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福島をバイアスから解き放ち 中間集団の再構築を

開沼博 立命館大学衣笠総合研究機構准教授、福島大学客員研究員、東日本国際大学客員教授

記事の誤りが象徴するもの

拡大2年前の春に一部で避難指示が解除された浪江町では、JR常磐線が再開した。震災前は座れないほど混んだ帰宅時間帯も乗客はまばらだ=2018年12月、福島県浪江町

 ただ、先にあげた記事には明確な事実誤認も含まれている。それは「立地自治体である浪江町の伊沢史朗町長」という部分だ。立地自治体は双葉町であり、伊沢町長はその町長だ。私は、この記事がインターネット上で出て朝の時点で誤りに気づいていたが、夜になってもそのままだったので新聞社に電話をして指摘した。電話口に出た記者は「担当者は明日来るからまた連絡する」と言ったが、翌日以降も連絡はなく、紙面で4行ほどの訂正記事こそ出たものの、インターネット上の記事は断りなく書き換えられていた。無論、単純な確認不足のミスだったのかもしれないが、自治体や首長の名前を取り違えるのはありえないレベルの間違いだし、そのレベルの取材や事後確認の精度で、「墓標」とか「殺される」とか必要以上に過激な言葉とともに、あたかも全てが死と結びついているかのように、福島やそこに生きる人、その努力をメディアが物語化するのはあってはならないことだ。その安直な選別と解釈のフィルターを8年経っても捨てられていないのだとすれば、今になっても福島を殺し、墓標に縛り付けようとしている主体は誰なのか。少なくともメディアやジャーナリズムが客観・中立の幻想のもとで他人事のように語り続けることが、絶対的に正しい状況にはないことだけは確かだろう。

 誤ること自体は一定程度仕方ない。ただ、重要なのは誤ってしまった時に誤ったこと自体を、誤りを発信した力の込め方と同様かそれ以上の力で発信することだ。クリシェ(使い古された常套句)をパッチワークして「お上」にケチをつけて、「いっちょ上がり」とでも言わんばかりの所作はこれからも無くなることはないのかもしれないが、自らも「お上」の一端を担っていることを自覚することができるかどうかは問われるだろう。これは福島の話に限らず、おそらくインターネットでは「マスゴミ」などと揶揄される形で可視化されているし、インターネットの外でも進んでいるメディアやジャーナリズムへの不信感の根源にあるものにも違いないのだから。

 この事例だけが悪質だから糾弾したいというわけではない。あくまでワンオブゼムとしてとりあげたものだ。他の媒体・切り口でもこのようなことが常態化している現状がある。この原稿を書いている時点から数カ月ふり返っただけでも同様の事例は枚挙にいとまがない。

 例えば、2018年12月16日の長崎新聞「福島の子どもら生き生き 長崎で保養する姿捉えた写真展示」という記事では「今年7月に長崎を訪れた5家族12人が、放射線の影響で福島では経験できない海水浴を楽しんでいる様子」とその展示内容を紹介している。しかし、福島では震災前から存在する海水浴場の多くが再開しており、再開前から海水中の放射性物質の検査も丁寧に続けられ危険性が無いことが明確に確認され、その情報は少し調べればいくらでも出てくる。

 インターネット上に掲載されたこの記事に対してSNS上で複数の指摘がなされると、記事が出た翌17日には、記事が取り下げられ閲覧できなくなった。新聞社によれば訂正がなかったのは「その家族にとっては福島で海水浴はできなかった」とのことだが、

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筆者

開沼博

開沼博(かいぬま・ひろし) 立命館大学衣笠総合研究機構准教授、福島大学客員研究員、東日本国際大学客員教授

1984年、福島県生まれ。東京大学文学部卒、同大学院学際情報学府博士課程単位取得満期退学。専攻は社会学。著書に『はじめての福島学』(イースト・プレス)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)ほか。