メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

海越え息づく「盆唄」巡る旅

福島と沖縄、命と営み見つめ

中江裕司 映画監督

思い出つまった故郷

 震災から5年後、2016年。横山さんと親友の今泉春雄さんの案内で双葉町に入った。双葉で通った小学校に行くと、2人は童心に戻っていた。ザリガニを捕まえて煮て食べたとか、カエルに草の汁で作った毒薬を飲ませたとか、おかしくて面白い話ばかり。あまりの面白さに、ここは放射線量が高く帰還困難区域であることを忘れる。小学生たちが作った空き缶の恐竜が、蔓に覆い尽くされている。双葉の風景が現実に呼び戻す。

 山沿いにある横山さんの小屋に行く。太鼓の練習や障がいのある子どもたちに太鼓を教えていた場所だ。植物に覆い尽くされた扉を開くと、太鼓が一つ転がっていた。横山さんは「音なんかするのかな」と、言いながらバチを握り、太鼓を打った。その太鼓の音は波のように寄せては返し、私の魂をうった。横山さんも「震災以来、はじめて帰還困難区域で太鼓を打ちました」と、興奮気味だった。双葉の町や動物や植物たちは、太鼓の音を待っていた。人だけがそこにいない。

 海に行くと、今泉さんが「フツーだ。フツーなんだけどな」とつぶやいた。横山さんは海ばかり見て「沖縄の海に負けてないでしょ。昔はこの海に潜って貝を獲ったり、魚を捕ったりした」と、海の自慢ばかりするので私は「今度の取材の時、いっしょに双葉の海に潜りましょう。横山さんは貝や魚を捕ってください。私はそれを撮ります」と、言った。横山さんはいいよと言った。それからが大変。双葉の海は、事故を起こした原発のすぐ近く。スタッフは誰が放射能の海に入るのかと、検討を重ねていた。私は1人で撮ってもいいやと思っていた。海に入る撮影の数日前、横山さんから電話があった。「監督、やっぱり海には入れない。俺は入ってもいいけど、俺が海に入ることで他の避難者に迷惑がかかる。それはできない」と。「わかりました、やめましょう」と私。

 横山さんは20年以上続けてきた太鼓作りを、避難先ではやめていた。「作る時に音が大きく、近所迷惑になるのでできない。自分だけでなく、避難者みんなに迷惑をかける。だから避難者は……と言われたくない」。工夫をして作った太鼓作りの道具も友達にあげてしまった。もう太鼓作りはできないしすることはないと、自分に言い聞かせないとやめられないのだろう。その顔は悲しそうだった。

 沖縄は戦争ですべてを失った。金持ちも、貧乏人も、士族も庶民も、何もない状態から立ち上がったから、みんなで心を合わせて復興できた。しかし、福島の人たちはお金によって分断されている。お金が、嫉妬、やっかみ、憎悪を増幅している。「避難者はお金をもらって遊んでいるのか」。その声によって双葉の人たちは盆踊りすらできない。困った時はお互い様、という日本人らしさはどこへ行ったのか。福島の人たちの心は、お金によって引き裂かれている。嫉妬する人、憎悪する人も、したくてしているのではない。お金と原発事故処理政策が、そうさせている。横山さんは「原発事故の補償金は終わりにした方がいい」と言う。そうしないと分断がずっと続くと。何かがおかしい。私の気持ちがうずく。日本人で原発事故に責任のない人はいない。私は何をすべきなのか。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

中江裕司

中江裕司(なかえ・ゆうじ) 映画監督

1960年生まれ、京都市出身。80年に琉球大学入学のため沖縄に移住。代表作は「ナビィの恋」「ホテル・ハイビスカス」「恋しくて」など。ドキュメンタリー映画として「白百合クラブ・東京へ行く」。テレビドキュメンタリーは「豚の音がえし」「戦場の真心」など多数。沖縄の閉鎖された映画館を「桜坂劇場」として復活させ、沖縄の文化の発信地となっている。