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移民をチーム日本に迎えるには

「在日ブラジル人1世」の提言

Angelo Ishi 武蔵大学社会学部教授

「国民」ではないけれど

 私は「日系ブラジル人3世」、あるいは「ブラジル出身の日系3世」と紹介されることが多い。これは客観的事実としては正しい。確かに私の祖父母は戦前に日本からブラジルに移住した日系1世、両親はサンパウロ州内陸の日系移住地で生まれた日系2世、私はサンパウロ市で生まれ育った3世ということになる。しかし、私は自己紹介の際、日本社会に対する情報発信の手段として、「在日ブラジル人1世」と名乗っている。それは決して自分の「日系」としてのルーツを否定したいからではなく、むしろ自分が日本にずっといる(少なくともそのつもりでいる)人間、すなわち「日本社会の一員」であることに注意を促したいからである。なぜ、この点を強調したいのか。それは「日本人」の特権と見なされる「国民」という概念では常に蚊帳の外、よそ者扱いになりがちな状態を打破し、「チーム日本」への「仲間入り」を果たしたいからである。

 新聞の社説やコラムで「国民」や「我が国」という言葉を見かける度に、そしてテレビの解説やインタビューで「やっぱり日本人として生まれて良かった」とか、「これは日本人にしか分からないよね」という言葉を聞かされる度に、外国人は強烈な疎外感を味わうのである。以上のような表現は無害だと過小評価(あるいは正当化)されがちだが、「日本人/外国人」の二分法が当然視され常識化されてしまうと、報道で「外国人犯罪」という言葉が使われても、メディア関係者も一般市民も感覚が麻痺して何ら違和感を抱かなくなる。「我が国」ではなく、「この国」もしくは「日本」というふうに言い換えるという、ちょっとした工夫と配慮によって、日本語が読める多くの移民(外国人)の疎外感はずいぶん軽減されるはずである。ついでに言えば、移民を「受け入れる」かどうかという表現自体、ある種の優越感を伴っており、移民をどう「迎える」かという表現がより前向きだということも記しておきたい。

 確かに私は「移民」であり「外国人」であるが、「日本社会」の一員として、そしてそれ以前に東京という都市に惚れ込んで愛して止まない「東京人」として、(サッカーでブラジルと日本が対戦した場合は迷わずブラジルを応援しながらも)来年の東京オリンピックの成功を祈る一人である。私は「日系」だから日本に「愛国心」を抱くわけではなく、活動に制限のない在留資格で日本に長く住み続けることができたおかげで、「住めば都」で日本が好きになったのである。しかし、4月に始まった改正入管法は、このようにじっくり時間をかけて日本と向き合い、関係を深めるような長期滞在を想定していない。安倍総理がいみじくも「これは移民政策ではない」とシラを切ったこの新制度では、最も多くの業種で大多数の受け入れが予想される「特定技能1号」の在留資格は最長5年の期限付きである。そして熟練した技能が要求される分、資格更新に上限が設けられていない「特定技能2号」の場合も、転職が認められているものの、退職から3カ月を過ぎても特定技能に該当する活動を行っていない場合は、在留資格の取り消し手続きの対象になり得る。このような厳しい条件では、来日した人々の意識は自ずと移住先より出身国に向いてしまいがちである。

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筆者

Angelo Ishi

Angelo Ishi(アンジェロ・イシ) 武蔵大学社会学部教授

1967年、ブラジル・サンパウロ生まれ。日系ブラジル人3世。サンパウロ大学ジャーナリズム学科卒、東京大学大学院総合文化研究科博士課程を経てポルトガル語新聞の編集長を務めた。2010年から現職。専門は国際社会学、移民研究、メディア社会学。著書に『ブラジルを知るための56章』(明石書店)、『日本人と海外移住』(明石書店、共著)ほか。