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海越え息づく「盆唄」巡る旅

福島と沖縄、命と営み見つめ

中江裕司 映画監督

「ナビィの恋」への批判

 かつて、沖縄県名護市辺野古で「ホテル・ハイビスカス」という劇映画を撮影した。すでに辺野古は米軍基地の移設問題でホットな場所。沖縄の地元の新聞は、辺野古でお気楽な娯楽映画「ホテル・ハイビスカス」を撮るなんてけしからんという論調で書いた。スタッフや俳優たちは傷ついた。娯楽映画であるのは間違いないが、私にとっての沖縄戦を撮ろうと思った映画だった。

 1980年に沖縄に移住した私にとって、ウチナンチュは沖縄戦で家族の誰かを失っていた。この事実は当時の私には衝撃だった。未来を生きるはずだった子どもたちも、沖縄戦でたくさん亡くなっていた。沖縄戦で亡くなった子どもたちのためにこの映画を作ろうと私は思った。撮影前だったので、書いた新聞記者は映画の内容を理解していなかっただろう。前作「ナビィの恋」がお気楽な南島の恋物語だったから、きっと同じだと思ったに違いない。「ナビィの恋」が沖縄で大ヒットして、NHKがそれを受けて朝ドラで「ちゅらさん」を作り話題となり、大ブームとなった。その現象を、沖縄の知識人たちは、沖縄の基地の問題をお気楽なパラダイス的沖縄像にすり替えたと批判した。「ナビィの恋」を作ったヤマトンチュが、沖縄をおかしくしようとしている。「ナビィの恋」はウチナンチュに向けて作った映画だったので、私にとっては悲しい現実だった。沖縄と日本の間には深い溝がある。沖縄戦、日本復帰、海洋博と、日本人が沖縄人のことを下に見て、だまし続けたことが私にはねかえる。沖縄の文化人、知識人たちから批判され続けた「ナビィの恋」。映画が元気を無くし、私も映画も下を向いて歩いていたら、カマボコ屋のおばちゃんに怒られた。「監督さん、下向いて歩いてたら、みんな心配するよ。道は顔を上げて歩きなさい」。市場のおばちゃんたちは口々に「あんたの映画は面白かったよ。笑ったし、泣いたさー」と、言ってくれた。情け深くて、したたかに稼いで、冗談やエッチな話ばかりしている沖縄のおばちゃんたち。映画を作るとは、一般大衆、庶民の側に身を置くことだよと強く教えられた気がした。

「つらい顔」より希望を

 福島の報道にも似たことを感じる。沖縄でも、福島でも、地元の人は、被害者であることが求められる。避難者はつらい顔をして、自分たちの被害を訴えなければならぬ。基地の街に住む者は、常に基地被害を訴えねばならぬ。そういう報道が続けば続くほど、そこにいる人の営みが見えなくなる。

 沖縄の基地問題をいろんな本土のマスコミが取り上げる時、違和感をもつことがある。基地は米軍の犯罪も生む。事故の危険性もある。米軍機の騒音の問題もある。でも大きな問題が見過ごされているような気がしてならない。ウチナンチュは、沖縄戦によって誰かしら家族を失っている。その行き場のない悲しみを抱えているからこそ、戦争につながる基地に反対する。沖縄戦で、家族を失った悲劇は、子に、孫に、ひ孫に伝えられていく。戦争体験を決して語らない年寄りからは、聞いてはいけないという悲しみの大きさが伝えられていく。沖縄の基地問題は、イデオロギーの問題ではなく、日本の社会問題でもなく、身近な家族の命の問題なのだ。

 現在、私が代表をつとめる「桜坂劇場」の建物は、1950年に作られた。最初は「珊瑚座」というお芝居の劇場だった。その後、映画館となり、私たちが運営する「桜坂劇場」も一貫して沖縄の娯楽を支えてきたと自負している。沖縄戦直後の45年のクリスマス、小学校のグラウンドで演じられた「花売の縁」という組踊り(沖縄の音楽劇)には、数万人の観客が集まった。「桜坂劇場」のある桜坂周辺にも、テントの芝居小屋が立ち並び、人々は芝居や音楽に夢中になった。食べ物もない時代、お腹はひもじくても、人々は娯楽を求めた。その観客たちの強き欲望が私たちを育ててくれた。映画にできることは観客を楽しませること。私は映画に鍛えられた。映画は常に大衆の側に身を置く。それが娯楽という意味だ。

 映画は、イデオロギーや社会を糾弾するものではない。結果的に、そうなることはある。それはそれでいい。作り手は、観客にとって面白い映画を作らねばならないという使命と責任を負っている。この「盆唄」も娯楽でなくてはならない。大衆は大変厳しい。面白いものしか見ない。どうすれば

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筆者

中江裕司

中江裕司(なかえ・ゆうじ) 映画監督

1960年生まれ、京都市出身。80年に琉球大学入学のため沖縄に移住。代表作は「ナビィの恋」「ホテル・ハイビスカス」「恋しくて」など。ドキュメンタリー映画として「白百合クラブ・東京へ行く」。テレビドキュメンタリーは「豚の音がえし」「戦場の真心」など多数。沖縄の閉鎖された映画館を「桜坂劇場」として復活させ、沖縄の文化の発信地となっている。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです