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21世紀家父長制の悪夢

新天皇家の発する家族メッセージ

牟田和恵 大阪大学大学院人間科学研究科教授

明治天皇の家族の表象

拡大図3 「皇室御団欒御真影」 明治32年、岡道孝コレクション、川崎市市民ミュージアム蔵
 欧米の先進国に並ぶ文明国となることを至上命題とした日本で、時を同じくして位についた明治天皇家も、こうしたヨーロッパの王室に見倣う必要からか、明治32(1899)年に「皇室御団欒御真影」(岡道孝コレクション・川崎市市民ミュージアム蔵)が描かれている(図3)。明治天皇・皇后(美子)と、皇太子(のちの大正天皇)および妃(節子)の若夫婦と子供たちが居並ぶ家族肖像図なのだが、男は軍服、女は華やかなドレス(さすがに女児にワンピースは着せていないが)というところは共通しているものの、実はこれらの人物の親子関係は複雑だ。子供たち7人のうち節子妃に抱かれている赤ん坊含め3人の男児(前列中央がのちの昭和天皇)は皇太子と妃の実子だが、同じくらいの年齢の少女4人は、明治天皇の子であり皇太子のきょうだいなのだ。つまりこれら幼い4人の女児たちは男児たちの叔母なのだ。

 このように年の離れたきょうだいはかつての多産の時代には珍しくはなかったが(サザエさんの母フネは多産ではないが、ワカメちゃんはフネさんの子で、サザエさんの子であるタラちゃんの叔母である)、皇太子と内親王たちの実母は異なる。明治天皇には5人の側室がいたが、図の女児たちの実母は明治天皇の最後(5番目)の権典侍(ごんのてんじ)(側室)であった園祥子(さちこ)であり、皇太子の実母は3番目の側室であった柳原愛子(なるこ)である。つまりこの「皇室御団欒御真影」で「母」として存在している美子皇后の実子は誰一人いないのだ。

 現在の感覚から言えば、「ドロドロ」とでも形容できそうな家族関係だが、

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筆者

牟田和恵

牟田和恵(むた・かずえ) 大阪大学大学院人間科学研究科教授

専攻は歴史社会学、ジェンダー論。著書に『ここからセクハラ! アウトがわからない男、もう我慢しない女』(集英社)、『ジェンダー家族を超えて』(新曜社)、『戦略としての家族』(同)、『架橋するフェミニズム:歴史・性・暴力』(編著、電子書籍)ほか。「国会議員の科研費介入とフェミニズムバッシングを許さない裁判」原告(http://kaken.fem.jp/)。