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神聖天皇から象徴天皇へ―なお続く課題―

島薗進 東京大学名誉教授、上智大学教授、宗教学者

戦後も残る皇室祭祀

拡大大嘗祭のための大嘗宮が完成し、内外の記者団に公開された=1990年11月21日、皇居・東御苑

 皇居には戦後も賢所(かしこどころ)、皇霊殿、神殿があり、宮中三殿と呼ばれている。中心の賢所には天照大神が孫(「天孫」と呼ばれる)のニニギノミコトの降臨(天孫降臨)の際に自らの分身として授けたという鏡がご神体としてすえられている。本来の鏡は伊勢神宮にあり、宮中には「うつし」が置かれている。この天孫降臨のとき、草薙(くさなぎ)の剣と八尺(やさか)瓊(に)の勾玉(まがたま)も渡されたとされ、王権の神聖なしるしとして「三種の神器」と呼ばれてきた。

 皇霊殿には歴代の天皇・皇后・皇親の2200余りの霊が祀られ、神殿には天神地祇と総称される日本の神々が祀られている。さらに宮中三殿の左手には神嘉殿があり、新嘗祭が行われる重要な祭場である。なお、草薙の剣と八尺瓊の勾玉は天皇の居室の近くの「剣璽の間」に置かれているが、戦前は天皇が皇居(宮城)を1日以上離れる場合には、必ず侍従が捧げ持ち随行することになっていた。戦後、この「剣璽御動座」は廃止されたが、神社本庁は復興を働きかけ、第60回式年遷宮の翌年の1974年に昭和天皇が剣璽を伴って伊勢神宮を参拝してから、天皇の神宮参拝の際には携行されるようになった。剣璽御動座は復興したわけだ。代替わりのときには、かつては「剣璽渡御の儀」が行われていたが、現在は「剣璽等承継の儀」が行われる。「三種の神器」の継承が代替わりの最初に行われるのだが、「神的な存在が渡御」するのでなく、「ものを承継」するのだから宗教的ではないとして国事行為として行われる。

 宮中三殿では頻繁に神事が行われている。毎日ここで掌典長、内掌典らの天皇の私的使用人によって神事が行われる。年中行事としては、元旦には四方(しほう)拝(はい)、3日には元始(げんし)祭(さい)等と天皇の神道行事がある。元始祭や2月11日の紀元節祭は明治維新後に作られた祭祀だ。天皇は天照大神の神勅を受け、かつその子孫であり、天孫ニニギノミコトを引き継ぐ神武天皇以来の神聖な皇統を受け、神聖な存在として祭祀を行い国を治めている。だからこそ他国に類例がなく優れた国体なのであり、全国民が崇敬すべきだという観念が明治維新以来、広められて定着した。戦後の皇室祭祀は建前上は天皇の私的行為とされているが、公的な意義や影響力は少なからず残っている。

 天皇の代替わりのときに、象徴天皇制の下でも神道が大きな意義を保っていることが露わになる。 新たな天皇が天照大神に新穀を捧げともに食する大嘗祭は明らかに神道行事である。他にも賢所や伊勢神宮に関わる行事がいくつも行われる。また、代替わりのときに限らず、天皇と伊勢神宮との関わりにおいて、神道の公的意義が自ずから思い起こされる。20年ごとの伊勢神宮の式年遷宮は典型的なものだし、例年の神嘗祭、新嘗祭もそうだ。戦後も靖国神社の春秋の例大祭には、皇室の勅使が差し遣わされ、奉幣が行われてきている。今は行われていないが、再び靖国神社に天皇が参拝するようなことになれば、現代日本における神聖天皇の意義は一段と高いものになるだろう。

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筆者

島薗進

島薗進(しまぞの・すすむ) 東京大学名誉教授、上智大学教授、宗教学者

1948年、東京都生まれ。医学部進学コースの東京大学理科Ⅲ類に入学したが、東大医学部闘争に遭遇。文学部宗教学科に変更し、卒業。同大学文学部宗教学科教授を経て現職。上智大学グリーフケア研究所所長も務める。著書に『日本人の死生観を読む』(朝日選書)、『国家神道と日本人』(岩波新書)など多数。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです