自体を、誤りを発信した力の込め方と同様かそれ以上の力で発信することだ。クリシェ(使い古された常套句)をパッチワークして「お上」にケチをつけて、「いっちょ上がり」とでも言わんばかりの所作はこれからも無くなることはないのかもしれないが、自らも「お上」の一端を担っていることを自覚することができるかどうかは問われるだろう。これは福島の話に限らず、おそらくインターネットでは「マスゴミ」などと揶揄される形で可視化されているし、インターネットの外でも進んでいるメディアやジャーナリズムへの不信感の根源にあるものにも違いないのだから。

 この事例だけが悪質だから糾弾したいというわけではない。あくまでワンオブゼムとしてとりあげたものだ。他の媒体・切り口でもこのようなことが常態化している現状がある。この原稿を書いている時点から数カ月ふり返っただけでも同様の事例は枚挙にいとまがない。

 例えば、2018年12月16日の長崎新聞「福島の子どもら生き生き 長崎で保養する姿捉えた写真展示」という記事では「今年7月に長崎を訪れた5家族12人が、放射線の影響で福島では経験できない海水浴を楽しんでいる様子」とその展示内容を紹介している。しかし、福島では震災前から存在する海水浴場の多くが再開しており、再開前から海水中の放射性物質の検査も丁寧に続けられ危険性が無いことが明確に確認され、その情報は少し調べればいくらでも出てくる。

 インターネット上に掲載されたこの記事に対してSNS上で複数の指摘がなされると、記事が出た翌17日には、記事が取り下げられ閲覧できなくなった。新聞社によれば訂正がなかったのは「その家族にとっては福島で海水浴はできなかった」とのことだが、

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